涼宮ハルヒSS「ムーンライト」 前編
暦の上では秋になっているはずなんだが、地球が夏風邪でもひいたままなのか、9月になったところでさしたる季節の変化も感じられない日々が続いている。あの終わらない夏休みが15,497回・・・だったか? が俺の夏休みの課題と共に終わりを告げて学校が再開し、戦うウェイトレスが主人公で内容もやっぱり滅茶苦茶な映画を上映することになる文化祭の前だ。俺は比較的穏やかな日常をすごし、授業も聞き流して怠慢な学生の模範のような生活を送っていた。 しかしむべなるかな、俺の日常生活での平穏は、神様でも見ているのではないかと思うぐらい簡単に消えてなくなるものにすぎないのである。何より厄介なのは、それを吹き飛ばすのは神様とか仏様とかのような眼に見えないものではなく、実体を持って俺の後ろの席で惰眠をむさぼっているということだ。本当に、この世界をどうしたいんだろうな、こいつは。*「お月見をしましょう」 穏やかな日々を破壊するのは、我らがSOS団団長にして世界一理不尽な道理と力を持つ人間、涼宮ハルヒその人である。のどかな9月のある日、俺は相も変わらず文芸部部室改めSOS団の部室に顔を出し、無表情ノーリアクションを人間にしたような長門有希はこの期に及んでも分厚いSF小説に眼を落としたままで、今もそうだが将来さらにグラマラスになることが決定しているメイド服な朝比奈みくるさんはいつも通り俺たちの給仕していた手を止めてハルヒの言葉につぶらな瞳をパチクリさせ、これも普段通りの微苦笑を浮かべたハンサム野郎古泉一樹はハルヒの唐突すぎる言動にも動じる様子を見せていない。それがもう普通となってしまった部室の中に、ハルヒの言葉は広がって消えた。しかし誰もつっこみをいれないので、これも何故か普通になった俺のつっこみが入る。「なんで月見なんだ?」 俺がそう言うと、ハルヒはいつも通りの凄味のある笑みを顔に張り付け、高らかに宣言した。「いい、キョン。お月見はね、その名前の通り月を見る行事よ。でもね、どうせ月を眺めるなら一番月が綺麗に見える時に見ないと損じゃない。それでね、一番綺麗な月は中秋の名月なのよ!」 悪いが中秋の名月くらいは知っている。気にしたことなんてなかったがな。というより俺はハルヒ以外に中秋の名月なんぞを気にかけ、実際に月見をしようという思い付きをするやつを知らない。まあ、そろそろ慣れてきているが、こいつは一年中カーニバルでなければぶぅたれる特殊な感性の持ち主だ。それを考えれば、ハルヒがきっと日本人の9割が忘れているか「だからどうした」と思っているであろう中秋の名月をイベントとして捉えるのは、犬が人の言葉を喋れないのと同じくらい当たり前であると言えるだろう。「それで、具体的にはどうするんだ?」 ハルヒは嬉々とした表情のままで、俺を馬鹿にするように睨めつけて言った。「月を見て、お団子を食べる。以上よ」 簡潔この上ないSOS団的活動の中身をハルヒは披露した。昨日の様子から考えて、今日思い付いたばかりなんだろう。そのため内容が特に捻りがないのも当然と言える。空を見上げるのは8月に天体観測をして以来だ。あの時は終わらない夏休みの中の活動の1つとして、長門のマンションの屋上で星を眺めたものだった。眠っちまった朝比奈さんやハルヒの寝顔をじっくり見えたのも役得と言えば役得だ。 俺が過去の思い出に頭を巡らせていると、その沈黙をどうとったのかハルヒが全員に眼を走らせる。各自の状況は先程からあまり変わっていない。「みくるちゃん」 まずハルヒの毒牙にかかったのは、愛すべきSOS団のマスコットであり、実は未来人でもある朝比奈さんだった。「いいでしょう、お月見。この時期には最高の行事だと思わない?」「は、はい。そう思います」 朝比奈さんはハルヒの爛々と輝く眼力に敗け・・・いや、気遣いのあるこの人とハルヒでは勝負にすらなりそうにない。ハルヒは朝比奈さんの返答に満足そうに頷き、次は窓際で彫刻のように固まっている宇宙人、長門に水を向けた。「有希」「いい」「わよね」 もっとも、長門も反対意見を述べたことはない上、素気ない単語で返事が返ってくる。ハルヒもそれが分かっているから、必要最小限の問答で済ませた。「古泉君はどう?」 夏休みのSOS団合宿の手引きをしたことによって副団長に昇進した古泉は、ハルヒに対しても誰に対しても微笑みを絶やさずに接し、忠実なイエスマンであり続けている。きっとこいつの素がそうなんだろう。何かとむかつく態度を取ることも少なくないのがたまに傷だが。ちなみにこいつも「機関」とやらに属し、5W1Hに著しく束縛される超能力者で、ハルヒに興味を持つ集団の一員である。 3人とも普通に学生生活をしていて、ハルヒも3人が一般人であることを疑っていないが、俺は散々超人ぶりを見せ付けられたため、今ではそっちの方が普通になってしまった。そのおかげで、かなり刺激的な日々を送っていた俺の常識やら価値観はこの半年で激変してしまっている。「おもしろそうですね」 古泉は俺の予想通りニヒルに微笑み、髪を掻き上げる。それが結構サマになっているので、少しいらつく。「中秋の名月を眺めるのもなかなか乙なものだと思います。風情がありますしね」 心底そう思っているかのように言って、古泉はハルヒの提案に賛成する。「じゃあ決まりね」 おい、俺の意見は。「何よ、反対意見でもあるわけ?」 いや、反対はしない。そもそもお前が俺たちの意見を聞き入れることが少ない気がするが。「何言ってんの。あたしはいつも聞きわけのいい団長よ」 これまで犯してきた暴挙の数々を思い返すとそれが詭弁であることは自明であるのだが、ハルヒにしてみればその意見の方が詭弁なのだ。素晴らしきかなジャイアニズム。いや、世界を自分中心に回るようにしたいと七夕の時に判明してからは、剛田君の方がまだ大人しいのではないかと俺は睨んでいる。「で、あんたは行かないの?」 やはりハルヒは自分の優位を確信しているらしく、笑顔のままで俺を見ている。 やれやれ、だ。俺がいなかったら誰がSOS団の常識人という名のつっこみ役を務めるんだ?「んなわけないだろう。俺も行くさ」「そう。なら最初からそう言いなさいよ」 イエスと言おうがノーと言おうが注文の多いやつだ。 とにかく、ハルヒの提案した月見は団員全員賛成で可決の運びとなり、日時は今度の土曜午後1時、場所は長門のマンションで、まずは団子づくりから始めるらしい。それなら俺の最優先任務は、朝比奈さんの御手から生み出された一番団子を食うことで決定だ。 そして俺は、少しだけ月見の様子を思い浮かべ、何か面倒な事件が起こらないように祈った。いや、ハルヒがそこにいる限り、何も起こらないことなんてあり得ないってことぐらい分かっているが。「僕としては、このまま何事も起こらないことを祈っていますが」 帰り際、特に聞きたくもないニヤケ野郎の話しを俺は聞く羽目になっていた。「長門さんや朝比奈さんもいますし、何よりあなたがいますから、涼宮さんが何か特殊な事件を起こすとは思えませんね」「嘘を吐け。俺がいようが誰がいようが、あいつが勝手に暴走するのは目に見えてるじゃねぇか。夏休みのこと、忘れたとは言わせないぜ」 古泉は苦笑し、いえ、と首を振った。「今のはそうであればいいな、という僕の願望ですよ。しかし・・・」 芝居っ気たっぷりにタメを効かせる。「あなたはそうは見えませんね。何か起こらないかと、かえって期待していそうな表情ですよ」 古泉の言葉に何か反論を返そうかと思ったが、何故か言葉が出てこなかったため、俺は憮然とした。下手に傷口は広げない方がいい。「何にせよ、『神人』が暴れるようなことにならなければいいんですけどね」 そう言って、古泉は去って行った。 土曜まで後少し。何だかんだで楽しみに待たせてもらうとしようじゃないか。目立ちたくはないが、楽しまなければ損をするだろう。この、非常識的な日常の中じゃあな。やれやれ、俺もハルヒに毒されてしまったということらしい。 さて、普通の月見になるとは思っていなかったが、特に予想も覚悟もしていなかった。まあ、それを後悔するのはいつものことなんだが。 続く二次創作・SS涼宮ハルヒSS