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●是川縄文館で考古学講座が開かれました。
是川縄文館では「装い 身を飾る人びと」という秋季企画展が開かれています。 企画展に関連して、”縄文人が「装う」意味”と題して、明治大学・研究知財戦略機構・黒曜石研究センター特任教授の栗島義明さんが講演しました。 以下は、講演の内容です。 是川は特殊な遺跡です。低湿地にあるため、木などが良質な状態で見つかっています。90%を超える遺跡では、これらが消えてしまったため、石しか発掘されていません。 縄文人は、石、土、木、貝などで装身具を作りましたが、ある段階からは、社会的な意義を持つようになったと考えられます。 ただ、装身具の機能が特定できないことが多く、それには理由と背景があります。 ①木などの有機質の装身具が残りづらい ②遺構との共伴関係が不明 ③人骨に伴う事例がほとんどない そうした中で、ヒスイは出土例が多く、分布論的な検討が可能です。 ヒスイ製の大珠が、人骨と共に出て来ました。これは胸の附近にありましたので、胸飾りだと想像されます。 環状集落の中心にある墓のある場所の、更に中心にある墓からヒスイが出ていることが多いです。この事から、ヒスイ製大珠はムラ長が保有していたか・その象徴だった可能性が高いです。 社会の安定と役割分担があって、定住生活が出来るようになりました。 狩りのうまい者、植物の毒の有無を見分けたり、どこにあるかを知っている者、呪術や弁が立つ者などが、重要視されると、その貢献度に合わせて、身分まではいかなくても、優劣が付くようになりました。 特に最後の呪術や弁が立つ者には、女性が多かったと想像されます。 そういう人たちへの区別や、他の集落と区別するために、装身具は使われました。 ヒスイは新潟県の糸魚川でしか採れません。それが全国に広がっていることから、一定の流通経路があったものと思われます。 それは集落単位ではなく、地域(社会)単位での交易推進で、交易網が存在していた可能性があります。 社会集団の規則を守り、それを伝えるために、縄文人は地元の産物だけでなく、遠隔地にある希少な財や材の入手を積極的に進めていました。 希少性という事が大事です。遠隔地ほど価値が増大します。模造品を制作したほどです。 この事は、定住生活の成立を説明する、重要な観点です。 なお、富山県や長野県からは、ヒスイではなく、代わりにコハクが出土しています。このコハクの産地は、千葉県銚子産です。 縄文時代の装飾品の一部を掲載します。 更にたくさんの展示があります。 ●八甲田山中にある谷地温泉で、食堂の窓から、野生の「テン」を見ました。後ほど、報告します。 ●クマ目撃情報 ①三沢市三沢淋代平、三沢オートキャンプ場付近 30日午前10時半頃、1頭 ②階上町角柄折蝙蝠、オリエンタルファーム付近 1日午前9時20分ごろ、1頭 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.12.03 10:49:05
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