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労働者殺しの言葉ですね。
”労働者の権利殺し”というか。 できればこの世から抹消したいですね・・・ その後に続く言葉は(たいがい) ”代わりはいくらでもいるんだから” と相場が決まっています。 しかし、現状に対して批判的であることをやめて、 いやならやめるしかない、とあきらめてしまっては いつまでたっても! 何事も改善しないと思います。 改善する必要を感じないから、そういう言葉が出るんですね。 年齢で賃下げされても、なんら不都合を感じない人もいることを忘れていました。 というか、男性社員はまだしも女性よりは優遇されていたのでした。 同じ年なのに、3年も賃下げの時期が違うのです。 しかし、賃下げには違いない、 その実感がわかないから今のところ、問題だと考えていないのでしょうか。 それとも、そもそも元になる賃金が違うことも関係しているのか? 同じ境遇を分かち合える人がいなくて残念。 男性にわかってもらおうとしたのが間違い? 確かに労働者全体に関わる問題ではないかもしれない、けど、 一つ一つ、労働条件をよくしていこうという声をあげていく事は大切なことと思います。 そういう声がまるで聞こえてこない、 どころか ”いやならやめれば?” では・・・ これは経営者の側の言葉でしょう。 防衛相が、日本の大臣なのにアメリカ側の説を紹介して?辞任に追い込まれましたが、 労働者が経営者の側の言葉を”自分の言葉”として口にするのはどうでしょうか? 一個の労働者として 日々の労働に喜んで携わりたいと切に望みます。 (相変わらず支離滅裂なナグリガキ、にて自分でもガックリ来ています。まだスランプ状態ということにして♪) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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