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カテゴリ:観光
「サッポロ」の地名は、アイヌ語の「サッ・ポロ・ペッ」(sat-poro-pet、乾いた大きい川、松浦武四郎説)、または「サリ・ポロ・ペッ」(sari-poro-pet、葦原が広大な川、山田秀三説)に由来するとか。文献学的には、寛文蝦夷蜂起(シャクシャインの戦い)における弘前藩士の報告書に「さつほろ」の表記がある。 一、石狩湊口より一里程登り候て、はつしやふより弐里程登り候てさつほろと申所に犾有、 さつほろの枝川に竪横半里計りの沼御座候由、(下略) (津軽一統志・巻第十之下、弘前市立弘前図書館蔵八木橋文庫) 初めて札幌を訪れたのは、中学校の修学旅行の時だから、14歳か。自動販売機で買ったファンタの缶が八戸のそれより大きかったことに驚いたぐらいで、これといった想い出がない。 その次は、H大の二次試験を受けた時で、17歳。ホテルの暖房のオン・オフがよく分からずに風邪を引いてしまい、試験当日は頭痛・発熱・悪寒・咳き込み、結果が良いわけがない。 その後、18歳で小樽に住んだが、将棋の大会で札幌に出ることはあっても、終われば直ぐに帰るのだから、何ということも。 32歳で学芸員になり、歴史関係の調査で何度か札幌を訪れたが、北海道開拓記念館、北海道庁、北海道大学附属図書館など、専ら宿泊先と調査先を往復するばかりで、観光スポットに行ったことがない。薄野(すすきの)で杯を上げるとか、ラーメン横丁に出向くとか、サッポロビール園でジンギスカンを食べるとか、夜の楽しみも、同行者があってのこと。独りの時はホテル近くで夕食を済ませ、部屋でお茶を飲みつつ、昼間の残務整理をするのが定跡。下戸だから、そんな過ごし方も苦にならなかった。 そう言えば、某高校でクラス担任をしていた時、「海猿になりたい」と言う生徒がいた。成績も人柄も良かったので、「まずは公務員になって、それから考えたら?」と水を向け、北海道の某大学への推薦入学はどうか、と持ちかけた。その時、「先生、札幌と仙台って、どっちが大きいんですか?」と聞かれ、イスから転げ落ちそうになった。「あのな、仙台の人口はどれぐらい?」「100万ですよね。デカいです。」「札幌は?」「青森よりはデカいでしょ。50万ぐらいですか?」…黙って地図帳を渡し、統計のページを開かせたら「180万!」と叫んだ彼。あれから20年近い月日が経ったが、彼は元気で居るだろうか? 今日、62歳のワタシは妻と2人で札幌に居る。人生は、実に不思議だ。けれども、ハード・スケジュールで余裕がなく、観光は諦めて早々に帰途に就くことに。昨夜は駅ビル「エスタ」のラーメン共和国「札幌真麺処 幸村」で味噌ラーメンを食べたが、昼は軽く蕎麦にしようかと、再び「エスタ」に入って「そば・うどん 霧の下」の暖簾を潜った。それにしても、猫型ロボットが接客していたのには驚いた。昔、東京で知り合った某アパレル会社の社長さんが「新作は札幌で試してみる。札幌で評判が良ければ、東京で出せる」と言ってたのを思い出した。札幌は、新しいものが見られる街だ。 札幌から苫小牧を過ぎ、八雲に入った辺りで、黒い雲が出てきた。雨が降る気配はないが、海面が少し波立ち、カモメの一団が岸壁で羽を休める姿が見えた。新青森に着いたのは17時過ぎ。5時間30分の旅程だ。飛行機なら1時間弱だが、それでもワタシは、列車の旅を選び続けるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023年08月28日 22時48分41秒
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