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8月19日
「ネパールを併合しました。これで南アジアは一通り占領しましたね」 「うむ。次はオセアニアと一緒に中東を食ってしまおう」 「イラクやイスラエルの辺りはドイツ様に食べられてしまいましたが」 「そこではなく、オマーンとイエメンだ。イギリス海軍はいくらか戦力を残しているし、ここを拠点にインド洋で暴れられたら面倒だからな」 「御意」 11月27日 「閣下。中東が片付きました」 「3ヶ月もかけたのかよ!」 「インフラの悪さと兵の少なさ、航空隊に経験を積ませるため、全ての敵陸上部隊が溶けるまで爆撃したからです」 「虐殺の域だな・・・」 「ちなみに、10月23日にオマーン併合、11月17日にイエメン併合、本日両国再独立となっています」 11月29日 「オーストラリアを併合しました」 「全然SSを撮っていない・・・」 「それだけ順調だったのでは?」 12月27日 「ニュージーランドを併合しました」 「どうにか1943年内にオセアニアを押さえられたな」 「これでインド洋と太平洋は我日米同盟の支配下に入ったわけですね」 「そうだ。次は・・・大西洋か」 「いかがいたしますか? アフリカ大陸経由か、アメリカ大陸経由かの選択肢がありますが」 「アフリカは面倒臭いな・・・」 「そうですね。ではアメリカルートということで」 「うむ。遣米艦隊を編成しておいてくれ」 「何それ燃える」 1944年1月20日 アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市 太平洋方面での作戦を終えたGF司令部は、休む間もなく麾下に遣米艦隊を編成。かつて最大のライバルでもあった日米海軍の共同作戦が、大日本帝国から見れば文字通り地球の裏側である南米という場所で実施されることになった。遣米艦隊として派遣された戦力は、空母6隻を中心とした第2機動艦隊、戦艦8隻を中心とした第1戦艦艦隊である。 両艦隊はマイアミ市において観艦式を行った。大日本帝国海軍の主力艦艇がアメリカ本土の人々の目に触れたのは同盟締結後初めてのことであり、話題を呼んだ。その目玉は、世界最大最強の戦艦、大日本帝国の象徴たる「大和」である。マゼラン海峡をはるばる迂回したのは、第1戦艦艦隊の主力たる「大和」や「長門」がパナマ運河を通過できないためであり、それだけでも特別扱いを受けていたことが窺える。 GF兼遣米艦隊旗艦「大和」 「大日本帝国海軍GF司令長官、山本。微力ながら南米における戦いに助力するため参りました」 アメリカ合衆国海軍大西洋艦隊司令長官 チェスター・W・ニミッツ大将 「長距離の移動、ご苦労様です。しかし、大きな戦艦を造ったものですね」 「はは、大本営閣下の勅令でして。3年後までには大和型戦艦は6隻になっている予定です」 「・・・お互い、上層部の意向というものには悩まされそうですな」 「何ともはや」 ニミッツ直属の上官に当たる作戦部長アーネスト・J・キングは大の日本嫌いであり、この共同作戦にも強硬に反対していたが、ルーズベルトの政治判断により渋々受け入れたという経緯があった。 「それにしても、南米を攻略するのによくこれだけの戦力を回せましたね」 「・・・貴方にならば言っても構わないでしょう。我々は、南米での作戦を終えた後、欧州に向かう予定ですから」 「・・・なるほど。ともあれ、これだけの加勢があれば大西洋方面の作戦は楽に行なえます。期待していますよ」 「最善を尽くします」 続く。 HoI2集 大日本帝国AAR2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.12.16 09:40:03
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