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いじめも犯罪のうち
といいますが、 いじめっ子の気持というものを考えてみませんか? 誰が好きでいじめたりするものか?と考えてみませんか? その子らはいじめることで自己の居場所を見出しているでしょうか? 自己実現をそこで図ろうとしているのでしょうか? いじめなんて、ホントはつまらないことで、 そこから得られるものなんて、ちっとも心を豊かにしてくれるものではないし、 心から楽しくそれぞれの生活を送っているとはとても考えられない、 と思いませんか。心が貧しいのだと・・・その逆をいくなら?? 心豊かに毎日を送れること それはたとえば・・私の狭い考えでは 自分ががんばってやったことが他者に認められること、 自分が考えたことを誰に遠慮なく表現でき、 ちゃんと受け止めてくれる人がいること、 自分がしたことで他の誰かが心から喜んでくれること 新しい発見があり、知らなかったことを知り、知らなかった人を知り、 いろんな経験ができること 一人でできることもあり、一人ではできないこともあり、 けんかしたり、仲直りしたり、ぶつかり合って 他者の痛みを知り、自分のこともわかってもらえる、 つまりは一人前の人間として、 人格を認めてもらえることが 人をいじめなくて済む道ではないかな?と考えるのであります。 いじめに喜びを見出す必要をなくすこと これが一番だと思うのですね。。 板橋の両親殺害少年に厳罰と言える14年の量刑・・ その判決でちょっと関係ないかもしれませんが、 犯罪に手をそめてしまう心を想像してしまいました。 いじめっ子と共通点はないかもしれませんが・・・ いや、いじめっ子の方が酷いかもしれないという思いが心のどこかであるのですが・・・ しかし結果の重大性はその比ではありませんでしたね・・・ そうであっても、 何か、厳罰化には釈然としないものが残ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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