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カテゴリ:男と女、ジェンダー
男女のこと、特に今回は男性のことを中心に書きましたが、これは私自身の最も辛い経験を整理するためでもありました。
先週の3日、横浜の港の見える丘公園構内の「イギリス館」にて 詩と語りというコンサートイベントがありました。ところが当日の朝、自分自身の最も辛い経験を思い出し、心が ずたずたに切り裂かれたような記憶が蘇り、心がそれらに覆われて生きているのが嫌になってしまったのです。なので、会社へ行く朝なのに10F以上の屋上のあるビルを無意識に探したほどだったのです。 最も辛いこととは、私自身の存在全てを否定されたこと。両親もこれまでやってきたことも何もかもを、それも一番大切な人のまわりの人に責められたときのことです。実はそれで身体を壊してしまい、仕事を辞めざる成らなくなってしまいました。心が壊れてしまうと身体も傷ついて精神まで傷ついてしまうのか、責められた人に会わなければならないとき恐怖で手ががたがた震えてしまいました。その恐怖が増幅し、責められる意識を自分で 集めてしまい、生きていきたくなくなるという罠にはまるのです。 ただ、これらのことに至ったのも、自分自身にそういう状態があったからでしょ、と 責められたわけなのですが、考えても、男女の間違った愛の意識としか答えようがありません。ドラマでもなんでも描かれているように、女性が男性への執着の愛を持ったときの恐ろしさ、これは女性であれば、皆ではないとは思うけれども、経験があるではないでしょうか。恐ろしいことに無意識に妬んだりしてしまう。魂の世界では美しいものなのかも知れませんが、人間たるもの、肉体がある。血脈に宿ったその歴史や男性と女性の歴史等、命に継承されたものがうまくいっていないことが多くなかなかすべてがハッピーにスムースにゆくということは難しいと感じます。 男女の別れ話というのをその週のうちに5件ほど聞いたのですがでもそれは自分自身の解決できていない、先へ進めない問題があるから反応することが分かりました。聞いていて 先がない感覚が集まると身体も辛くなります。それで、それらのことでその日まで大変だったわけなのです。詩と語りというコンサートでは、実は全く詩(ことば)が身と心に入ってこなくていよいよ困ってしまいました。半分以上が過ぎ、あることばが表現されたとき、身体にも心にもことばが入ってくるようになりました。それは「太陽の神」。 「神」というものをどのように認識されますか?宗教ですか?絶対的なるものですか? 私は特別なものではなく、すべてのものに宿り、すべてのひとに宿るものだと私は感じています。太陽、月、地球、宇宙、ひと、自然、そしてもののすべて・・・。それらを感じる心は、ものを大切にしたり、人を大切にしたりできるのですね。それらは、自分とひとつなのです。 そのすべてひとつである、ということを忘れてしまうのが我欲です。それが自分自身にもあった異性への間違った愛。不自由な執着。これらにとらわれているからだと分かったのです。報われぬ思いは天(自然界)や神とつながらない意識。これらの思いにとらわれていると分かりました。 実際、知り合いの家に行っても、夫婦の仲が悪い家は汚れようがひどい。 肉体があるので、子孫繁栄のために性衝動が起こります。その葛藤のために相手がほしいのかなんなのか分からなくなってしまう。それは、遺伝子としては、命を伝承する働きがあるのですから。そこに色んな社会的要因などが伴い、ストレスを生む。それが犯罪を起こしたり、性のエネルギーをどう使っていいか分からなくて、幼児へ向かったりする。 「アノミー(無秩序)」状態へ発展してゆくのです。 なぜか自分の内面が「太陽の神」という言葉に反応して、詩が急に心に入ってくるようになったのです。日本人の失ってしまった魂というか魂のルーツなのかも知れませんね。 日本人は元来、武士道等、崇高な精神を持っています。美しい文化が彩り豊かに育まれてきました。戦前までは・・・。こういった日本人独自の美しさは魂に宿るものとも聞いています。やはり今、ひとにとって必要なのは、日本にとって必要なのは精神を養うこと、感性を養ってゆくことなのですね。そうやって生きることは豊かな地球環境を育むことであると。 そのために開催している、「詩と語り」というコンサートに是非足をお運びになってみてください。今、最も社会に必要なことを表現しています。 http://www.idaki.co.jp/idakishop/catalog/product_info.php?cPath=29&products_id=161 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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