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箱庭

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鳥海摩耶

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非常口

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2012.11.30
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カテゴリ:HoI2AAR
 ロンドンで始まった戦後処理の国際会議は、すでに水面下で行われていた外交交渉が表立って動き始め、各国の首脳が直接世界の未来を話し合う段階に至った。その中で、最も発言力を発揮したのは言うまでもなくアメリカ合衆国、そしてアイゼンハワーだった。第3次世界大戦において最も活躍したアメリカ合衆国の元首たるアイゼンハワーの言うことには誰しもが耳を傾けずにはいられず、アメリカ合衆国の主張は特に無理な要求でもない限り大抵通ったし、アイゼンハワーはその外交的発言力を最大限利用したのである。

 そしてアメリカ合衆国の発言力を飛躍的に高めたのは、ロンドン到着と同時に公表された核兵器の存在であった。核兵器、すなわち原子力を応用した新型兵器の開発は各国の技術開発関係者から度々漏れ出ていたが、一般にはごく一部しか知られていない存在だった。それが、アイゼンハワーの声明でアメリカ合衆国が存在と保有を公式に認めたことで、世界中に認知された。

 核兵器の開発はアメリカ合衆国以外にもイギリス、フランス、スイス、ドイツ、大日本帝国、中華民国、といった大国が次々に行ってきた。だが、実際に成功して配備した国家は、この時点でアメリカ合衆国しか存在せず、一時的にアメリカ合衆国の軍事的パワーは(これまでにも増して)飛び抜けた破壊力を持っていたのである。しかし、アイゼンハワーは核兵器の使用と威力は絶対的なものであったが、第3次世界大戦開戦前から核兵器を保有していたことも認め、同時に人類ならば核兵器の使用は制限できるということを示した。

 また、アイゼンハワーは原子力エネルギーの平和利用を目的とする国際機関の創設を提唱した。後のIAEA(International Atomic Energy Agency:国際原子力機関)に繋がるこの演説は「平和のための核」演説と呼ばれ、アイゼンハワーのノーベル平和賞受賞の理由の1つとなるが、この段階では強力な兵器の登場に誰もが驚愕している状況で、議論はまだ始まったばかりであった。

 核兵器の利用はひとまず脇に置かれ、戦後処理が本格的に始まった。まず、旧ドイツ第三帝国の領土の分割である。ドイツ連邦共和国は一切の海外領土の領有を放棄したため、アメリカ合衆国主導で再独立が行われた。中でも独立が相次いだのはロシアである。かつてのソビエト連邦は第2次世界大戦前にバルト3国までも吸収したが、第3次世界大戦を経てその領土は細かく分断された。まず、バルト3国やベラルーシ、ウクライナなどの独立が承認され、ロシア本国についてはウラル山脈以西のドイツ第三帝国領となった地域を「ロシア共和国」として独立を果たした。ソビエト消失後、連合国の共同統治地となっていたウラル山脈以東も分割されて西部をトランスウラル共和国、中部をシベリア共和国、東部をプリモルスク共和国として独立させた。足掛け10年に及ぶロシア領土問題がここに解決されたのである。

 続いて、ドイツ第三帝国、ナチス政権の責任者の処遇が話し合われた。自殺した初代総統アドルフ・ヒトラーはドイツ建国史上に残る悪魔とのレッテルを張られ、本人の望まぬ形で歴史に名を刻んだ。彼に付き従ったヘルマン・W・ゲーリング、ハインリッヒ・L・ヒムラーらはドイツ国内、彼の後を継いだカール・デーニッツ、マルティン・ボルマンらはペルシャにて拘束され、ドイツ連邦共和国内でドイツ人により裁くことが決定された。連合国が彼らを裁くべきとの声もあったが、法の不遡及の原則から逸脱し、いまだ法制度の確立されていない「侵略戦争」を裁くことは後々の諍いの種となることは自明であったため、米英日各国の反対により見送られ、結局彼らの処遇はドイツ連邦共和国に押し付けられた。結果、ナチス幹部は軒並みユダヤ人やポーランド人などのジェノサイド(ホロコースト)について殺人罪に問われ、懲役刑や死刑の判決を受けることになる。

 最後に、アイゼンハワーの提案により国連、特に安全保障理事会の権限強化の議論が国連関係者を伴って行われた。第2次世界大戦後世界平和を目指すはずだった国際連合がついぞ第3次世界大戦の勃発を止められず、提唱者たるアメリカ合衆国によってその目的を達成できなかったことが問題視され、安全保障理事会の権限強化が求められたのである。従来、安全保障理事会は5ヶ国の常任理事国(米英日中印)のみで構成されていたが、国連加盟国の急拡大により10ヶ国の非常任理事国枠を追加し、安全保障理事会に提起された紛争案件は3分の2以上の国家の賛成により介入できる権限を保持した。すなわち、国連加盟国100ヶ国以上の内、10ヶ国以上の賛同が得られれば、国連加盟国は多国籍軍を編成し、「敵」と認定された国、勢力に対し派兵しなければならない義務が課せられたのである。

 強力な紛争解決手段を得た国連安保理はIAEAという核兵器を管轄とするバックアップ機関の助力もあって、世界中に抑止力を働かせることになる。

 ロンドン会議は半年間に渡って開かれ、その後百年の世界の枠組みがアメリカ合衆国主導の下決定された。



世界史

 ロンドン会議がまとまったことで、第3次世界大戦後の国際的な枠組みはほとんど決定された。すなわち、国連安保理常任理事国の米英日、これに戦後急速な経済成長を見せたドイツ、ロシア、イタリア、中国、インドを加えたG8は世界を様々な面で牽引する国家であった。

 彼らがまず相対した課題はナチス政権の忘れ形見、ヴィシーフランスの処遇である。ヴィシーフランスは親独政権であったが、ナチス政権崩壊後宙ぶらりんの存在となった。国連安保理では圧力をかけて政権を解体してしまおうという案もあったが、アメリカ合衆国を筆頭に多くの国々が新しい国連の活動指針を示す機会をこのヴィシーフランス問題で示すことを提案した。

 結果、ヴィシーフランスに対してはまず外交交渉で歩み寄る姿勢を見せることになったのである。交渉を主導したアメリカ合衆国が管理していたフランス北部ではヴィシー政権への編入や分離独立を求める運動が盛んになっており、当人が必死になるのは当然であった。アメリカ合衆国はフランス北部の統治権を放棄し、ヴィシーフランスへの編入を認めた。そしてヴィシーフランスはアフリカに抱える植民地の独立を容認した。同時にヴィシーフランスは国連に加盟し、後には非常任理事国として受け入れられる。植民地を手放す働きかけは、ポルトガルに対しても行われた。

 ヴィシーフランスとポルトガルの「懐柔」により反米、反連合国勢力は力を失った。核兵器については、開発を許されるのは国連の管理下にあるアメリカ合衆国国内のロスアラモス研究所のみとなり、それ以外で極秘に作られる核兵器製造用の原子炉は直ちに国連安保理の号令の下編成された多国籍軍の破壊対象となった。核兵器の拡散は核拡散防止条約(Nuclear Non-Proliferation Treaty:NPT)によって厳しく制限される一方、ニュークリア・シェアリングにより世界で唯一公式に核兵器を提供できるアメリカ合衆国が一部の国家と「核のボタン」を共有している。現在、ニュークリア・シェアリングを認められている国家は、大日本帝国、イングランド、ドイツ連邦共和国、イタリア、ロシアといった先進国のみである。

 地球上で最も強力な軍事力を誇るアメリカ合衆国は世界で唯一の超大国として君臨し、パックス・アメリカーナの時代は今なお続いている。


続く。

HoI2集

アメリカAAR






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最終更新日  2012.11.30 11:12:14
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