カテゴリ:カテゴリ未分類
産経新聞のコラムから
「地球人という不誠実」という6月14日の記事が目に留まりました。 「地球人」のどこが不誠実なのかしら? 記事では、「地球愛」「地球人」という言葉にかなり不誠実なものを感じておられる御様子なのですが。 ――「辞書(広辞苑?)に地球愛という言葉はない」地球を愛せよと言ったって 「人でも生物でもないものは愛せない」 ある辞書によると日本人は「さかのぼれる限りの昔から日本に住んでいて日本語を話す人」ということになっていて、 「地球語を話す人はいないのだから、地球人はいない、 地球愛も地球人も不誠実な言葉で、わけがわからないし、軽薄だ」―― というようなご意見だったと思います。 全体、このコラムの方は何が一番言いたいのか、わかりませんでした。 何で「地球愛」や「地球人」に文句を言ってるのか、 ただ単に不誠実だの軽薄だのと言われても納得がいかないのですね・・・ 人や生物以外のものを愛せないというなら、国家だって愛せない対象になるし、 (この新聞の主張では国家を愛せよと言うのは正しいということになってますヨネ) 郷土愛と言う言葉はあるけれど、人や生物じゃないような・・・ 「地球愛」という言葉にだけ違和感?を感じているようにお見受けするのですが、それが何故なのか、合理的な説明になっていないように思われます。 地球語を話す人はいないから地球人もいない、とは 私には「くだもの」という名前の「果物」はない、という言葉と同義に思えます。 人類全体が地球人なのではありませんか? なぜ、地球人という言葉にこれほどまで敵意をむき出しにするのでしょうか? 人類全体の共通の願いなんてない、と言いたいのかしら? どこそこの国の人と、日本人とは根本的に何かが違うのでしょうか? それとも、日本人独自の利害を考えなくてはいけないから、 地球人全体のことなんて考えてはいけない、と言いたいのかな? 「宇宙船地球号の運命共同体」の一員 とは考えたくない? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|