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年末押し詰まってきました。
美術鑑賞会も、今年最後でした。 今年は、いろいろ挑戦しました。充実した1年だったと言えます。 そして、来年はどうしようと、考えています。 そんな時、ちょうどぴったりの本を読みました。 残間里江子著『引退モードの再生学』(新潮文庫)です。 2005年発刊の残間里江子著『それでいいのか蕎麦打ち男』が『引退モードの再生学』という題名で今年の3月に文庫本になっていました。 当時よく「蕎麦打ち男」という言葉聞きました。 おそらく、この『それでいいのか蕎麦打ち男』の影響だったのだと思います。 今回本屋で、『引退モードの再生学』を見つけ、ぱらぱら見ていたら、これは読まなくては、と思い、すぐ買いました。 どこに惹かれたかと言うと、団塊世代の男性が定年前後になると、蕎麦打ちや陶芸かNPOの世界に走るほどパターン化して、発想が貧困な引退生活を送ろうとしていくことを、いささか<批判している>ところです。 「蕎麦打ち」とか「陶芸」をはじめませんか、という世界にいたので、なぜいけないのかな、と思いました。 NPOで活躍。これもなかなか積極的な生き方で、だれもが出来ることではないことで、パターン化しているといいいますが、良い方でのパターン化ではないかな、と思えないこともないです。 ばくぜんとそういう風に思っていたのですが、この本を読んでいるうち、いろいろ考えさせられました。 身近には、退職して「蕎麦打ち男」とか「NPOの名刺をばらまく御仁」がけっこういます。 そういう人の中で、取り柄なく、うろうろしているというのが、私の定年後の姿です。 どちらかと言えば、パターン化の一歩手前にいるということです。 蕎麦打ちは、何度かしましたが、大変だなと思って、あまり好きにはなりませんでした。 NPOというのは、いまだによくわかりません。 非営利公益活動を継続的に行うために、お金を稼ぐ事業を行うNPOもあれば、ほぼボランティアの労力だけで活動するNPOもあります。 「NPOは精錬潔癖なボランティア団体ではない」という感じは持っています。 組織になると、得をする人、損をする人が出て、私などはたぶん損をするところにしかいられないだろうな、と思います。 そういうことで、蕎麦打ちやNPOのすぐすぐそばまで来ているのですが、そこで止まっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.21 21:30:14
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