摩耶の旅 第10回「フランスの黒」 1950
1950年戦後処理が進む中で、枢軸同盟、特にフランスの発言力の高さを証明する事件が発生する。枢共戦争時、フランス海軍はそのほぼ全兵力を黒海に進出させていた。トルコ侵攻からウクライナ周辺での戦いが終わるまで、艦砲射撃や航空攻撃で地上部隊の援護を積極的に行ったものの、その後は出番なく黒海沿岸の同盟国海軍基地で半ば放置されていた。ところが、新たにトルコを統べる事になったオスマントルコが、「ボスポラス海峡の軍艦の通行は禁止する」と一方的に宣言したのである。正確にはゲームシステムの賜物なのだが、この宣言にフランス政府、海軍は猛然と抗議した。再建成った機動部隊やら、揚陸艦隊、戦艦部隊までもが黒海で放置されているわけであり、フランス軍が重視する即応体制が整わない事になる。そこでフランスは、オスマントルコ首脳が「戦時は開放する」と発言した事を受け、戦争を「起こす事にした」。フランス政府がデンマークを選んだのは、国土が狭いために戦争期間が短くて済む事、ドイツという大国の隣国であり、すぐにドイツ軍が侵攻出来る等の理由からである。ドイツを抱き込んでのこの戦争は、デンマークにとって災害であった。なお黒海にいたフランス艦隊は、即日軍港を出港し、本土へと回航されている。この戦争は枢軸同盟に対する警戒心をさらに煽るものとなった。しかし、表立って批判出来る程、枢軸同盟は弱くなかった。大陸規模で広がる軍事同盟は、すでに互角に渡り合える存在を失っていたのである。続く