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日米首脳会談は、表向き経済協力の強化、戦車数百両の供与などで合意し、閉幕した。しかし、秘密協定の噂は会談終了直後から飛び交っており、枢軸国と連合国の戦いに日米同盟が何らかの形で加わることは予期されていた。
1943年5月1日、突如として大日本帝国はペルシアに領土内での軍隊の通行許可を求めた。当然ながらペルシアは拒絶。7日、大日本帝国はそれを理由に宣戦布告。イギリスを筆頭とする連合国は対日宣戦を行い、第2次世界大戦は連合国対枢軸国+日米同盟の様相を呈した。しかしながら、枢軸国と日米同盟は積極的に協力体制を構築しようとしなかった。どちらもあくまで単独での連合国の打倒を目論んだのである。 連合国にとっては災厄以外の何ものでもなかった。すでにフランスは本土を失い、イギリス本土もバトル・オブ・ブリテンでの英国空軍(RAF)の活躍でどうにか守られたものの大規模な反撃を実施するにはまだ早い情勢だった。そんな中での日米同盟参戦である。特に連合国とアメリカは表向き良好な関係を築いていただけに、衝撃は大きかった。 だが、日米首脳会談においてイギリスの凋落と権益の損失が確定的であるという結論が出されると、「ドイツに取られるよりはマシ」という打算が働き、日米同盟はその権益、覇権を狙った。こうして、枢軸国と日米同盟による連合国の分割レースが幕を開ける。 5月30日 「閣下、ドイツがペルシアを併合しました」 「インドに踏み入れられる前に勝負をつけたいな・・・」 「ぱきすタンも守られるべきです」 「うわあ、一時期流行ったなぁ、国の擬人化」 「まだ続いてるんじゃないですか?」 「ヘタリアとかな・・・」 「まさかアレが映画化されるとは思いもしませんでしたけどねぇ」 「アレはもう・・・腐ってやがる、遅すぎたんだ」 「ですよね~」 「そんなことより、チキチキチキンレースだ。早いところ東南アジアを落として、連中がインドに入る前に入口を塞ぎたい」 「具体的には、パキスタンのカラチを押さえられればいいんですよね」 「進撃路としては、強襲上陸を利用してシンガポール、セイロン、カラチと進むのが手っ取り早いだろう」 「ではそのように」 6月2日 「タイ を なかま に しますか?」 「→ はい いいえ」 「 はい → いいえ」 「→ はい いいえ」 「タイ が なかま に くわわった」 6月8日 「アメリカ様がカナダを併合しました」 「1ヶ月か。容赦ねぇな~」 「ついでに、我国もオランダを併合しました」 「うおお。資源備蓄量が一気に増えたな・・・」 「それで、予定通り大東亜共栄圏を?」 「うむ。インドネシアはいずれ独立だ。とりあえずは、セイロンを独立させて拠点にしよう。急がんと間に合わん」 続く。 HoI2集 大日本帝国AAR2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.12.13 09:51:49
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