満月の日の世界イベントは、おかげでたくさんの人が
参加しました。ありがとうございます。
5月17日のコメント欄をご参照下さい。
さてフリー・チベット・サポーターの皆さん。
明日(24日)明後日(25日)は、
神戸に行って、フリーチベットTシャツを着て
(出来たら背中プリント)
アンマに抱きしめられに行きませんか?
2008年 アンマ来日プログラム
これは真面目な呼びかけです。
Tシャツか、あるいはチベット国旗を羽織って、
アンマに抱きしめられる。
そしてその瞬間を写真に撮ってもらう。
抱きしめられる瞬間にチベット人のことを想って、
(中国の地震で亡くなった方やミャンマーの方のことも)
ドーンと重くなったところを、その思いからだとこころを
アンマに抱き取ってもらいましょう。
これは決してアンマに失礼なことではなくて、
アンマも嬉しいことだと思います。
そしてチベットを癒すだけでなく、ひさしぶりに
自分も癒してもらいましょう。
癒すというか何と言うか、アンマのダルシャンは
ただ抱きしめるというわけではなくて、神聖なエネルギーを
抱きしめるという形で伝授するまさにエネルギー・ダルシャンです。
エネルギーが入ってくるから、ちっぽけなマインドの悩みなんかふっとぶ。
だから抱きしめられると癒されるのです。
チベットは癒されなくても、チベットのことを思って苦しんでしまった
私の苦しみは癒されなくて、フリーチベットに関わってのあれこれの
新たな悩みは、そんなものちっぽけなものだろうから癒されるでしょう。
以上の行動をMixiのフリー・チベット・コミュに提案したかったけれど
カルト教団のフリーチベットを利用した布教の一種と誤解されたくなかったので
残念だけど控えることにしました(第一、僕はアンマの信者ではないし)
OSHOコミュに関しては、当然 よそグルのお話なので控えさせてもらいます。
(フリーチベットの可能性のひとつは、それに関わることで、
ちっぽけなセクト意識を超えれることです。だからこの際、OSHOだ、
チベット仏教だ、仏教だキリスト教だの人も、ヒンズー教に触れる機会としても、
このフリーチベットの宣伝活動を使えないだろうか?
形骸化した宗教やマンネリ化した瞑想では味わえない生の体験が、
アンマのハグからは、まるで電気のようにビビビと伝わってきます。)
ま僕 個人としては、神聖なエネルギー自体は、
水や空気やその他すべてのものから受け取っているような気がするので
わざわざアンマから受け取る必要は感じませんが、フリーチベットの宣伝には
絶好のチャンスかもしれないので行こうかと考えてます。
それにインド暮らしが長いので、宇宙生命エネルギーのヒンズー的な味付けは
故郷に帰ったようにホッとするのです。
気づいていれば何事も瞑想になると考えていますから、アンマにエネルギーを
入れてもらっても、それに気づいていればそれも瞑想になる、と思います。
そしてエネルギッシュになればなるほど瞑想も深くなる可能性があります。
ただし、かなり強力なヒンズー的エネルギーなので、
OSHOとかチベット仏教とか何か
自分の大事にしているもののエネルギーを純粋に保ちたい方にはお勧めしません。
そういう人は、フリーチベットのチラシを撒くだけでいいかもしれない。
神戸イケアでチラシを撒いても、家具を買いに来た人にとっては
チベット問題は遠いかもしれないけれど、アンマに抱きしめられに来た人たちは
チベット問題に関心がある人が多いのではないかと思います。
ぜんぜん関心のない人にチベット問題を知ってもらうより
少しでも関心のある人に知ってもらうほうが、手軽にできるでしょう。
何事も難しくないことからするのが大切だと僕は思います。
僕もそれだけにするかもしれません。
う~ん。だけどやっぱりハグしてもらおうかな?
悩んでしまうのは、僕は「気づき」や「空」と「エネルギー」は別物と
考えているので、それがどんな「神聖なエネルギー」であっても、
それだけ受け取っても、生長に関係あるのか疑問を持っています。
それについては三年前にあれこれと書いたことがある。
しかし僕もあれから三年もたって、頭も柔軟になったので
元気がない時や好奇心があれば、
聖者からエネルギーを入れてもらうのも良いじゃないかと思う。
なにしろサニヤシンの僕がフリーチベットで、最近はアナーキストを
名乗ろうかと思ってる昨今だ。(どんな昨今かというと、たぶんどんどん
境界がなくなって自由になっていく昨今か、あるいは人はカルマを
解消しないといけないというスピードの速まった昨今かもしれない)
まあ、一晩ゆっくり寝て、それから決めます。
世界中の人が恐れなしに眠れますように・・・
たった一晩だけでも
世界中の人が飢えることがありませんように・・・
たった1日だけでも
世界中の人が暴力によって
傷つけられることがありませんように・・・
たった1日だけでも
若い人もお年寄りも、
すべての人が貧しい人に奉仕しますように・・・
たとえ1日だけでも
これが私の夢、これが私の祈り
BY:アンマ