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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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2008年06月03日
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 先日の椿姫で、書かなかったことがあります。
 この日、一階席の右手方向から、絶えず咳払いが聞こえていたのですね。それも、合間なんて関係なく、平気でアリアの途中でもやってる。明らかに男性と思しきそれで、しかも超ド下品な。わざわざ憚ることなくやっていたので、あれはもう故意にやっているとしか思えない。威力業務妨害で警察に突き出すべきレベル、なのですが.....
 終演後、帰り掛けに主催者と思しき人に訊ねましたが、やはり出す訳にはいかなかったとのこと。幕間に「お願い」はしたそうなんですが。まぁ、大変ですわな、主催者側も。やっぱり「帰れ」「出て行け」とは言えませんからね。

 暫く前に本館でネットに巣食うフリーライダー、という話を書いたのですが、実は、似たような話はコンサートでも言えるものです。
 コンサートというのは、相当多数の人達が一つ所に集まって、音楽を聞く、というものです。で、基本的には、それはパブリックなものでなければならない。この、パブリックという言葉、日本では公共とかいう言葉に訳されることもありますが、結構誤解されていると思います。
 パブリックであるということは、公に開かれていなければならない、ということです。つまり、誰でも参加出来るけれど、それは同時に私だけではない、私的な場ではない、ということです。そこでは、「私」は決して「私」の好きなように振る舞っていいわけではない。我々は便宜的に、コンサートに集う聴衆のことを「客」というけれど、それは一般的な小売業やサービス業に於ける「客」とは、似ているけれどちょっと違うものなのです。いや、本当は、いわゆる小売業の「客」だって、大抵の日本人の振る舞いとは本来少し違う筈なのですが。

 この「公共の場」は、だから、誰かが恣に振る舞えば、それは周りにとって迷惑に直結する。本来、こうした場を利用する者は、「公共」とはなんであるかを知り、それを守った上で利用する。そうした了解を善意の内に同意しているとする前提があって、公共の場は成立します。だから、その了解をものともせず、自己の都合を押し通せば、簡単に公共の場は崩壊する。勿論、崩壊させる当人は、そうした場を維持することなど考えたこともない、というわけです。

 で、思うに、結局この「公共の場」というものの前提を分かってない人、誤解している人が増えているんだと思うのです。だから、件のようなおかしな人も出て来るし、一方でそれに憤ってわぁわぁ騒ぐ人も出て来る。後者が何故問題かというと、この種の人は文句を言うし、その限りに於いては正論なんだけど、実のところその目的は自己の利害にしかないので、結局コインの表裏に過ぎないのです。
 そして、主催する側は、「お客様」を押し止めることが出来ない。「お客様」だから。

 コンサートでのマナー、ということを昔から言うのですが、実のところ、マナーというのは共通の理解の上でしか成立しない。例えば、ジーンズが労働着であり、権威に対するプロテストとしてあった、という共通理解を持たない人にとっては、ジーンズを着ることの「意味」は発生しないし、逆に教条主義的にそれをマナー違反と言うのも、これもおかしい。そこには、そんな「マナー」は存在しないのだから。
 結局、共通理解がない、というより持とうとしない人達が寄り集まって一つ所にいる、という状況だとおもうのです。沢山の人がいるのに、それぞれは言ってみれば自分の部屋の延長線上でそこにいるだけで、相互には何の関係もない人が並んでいる。そんな風に考えると、何とも殺伐とした光景です。まぁ、そこまで極端では無いかも知れないけれど。

 実のところ、コンサートで「マナー」と言われているのは、むしろタブーと呼ばれるべきではないかと思うのです。実際、「XXするな」という内容が多いでしょう?クラシックのコンサートの「マナー」って。それで、共通理解もあったもんじゃないか、とも思うのですけどね。答えの出ない、難しい問題ではありますが.....







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最終更新日  2008年06月04日 01時01分08秒
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