カテゴリ:懐古趣味的生活行為
タイトル:騙す人 ダマされる人
↑この本を再読中。(なんですけど画像はないのです。) 1947年3月29日の朝日新聞に 『日銀倉庫に隠れた 百億円のダイヤ 議会で無登録明るみに』 の記事が載っている。 戦時中、政府が半強制的に買い上げ、交易営団が保管していたダイヤモンド(評価額百億円) が終戦直後、無登録のまま日本銀行の倉庫に保管されていたというのである。 その事実が明らかにされたのは衆院石油配給公団法案委員会の席上でだった。その問題について世耕氏(前のページから出ている方) ・・・ 終戦後の経済安定本部隠退蔵物資特別委員会(委員長・石橋湛山・安本長官)を設けて本格的摘発に乗り出す。その中心になったのが、副委員長に就任した自由党代議士の世耕氏だった。いわゆる、「世耕機関」と称され、隠匿物資摘発の世耕旋風が吹き荒れる。 ・・・ 世耕氏は3月29日の衆院決算委員会で次のように述べた。 『極秘裏に真相調査した結果、まんざらうそでないと判明し、某前政務次官を通じて、日銀総裁に金庫封鎖の処置を取ってもらった。このダイヤは終戦後、池山という営団の理事の自宅に置かれていたという事で、私にこの情報が入ったのは数ヶ月前、ダイヤモンド五升ほどあるが、 ((筆者←あたしのこと)ここで、、思考停止した。) ダイヤモンド、5升か・・・。 ちなみに、升は体積の単位、一合は180ml、10合で、1升(しょう)。 その一部百万円を譲りたいという話からで、私は渋谷警察署に手配してもらったが、結局駄目になった。私はそのこそこそと売買せんとした態度から、その背後には百億円以上のダイヤモンドが隠匿されていると感じた。』 (1947年3月30日朝日新聞) この日銀倉庫に眠っていたダイヤは、軍需資材として特殊法人交易営団が44年8月15日から11月14日までの3ヶ月間に国民から買い上げたもので、数量的には70万カラットから80万カラットに達したと言われる。 (バックコーラス、そうや、あのとき、・・と遠い目。としこ大叔母は、ちなみに富豪であったが、もうそら、ダイヤから何から、金銀、象牙、何でも全部!吸い取られた・・と言ってたっけ。。) 達したと言われる。 世耕機関が封鎖した時、どれだけのダイヤが実際に日銀倉庫にあったかは、判然としないが、 (バックコーラス、いつも、、判然としないのだなあ・・)52年4月のサンフランシスコ講和条約発効直後には26万カラット、さらに66年秋に政府が払い下げを開始した時には16万1300カラットに減っていたという。イギリスなどへも一部返還されているが、それはごくわずかで、結局、5、60万カラットのダイヤが蒸発した計算となる。 (5000タッチに達しました。今日はこの辺で) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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