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先生の訃報に接して、
自分は小学校時代にどんなことを考えていたのか? 振り返ってみたのですが・・ たとえば、戦争はしてはいけないと思ったり、 男女の差別その他あらゆる差別に反対の気持を抱いたり、 貧富の差について、 それはあって当然のものなのか? それとも ある程度までは仕方がないけれども、ある程度以上?はおかしいことなのか? でも、そんなことより、 一番の基本は人としての尊厳、というか、 尊さは他の人も自分も同じ、ということ。 自分だって、尊さはあり、それは他の人以下ではない、 もちろん、以上でもない。 そうした考えは、 ともするといじけたくなるその頃の自分にとって、 唯一心をしゃんとさせてくれる”よりどころ”、なのでした。 平等とか人権とか、 そういうことを教えられたのかもしれません。 教育にとって、何が必要か? っていっぱいあるのでしょうけれど、 一番大事なところは 人権(自分の、そして、他人の)がどういうものか知る事。 そのことが命を大切にすることなのであり、 他人を大切にすることであり、 自分を大切にすること。なのだと思います。 それを教えてくれたのが小学校時代の恩師だと思うのです。 それさえあればどうにか曲がらずに?生きていける・・・自分らしく、 でも、それだけでいいの? 人としての尊厳、それはお金には代えられないものだと思います。 ところが、社会の至るところで、人の命がお金に代えられています。 学んでいる間は男女の差別はさほど感じられないのですが、 働き始めると、その差は歴然です。 給料の額という命の値段です。 会社を儲けさせるのに、女性は劣った労働力ということなのでしょう。 まっとうに評価されることとはどういうことか? 会社にとって都合のいい働き方をしてくれる人。 これが、狭い会社での評価でなく、広く社会の評価として一人歩き?してくれます。 (年金がいい例です。ほんの一例・・ 高い給料をもらっていた人は退職してからも高い年金がもらえる。 安月給は一生ついて回ります。 生涯、お金に縁はないけれども、 人としての尊厳は失うまい、 と思うことは素晴しい、と思います。が・・・) 自分の働きがお金に換算される、 なんだか、それがいやになっています。 そのこと自体が人間の尊厳をそこなうように思えて・・ そうはいっても、 明日からまた元気に働かなくっちゃ、ですが。 ー今働けるところがあるだけでいい、 などという言葉をよく聞きますが、 それも、人間の尊厳を損なう言葉のように思えます。 働く場がない事の方がおかしい。 儲けの関係ない社会を、 お金のいらない社会がいいな~やはり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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