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歴史は苦手である.
その苦手なはずの分野に最近やたら関心がある.今回はパレスチナ問題について情報検索をしてみた.すると「羊と王子様」というページに遭遇した. http://www.ee.e-mansion.com/~william-w44t/tobira.html このホームページによると,ガンダムとパレスチナ問題は関係がある.パレスチナ問題はガンダムの根っこの1つなのだ,とのこと.私はアニメにほとんど関心がないので,ガンダムについても知らないし,この説について評価もできない. で, 私が調べたかったのは,アリエル・シャロンが神殿の丘(ハラ-ム・アッシャリーフ)を訪問した日付だった.ところがウィキペディアなどの目ぼしい記事では,その日付を見つけることができなかった.四苦八苦してやっと辿り着いたのが上記ホームページだった.その「第二次インティファーダ」という項に,次のように書いてある(やや改変しました). (以下引用) 2000年9月28日に、イスラエルのリクード党首シャロン将軍が、護衛1000人を引き連れ、エルサレム東部の旧市街地にある「ハラーム・アッシャリーフ」というイスラムの聖地を強行訪問した。 オスロ合意によれば、エルサレムの地位は交渉で決めることとされている。この強行訪問は、ハラーム・アッシャリーフを含め、エルサレム東部は永遠に返さないという、挑発的なデモンストレーションだった。 パレスチナのイスラム教徒は強く反発し、激しい抗議デモでこたえた。 それに対してイスラエルの警官が発砲して19人が死亡、100人以上が負傷した。 「第二次インティファーダ」(「アルアクサ・インティファーダ」)の始まりである。 (引用おわり) 当時の米国大統領はビル・クリントン.彼はイスラエルのバラク首相との間で,パレスチナ和平に向けた作業を慎重に進めていた.和平達成まであと一息というところだった. そこにシャロンが登場した.聖地参拝という行為によってパレスチナ側にケンカを売った.それが上記の日付である. 明らかにシャロンは「和平」を望んでいなかった.実力行使となればイスラエル側が圧倒的に有利である.だからイスラエルの支配拡大を図るには,戦争状態を継続させる方が良い.そういう意図が明白であった. シャロンのもくろみは当った.つまり残念なことにパレスチナ側は,この挑発に乗ってしまった.イスラエルはパレスチナ人による暴力,あるいはテロ行為,を口実に戦火を拡大させた.対立はエスカレートし,パレスチナ側の犠牲は絶望的に大きくなった.完全に狂っていた.この状態を脱するには,「何か」が起こらねばならなかった. そのとき,9.11の事件が起こった.2001年9月11日.シャロンがパレスチナにケンカを売った日からほぼ1年後である. これが,起こるべき「何か」だったのだろうか.きっとそうだ.9.11はパレスチナと何の関係もなさそうに見える.しかし,たぶん関係があるのだろう.私はそう思った. 長くなってしまったので,続きはまた今度. ところで,以上のような訳で,パレスチナ問題を考えるとき,シャロンの聖地参拝は極めて重要な日付だと私は思う.そういう日付がウィキペディアで見つけられないというのは,何だろう.プロの歴史家はシャロンが聖地を訪問した日付などには関心がないのだろうか. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 7, 2010 02:49:28 AM
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