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テーマ:新年のあいさつ(940)
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新年あけましておめでとうございます。犬に先を越され、挨拶が遅れました。写真は昨年レバノンに行った時、最も大好きな場所だと感じた「バールベック」です。もしかしたら世界で一番この場所が好きかも知れません。
なぜか今年のはじめにこのことを書きたかったのですがボブが1日に勝手にブログを入れたので。まったくもぅ。 さて、バールベックはレバノンの首都ベイルートから陸地側に1時間くらい いったところにあります。太陽の都市を意味するバールベック。 世界一光が降り注がれる場所なのではないかと思うくらい、光が強く、そして美しく、永遠の愛を感じる無限の空間であると感じました。 それは撮影したビデオテープにもしっかりと残されています。 なんていうか天から直に光が降り注いでいる。生きる希望がみなぎり、美そのものがその空間に表現されている。何者にもおかされず、何者にも邪魔されず。ちなみにこのバールベックの地にすぐ近くにアダムとイブのアダムが住んでいたのだという伝説があるのです。 聖地バールベック。フェニキア時代からバールベックは存在していましたが、ローマ時代の遺跡が殆どだといわれています。しかし、フェニキア時代と見られる遺跡は装飾が大変繊細で、現代的に見ても大変センスよく、フェニキアの方々の崇高な精神、神の存在をはっきりと感じることのできる場所なのです。太陽神。 ここで崇拝された神はローマ時代、ジュピターとヴィーナスとマーキュリーが複数の男性神に融合されたという説があるものの、はっきりと感覚でバァルがその源にあると感じました。バァルは太陽神。 バールベックにある神殿(バッカス神殿などetc)が建造されるにあたり、切石の石工所跡が近くにあるのですが、先日、面白い記述を発見しました。 軍人であり、歴史学者であったジェームズチャーチワード。インドのナカール碑文の研究に絡み、僧侶に出会ったことがきっかけでムー大陸のことを研究しはじめた人です。著書「失われた楽園ムー大陸」。その中にこのバールベック近くに残る石工所の切石の技法が、太平洋のある島(たぶん、ポンペイとかあのあたり)に謎の遺跡として残る切石そっくりなんだとあったのです。もしかしてムー大陸というものが1万2千年前存在していたならば、9千年前に都があったフェニキアと交流をしていて、そのフェニキアはアトランティス大陸と呼ばれるものだったのかも知れない、という説が確か書いてありました。 伝説ではムー大陸は最高神官であり王であったラムーをはじめとした太陽信仰の下、朝夕太陽を仰ぐことが国民の日課であったと言われています。また 死後の世界や宇宙とも行き交いしていたとも。 おととし10月、イランに訪れたときにペルセポリス宮殿にある王の墓の前で太陽神の存在を中心に感じ、なぜか懐かしくて墓の前で心の中で王様に出会いその場で号泣してしまった経験がありました。墓のレリーフにはアフラマズダと死後の世界を行き交いするシンボルの何かと、太陽を仰ぐ王の姿があります。はっきりと感じたものが太陽信仰であったこと。 そして太陽信仰だと感じた瞬間、その奥の奥にもっともっと懐かしい何かに出会えた気がしたのです。王さまの魂は世界をひとつにすること、そのことを望んでいるような気がしました。懐かしく、私の魂の源にふれたような気がしました。そしてそのルーツがもしかして、フェニキア、バールにあったのかもしれません。ペルシャ時代とフェニキアとの交流は盛んで実際、先日書いたエシュモンでもフェニキアとペルシャをつなぐ架け橋、交流の場を肌で体感いたしました。 かつて世界の中心として国を統治していた王様は太陽神を拝み、自然の中に神を見出し、その源、天。天と地を融合させて国を統治していたのではと感じました。つまりすべてはひとつなんですよね。 エジプトもラーを拝んでいた。エジプトも、ペルシャも、フェニキアも、敵対しているものもルーツを辿るとひとつだったのではないかと思います。 史述よりもはっきりと体でその歴史を体感することができる昨今。 イランのペルセポリスを訪れてある経験をした後は、体から誤った仏教観が体からはずれ、真の自分が現れる、という経験をしたり、つくられた歴史がはずれてはずれて、真が表れていくことを肌で実感、この身ではっきりと感じています。 歴史を裏返すことを将来記していく人になるのかな・・・。だから世界に 出て行くのです。だからついてゆくんです。そしてこのことは、今書いても 多くの人には分からない だから 表現できる時が来るまで 温めておきます。歴史の証人として・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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