何に引っかかるのか
さて。ここもすっかりご無沙汰気味なので、油断して少し立ち入ったことを書いてみる。このところ引っ越しを画策していて物件探しをしているけど引っ越す決断が、どうしてもできそうにない。今住んでいる部屋が気に入っているのが一因だと思う、とはいえ、ひとところに住むことには慣れなくて、できれば常に流動したいと思っていた。流れていない、動いていないことに対する嫌悪感がなぜかずっと自分の中にはある。そこで、それを解決したくて書いたのが、通信の大学で卒業制作に書いたアレだった。流れたいけど流れられていない自分に対して、流れても平気だよ、大事なものは場所にはないよ、だから思うように流れたらいいんだよ、と思って書いた。昨年度、文芸のとある賞で、そのアレについて選評をいただいた。なかなか辛口だったので若干へこたれたけれど、印象に残っているのは、つまり要するに深淵まで掘り下げられていない、という指摘だった。確かにそうだった、と思う。私には、結果を早く求めたがるせっかちな面があるけれど、反面、ものごとを保留にしておくことに対する信頼感も、持っている。すぐにわかることは、案外わからない。すぐにわかりたくはない、と思っている。そこで、結論を得られないままに何かを書こうとして、なんとなく結論を得られない状況に満足して、というかその過程こそが大事だと思ってしまって、そこで食い足りない結果になるんではないかと思う。とりあえずもうちょっと掘り下げていこうと思う。本来の自分は、結論を求めて考えすぎるくらいに考える傾向があって、それが若いころはよい結果を全くもたらさず、体調までおかしくなる始末だったので、いつしか過程を重んじる傾向に偏りすぎていたのでは、と思ったりもする。今気になっているのは、どうしてここを離れられないのかということだ。この部屋には以前友達が住んでいた。既に疎遠になって久しい。彼女のことが、私をこの部屋につなぎ止めている要因のひとつだと思う。彼女に連絡を取れば、何かが変わるんだろうか。疎遠になったことに目を瞑って、今更連絡を取ることが、できるんだろうか。そもそもこれまでどうしてできなかったんだろうか。というようなことも、これから先に考えて行かなくちゃと思っている。いや、具体的すぎますね。とにかく、考えなくちゃと思うことを、少なくとも書くに当たっては、とことん考える必要があると今更ながらに思っている。と言いつつ、物語の結論は決めないままに書くと思う。書きながら考える、それが好ましいと思っている。書いて初めてわかる。という見解に賛成。