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テーマ:学校・教育(262)
カテゴリ:教育論
「管理する人がいるということは、管理される人がいるということ」
そんな当たり前のようで、どこか引っかかる言葉が、ふと頭をよぎりました。 私たちのまわりには、いつも“管理”という仕組みが存在しています。 時間割に沿って動く学校、業務日報を出す会社、提出期限や評価システム―― こうした仕組みがあることで、物事がスムーズに運ぶことも確かにあります。 でも一方で、管理されている側に目を向けたとき、そこには少し違った風景が見えてくる気がするのです。 「自分で考えるより先に、管理されることで動いている」 「やらなければいけないからやる」 そんな状態にいるとき、人は果たして、本来の力を発揮できているのでしょうか。 もしかしたら、“管理されているからこそ” 自分の持つ創造性や意欲、好奇心が抑え込まれてしまっている人もいるのではないでしょうか。 たとえば、勉強もそうです。 「〇時からこの教材をこのページまでやるように」と決められたら、 効率よく学べる面もありますが、 同時に、「なんでこれを学ぶんだろう?」という問いや、 「自分は本当はどこに興味があるんだろう?」という心の声は、置き去りになりがちです。 学ぶこと自体は、本当はもっと自由で、わくわくするものだったはず。 でも、“管理”という枠の中で「やらされる勉強」になってしまったとき、 その楽しさは一気に色あせてしまうのです。 だからこそ、私は思うのです。 教育と管理は、似ているようでまったく別のものだと。 教育とは、「その人が自分で考え、自分で動けるようになる力を育てること」。 決して、言われたとおりに動くよう“調教”することではないはずです。 もちろん、時にはルールや枠が必要な場面もあるでしょう。 でもそれは、あくまで“補助輪”のようなもの。 いつか自分でバランスをとって自転車をこげるようになるための、通過点にすぎません。 本当の教育は、「あなたならできる」「自分で考えてごらん」と、 管理の手を少し緩めて、信じて待つところから始まるのかもしれません。 そうやって自ら動き出したとき、 人は本当の意味で、自分の可能性に気づくのではないでしょうか。 誰かに管理されて動くのではなく、 自分で目的地を決め、考え、歩いていける人が増える社会。 そんな未来を、私は心から願っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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