1050247 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

uniawabioyoyoの前立腺がん日記

uniawabioyoyoの前立腺がん日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

uniawabioyoyo

uniawabioyoyo

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

ポイントアップ@ Re:マネックスメールでの、清明祐子さんのつぶやきです(04/08) ポイントアップの知りたいことは、0896244…
ポイントアップ@ Re:マネックスメールでの、清明祐子さんのつぶやきです(04/08) ポイントアップの知りたいことは、089624…
ポイントアップ@ Re:マネックスメールでの、清明祐子さんのつぶやきです(04/08) ポイントアップの知りたいことは、089624…

Freepage List

Headline News

2018.10.05
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日の鮫歩きの際、浮木寺で、歌人乙因の話しを聞き、少しブログに書きました。今回の公演の後半は、乙因のことが中心になっています。配られたパンフレットからの一部抜粋です。

八戸は、ヤマセという、北東から吹く冷涼な風のために、米の収穫が少なく、また、たびたび飢饉にみまわれました。このため八戸藩の財政は厳しく、商品価値の高い大豆・〆粕・干鰯・魚油等を奨励し、江戸方面との戸の交易に力を入れました。

そのために貿易港としての鮫浦は、新開地と呼ばれるほど優遇されました。封建制度下の厳しい規則罰則で縛るのではなく、交易興隆のために、当時としては珍しく、自由な雰囲気にあふれていたようです。松前・江戸方面からの出船入船で賑わい、旗亭(船乗り相手の船宿・遊女屋)が20軒ほどがありました。

乙因は本名金子半蔵で、1755年江戸に生まれ、1807年名古屋で亡くなりました。初め江戸の美濃屋に奉公に出て、のちに八戸の廿三日町美濃屋支店の総支配(支店長)になっています。

50歳頃に退職し、鮫の旗亭上川端屋、号は佐川屋の遊女里よ(りよ)を身請けし、鮫で居を構えたと思われます。二人の生活は3年余の短い期間でした。

三回忌、十三回忌、三十三回忌、五十回忌等にみられるように、乙因と鮫の人々の交友がしのばれます。そして、そこには、里よの名前が必ず出てくるのは印象的です。

浮木寺本堂に「乙因追善俳諧献額」という2枚の額が飾られています。乙因五十回忌の1856年(安政3年)4月25日に、追善のために八戸、秋田、盛岡、仙台、江戸、尾張などから広く献句を受け、浮木寺に85句を献額したものです。

五十回忌の献額にある、老境の域に達していた里よの詠んだ句です。

  ながれ汲む 里のうれしや 菫(すみれ)草  りよ女

何と明るく若々しいことでしょう。乙因と一緒になった頃の楽しい思い出の句でしょうか、それとも50年前に詠んだ句なのでしょうか。

里よ自身、死を目前にしてもなお、乙因の死後50年もの間、あの3年間を心のよりどころとして、生きて来たに違いありません。

家が貧しく、旗亭に売られたであろう里よ。このまま船乗り相手の遊女・飯盛り女として一生を終えるに違いないと確信していたでしょう。そこには夢はもちろん、生きている喜びは全くありません。捨て鉢になっていた女を、男が身請けしました。女の驚きと喜びはいかばかりであったでしょうか。

亡くなる前年、江戸での定例句会の歌が「茶翁連句集」(小林一茶著)に収められています。

  蠅打てけふも聞けり山の鐘     一茶
   松葉散りうく水のうれしき    乙因
  麻畠ちいさき人の見えそめて    成美
   薄きいなずまおちつきもせず   浙江
  乗りものの戸をなくしたる月の世に 乙因
   雁鳴門や餅をつくらむ      一茶    (後略)

乙因の死を知った江戸の俳家たちが、追悼歌仙を開いています。

  茶粥する身延の水を袖にかけ    成美
   竹一本の秋は来にけり      一茶
  牛馬にははづれかかりし宵の月   浙江
   露の中から人のよぶらん     成美
  咲く花のちるはちるはに年よりて  一茶
   ひたひた水に春は暮れゆく    浙江

それにしても、愛する女を残して、敢えて俳諧行脚の旅に踏み切らせたものは何だったのでしょうか。

愛する男が音信不通になり、その男を尋ねて、たった一人で名古屋まで行っています。江戸で成美あたりにでも聞いたのでしょうか。ようやくたどり着いた名古屋で、里よは男の死を知ります。

乙因辞世の句

  草の根に隠れて聞かむ閑古鳥    乙因

生死の境をさまよいながら、想いは遠く鮫の空へ馳せていたのではないでしょうか。

この辞世の句に対する里よの句

  草の根を起こしてみたし閑古鳥   里よ

俳諧の修行だかなんだか知らないけれど、勝手に旅に出て、そのままポックリあの世なんかに行かれたのでは、残された私の方がたまりません。隠れて一人で閑古鳥(カッコウのこと)なんか聞かないでください。さぁ、墓を掘り起こしてあげますから、出てきて、私と一緒に閑古鳥の声を聞きましょう。

浮木寺には、自然石の面を削った、極めて素朴な所に、乙因辞世の句が掘ってあります。

一緒にいたのがわずか3年なので、情熱が残っているんでしょうね。この文を書いた柾谷さんの入れ込みようもすごいです。

シルバー川柳から

   来世でも  一緒になろうねと  犬に言い





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018.10.05 09:55:27
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.