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カテゴリ:プライベート
mixi日記 Facebookノートから再録。
なぜセラピストのになったのか?を書いてるつもり。 2014年8月15日 · あげあげあげ 僕が心理セラピー、瞑想を学んで気づき(アウェアネス)を拡げることを探究しだしたきっかけのひとつについて書いたmixi日記を再録します。 奄美大島で石油備蓄基地や再処理工場計画に反対して、ヒッピー部族のポンが作った「無我利(ムガリ)道場に参画した18歳の時のことを書いています。 あげあげあげ ムガリの話を書いたので、その頃の僕にとってのものすごく大切なエピソードをひとつ書く。 焼け内湾という湾に、船(最初行った時は手漕ぎの船。後にエンジン付ボー)を漕ぎ出して、湾の真ん中あたりで、ボート同士がロープをつないでプカプカ浮かび、それぞれから垂らした網が大きな袋状になって、一艘の親方船がライト(昔は炎)を照らして(炎をであぶって)それが擬似餌になって、袋の網にムロアジが追い込まれる・・・からアブリ漁と島では呼んでいた伝統的原始的漁の担い手として、ムガリのヒッピーたちは重宝がれていた。 過疎の部落で、乗り手がだんだん少なくなってきて、ほとんど廃れかけていたのが復活し、石油備蓄基地反対の漁業権の大事な活動に、このアブリ漁が成っていったのも、せむしだから水に浮かばないカナヅチのポンが、この部落に砦となるコミューンを作ろう豊かなイマジネーションがあったからだとも言える。 入れ替わり立ち代りやって来る若者たちの応援と、ムガリの主要メンバーのたくましい成長によって、このアブリ漁は支えられた。僕にとっては、それはそれはたくさんの思い出があるのだけれど、そのひとつとして「なんとかオジ」と言う名の(名前は忘れてしまった)お爺さんの、船を漕ぎ出すたびにつぶやくひと言について書いてみたい。 アブリ漁は、午後四時頃、静かな湾内をまず、4.5人乗りの小さなボートに乗って、分散する。「とーとがなしぬさらしたもれ」と船先でお祈りして、焼酎をとも(船のへさき)にかける。 それから一時間くらいしたら目指す湾内の漁場に来て、アンカーを打ち、網を垂らす。雨合羽を着て裸足で、丸まったロープの上なんぞにからだも丸めて仮眠。魚がいたら真夜中頃起きて網を引っ張り上げる。大漁だったらとても網が重い。いなくても網をひっぱりあげる。 一仕事終えて、採れたての魚をさばいて、それをおかずにして玄米だけ入っていた弁当箱のふたをお皿にして、食べる。いずれにしろ明け方頃に浜辺に帰る。途中で雨や時化にやられたら急いで浜に帰りつく。 取れた魚が少ない時は、浜辺に取れたやつを並べて、人数分に分けて、それぞれの家路に帰るといった原始共産制!たくさん採れていたら仕事はたくさんあるけれど、少ない時や空振りの時は、それから夕方まで寝る。その繰り返しの毎日。 どの時点でも、焼酎の乾杯があるし、漁師の面白おかしい濃いお話もつくし、部族の(同じボートに乗った仲間の・・彼らはヒッピーではなくヒッピーの源流である部族の連中だった)説教や喧嘩や思い出話や夢物語は、もれなくついてくる。 真っ暗な海の上にぷかぷかと浮かんだ船の上で寝転んで、見上げる夜空はプラネタリウムの天上が落ちてきたみたいだった。へとへとになってたぐりよせた網のなかを懐中電灯で照らせば、そこはまるで水族館のようにいろんな魚がうごめいていた。 しかしなんといっても夕方に出かけていく時に、枝手久島を背景に焼け内湾に落ちる夕日のすさまじさといったら・・・美しいとかなんとか言ってられない。 島口では驚いた時の感嘆詞に「アゲ。」という言葉を使う。 「あげ~」とか「あげあげ」とか「あげあげあげ~」とか驚きに応じて使い分ける。 ところで僕が驚いたのは、その夕日の美しさよりも、それに毎日毎日感嘆する僕の乗り込んだボートの船頭さんの「なんとかオジ」についてだ。 たしかにすばらしい夕日だ。しかしそれが何日も何日も続くと、僕はそのうち退屈しだしたのだ!退屈しだした僕にも驚いた。 他の連中だって、焼酎を飲んだり、議論をしたりに忙しい。糸をたらしてイカを釣ったりもする。僕なんかそのうちポンの蔵書だったラーマ・クリシュナ協会発行の不滅の言葉のパンフレットをポケットに入れて、漁の合間に読んだものだ。そんな字ばっかり読んでるとばかになるぞなんて部族的な説教も、その頃は聞き飽きた。 ところがその無学(たしか文盲の)なんとかオジは、そんな僕らに一切かまわず、毎日毎日繰り返される夕日の眺めに、毎日毎日感嘆していた。 「あげ」とか「あげげ」とか「あげあげあげ」とか言いながら、「今日の夕日はなんとも立派じゃわい」という感じ。それは本当に毎日のことで、お爺さんが子どものころから漁に出ているわけだから、何十年間同じ夕日で感動し続けているわけだ。 僕はそのお爺さんの毎日の感動に感動した。そして僕はこう思ったのだ。 「シンプル・ライフ。ワイルド・ライフを夢見て、遠くこんなところまできた。この物質文明に反対して、シティ・ボーイの僕が原始人みたいな暮らしをしている。あの狂ったような都会の生活に比べたら、ここでの暮らしはほんとうに自然だ。しかし人がこの自然で何もない暮らしを楽しむには、アウェアネスが高くないとやっていけない。 気づきの能力が低いと(当時は感性ということばの方がぴったりきたが)活字とかテレビとか電気とか石油とか、喧嘩とか火事とか議論とか暴力とか、日常にない派手な激しいものを求めてしまう。 ところが落ちる夕日に感動する感性さえあれば、毎日感嘆して生きていくことができるのだ。 高度経済成長の文明社会からドロップアウトして、南の島の最前線にまでのこのこやって来た少年にとって、この「発見」はものすごく大きかった。こう書くと当たり前のことのように思えるけれど、その時はほんとうに大きな発見だった。 政権が変わったって世の中変わらないように、意識が変わらないと、生き方や暮らし方を変えたってその変化についていかない。高められた気づきがあれば、必要のないものがたくさんある。感性が低いと、自然でない余計なものが必要だ。 僕が心理学やセラピーに本気で興味を持ち出したひとつのきっかけは、あの毎日聞く「あげ。あげげ~。」という感嘆詞だった。 片桐ユズル訳 オルダス・ハクスリー著「多次元に生きる」人間の可能性を求めて は、このへんのことにまついて書かれていると私的には思ってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.01.27 19:30:03
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