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「軍の戦略を聞こうか」 大日本帝国海軍連合艦隊(GF)司令長官 山本五十六 「はい、閣下」 「何故に山本が説明?(ヒソヒソ」 「一応、侵攻作戦の第1段階が制海権の確保だからです(ヒソヒソ」 「よろしいでしょうか?」 「もう全然OK」 「はい。まず、海軍がウラジオストク、オホーツクの港湾を封鎖、ソ連海軍艦艇を封じ込めます」 「制海権が確保できた後、ウラジオストクの東、テチューケに陸軍の大陸侵攻軍を上陸させ、舟艇機動で迅速に北上していき、ウラジオストク、ハバロフスク、オホーツクを随時占領していきます」 「最終段階として、赤軍の陸上部隊を撃破しつつ西進、ドイツの進撃を東から援護する、という段取りになっています」 「予定作戦期間は?」 「年内、となっております」 「いけるところまで、ということか」 「ドイツ軍の進撃速度を考えれば、どちらにせよ年内に戦争自体が終わりそうではあるが・・・結構、そのまま進めよ」 「はっ、ジークハイル!」 「・・・というわけで、閣下の承認は得られました」 大日本帝国陸軍参謀総長 稲葉四郎 「ご苦労様でした」 大日本帝国陸軍大臣 田代皖一郎 「ご苦労」 「・・・それにしても、よもや我国とアメリカが同盟を結ぼうとは」 「我国とかの国の国力差を鑑みれば大正解だったと思います」 「そして行き着いた先が対ソ戦か。北進論者たちは大張り切りじゃわい」 「シベリア出兵から20年も経っていないというのに・・・」 「・・・上陸後は陸軍主導の作戦になります。よろしくお願いしますよ?」 「わかっておる。復仇戦でもあるんじゃからな、負けられんよ」 帝国陸海軍による大陸侵攻作戦は順調に推移した。独ソ戦を重視して極東にはわずかな兵力を置いているだけだった赤軍は虚を突かれた格好となり、4月末には包囲されたウラジオストクが陥落した。同基地やオホーツクの海軍基地は開戦間もなく帝国海軍の海上封鎖下に置かれ、艦艇は港の外に出ることは不可能となった。 帝国陸軍の進撃はインフラの整っていない内陸部に移ると目に見えて鈍化したが、赤軍の影は見当たらなかった。帝国陸軍航空部隊が浸透爆撃を積極的に実施し、会敵する前に敵部隊を撃破したことが大きく作用した。 独ソ開戦より1年、独ソ戦における最前線はウラル山脈にまで達していた。 極東から攻め入る帝国陸軍の進撃速度は低インフラのために遅々としたものではあったが、確実にソビエトの体力を奪っていた。8月5日には中国軍がモンゴルの首都ウランバートルを占領し、併合を宣言した。同日、スヴェルドロフスクがドイツ軍の攻勢により陥落、ソビエトの命運は尽きた。 モンゴル併合、スヴェルドロフスク陥落が契機となり、関係国による和平交渉が一挙に進展し、1942年8月15日に講和条約が発効した。 この条約でドイツはウラル山脈以西の広大な領土を獲得、「生存圏」を確固たるものとした。大日本帝国はバイカル湖以東の領土を獲得し、モンゴルを勢力圏に加えた。日本海からベーリング海峡の沿岸部を領土とするプリモルスク共和国を建国し、悲願であったソ連との緩衝地帯を得た。 独ソ戦におけるドイツの勝利は連合国に動揺を与えた。今や欧州における連合国の拠点はイギリス本国のみという惨状であり、今後はドイツ軍の全力が対連合国戦に向けられるという事実も加えれば泣きたくなるのも無理からぬ話であった。 一方の枢軸国も、次の一手を悩ませていた。独ソ戦の勝利により生じた膨大な余剰戦力は軒並み中東戦線へと振り分けられ、連合国の勢力圏を少しずつ削っていたが、肝心のイギリス本土に対する攻勢は全くと言っていいほど進んでいなかった。ロイヤルネイビーはその力を存分に見せつけ、ドイツ軍の水上艦艇が北海に出ることを許さなかったのだ。そのため、西部戦線は1940年夏から全く動いていないという状況にあった。 この膠着状態の中、枢軸国と連合国による日米同盟の取り込み合戦が始まるのは自明の理であった。世界第1位、第3位の規模の海軍を擁するアメリカ、大日本帝国両国の戦力はどちらの勢力にとっても魅力的だったのだ。引く手数多の状況の中、日米両国は外交ルートを通じて話し合ったが結論は出ず、決着は首脳会談に持ち越された。 続く。 HoI2集 大日本帝国AAR2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.12.11 09:11:14
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