カテゴリ:情報的生活行為
限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話 (朝日新書941) [ 吉川祐介 ] 以下引用p234より。→ 僕が東京都内から千葉県に転入して八街市内の家の近所には、ちょうど1990年代初頭、地価がピークに達した時代にその土地を購入し、自宅を新築した老夫婦が暮らしていた。2017年の時点で、その分譲地内にはまだ多数の空き地が残されていて、いつ買い手が付くのかもわからないまま草刈りが繰り返されていたのだが、その夫婦は、自宅を建てた60坪の土地を、当時2000万円という価格で購入したのだという。1990年代前半頃、八街市内の建売住宅は、一般的なファミリー向けサイズで 3000万~4000万程度で販売されていたが、当時の金融機関の一般的な住宅ローンの金利を考えれば、総支払額はその販売額の2倍以上になる。 本書執筆時点で、その分譲地の最も安い売値は、51坪で47万円という価格だが、金利を度外視した物件価格だけでも、土地の実勢相場は30分の一以下にまで下落している計算になる。「私たちは一番高いときに買ってしまった」と力なく語っていたその姿を前に、今はそんな時代じゃないからあきらめろ、などと面と向かって言う勇気は僕にはなく、その時代は八街だけが高かったわけではないですから、と語ることしかできなかった。 (中略) まして実際にそこに自宅を建てて暮らしたわけでもなければ、菜園として使うことすらもなく、ただ土地を所有し続けただけの人にとっては、事実を書き連ねるだけでも古傷をえぐられるような話であろう。半面、おそらく「限界ニュータウン」に縁のない多くの方にとっては、そんな話も遠い地における珍奇な事例のひとつにすぎないはずで、結局僕は一体誰に向けて問題提起をしているのか、自分でもわからなくなる時がある。 ←引用ここまで。p235 しかしながら著者は続いて言う。 「事実は事実として発信しつづけたい」と。 なかなかここまで、言えないわなあ、と思う。 任意の日本列島のごく小さな市の中のこれまた、小さな分譲地に焦点を合わせて 日本人の土地神話?についての考察を、 不動産業界の(本人は業界人でない)仕組みや、ここ半世紀の歴史を考察して 読者に分かりやすく問題点を提示している、、と感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年04月05日 06時35分37秒
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