テーマ:食べ物あれこれ(50291)
カテゴリ:懐古趣味的生活行為
米は、洗うのではなく、研ぐ(とぐ)と言うが、 最近は、無洗米。などと言うように、 洗う。という行為に変化しているのかな? 洗う、というから、洗剤とかを入れたりして 洗うものだと思ってしまいそう。 テレビの料理番組をあまり見ないので、 どんな表現なのか、気にかかるところ。 母は大正7年大阪の堂島生まれ。 曽根崎小学校から大手前女学校に進学している。 花嫁修業として、料理はクラブ関西の井上耕作に、 お花は安達流のお家元に、 (おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、見たいな言い方やね) 師事した。 この、井上耕作さんは、テレビ放送で料理番組が始まると すぐ、テレビに出ていた人なんだ。 と、思う。なんせ、オイラが小学校3年くらいの時に、 見た記憶があるくらいだから。 この人に料理を習っていたの。と、 画面を見て言ってた。 楽しみ、と言うほどの事でもないけど この、井上先生、口癖があり、 料理の食材や、調味料、調理方法の説明の時に、 「ちょっとこう・・」 「んで、ちょっとこう・・」 「これを、ちょっとこう・・」(します。と続くが言わない) とばかり言う。 で、ウチでは、「ちょっとこう・」が始まる。とか 言ってたわけ。 同じ時期に、どこの局か忘れたが、 天気予報で、 「実は・・」と、発言の最初に必ず入れる予報官がいた。 「実は・・明日は晴れなんですね。」 「実は、この低気圧は・・」 とか言う具合。 これをば、オイラの家族は大いに楽しみ、 「ジツは。」が始まるよ。と、一同テレビの前に 集まったりした。 まだ、意味も分からないから、何で面白いの? とか、聞くわけ。 ジツはね、、じゃないが、 実は、と言う言葉は、天気予報には これこれこういう理由で、そぐわないから 面白いのだと、教えてくれたりした。 洋風料理をわざわざ先生について習うくらいだから さぞや、毎日の食卓は賑やかしいものになっていただろう。 と言う状態ではゼンゼンなくて、 全く地味な物であったが、丁度この小学校3年くらいには、 あの、○キンラーメンが発明されており、 しかも、同じ市の発祥であるから、 オイラは早くに体験している。 工場がすぐ近くにあったから、衛生上良くないとかの 噂も聞いたが、 ホットケーキか、○キンラーメンか、と言う具合に おやつにはよく食べた。 程なく、うどんスープ。なる物も出来たと思う。 それから、粉ジュース。 当時は鰹節は削り器がどの家庭にもあり、我が家は かつぉぶしの事をおかっつぉ。と呼んでいて、 おかっつぉ、作って頂戴。とお手伝い。 カシャかしゃ削るがなかなか下の箱に溜まらず、 つまらなかった。 工場で大量生産の調味料がどんどん出てきた時代。 一方では、おこぶやさん、佃煮やさん、などの 従来の食材をそのまま提供する小売店も繁盛していた 時代。 コロッケ一個10円、キャベツの千切りつき。 食パン一斤、35円くらいの時代。 ******* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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