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「A級戦犯が合祀されてから参拝やめた」とう今回発表されたメモー天皇のお言葉ーについて
なんか変じゃないの?と思いました。 A級戦犯だけが悪くて、自分は悪くないのかい?って。 (でも「東京裁判を受け入れないと今の自分の立場はない」ということがあるそうなので) 立場的に言ってムリもないか、と思われますが・・(合祀されても行く、という人よりはいい?) ではA級戦犯が合祀されなければいいのか? 問題は実はそんなことではないと思います。 たとえ、分祀されても、国のために戦った兵士のためにある神社という位置づけが変わるわけではないーそのこと自体を問題にしなくてはなりません。 兵隊さんのための神社などないほうがいいのです。 そうしたら、武運をたてて、国に祀ってもらうために死のうという人はいなくなると思います。 かつてある首相は 「靖国神社のようなこういうところがなくて、だれが国家のために死んでくれるか」 といいました。靖国神社の本当の役割はそこにこそあると思われます。 国家同士の争いはあるでしょうが、だから戦うーそのためには死んでもいい、というのではなく、戦争ー殺し合いーという形で現れないように努力し、美しい地球を次世代に引き継ぐのが大人の務めだと思います。これだけ軍備を整えたから安心、という事態には決してならないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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