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忘れもしない四年前の3月20日。昼、ジャーナリストの佐藤和孝さんの中継中、アメリカの空爆が始まった。背中に悪寒が走り、炎の中に何人の犠牲者が…と思うと人間のすることなのかと考えた、が何も出来ない自分。なのに、戦場にいるとはどういうことなのかと戦場に実際に立ってみたくなった。好奇心ではなく世界で起こっていることを分かるために。
対空砲火も空しく イラクに勝ち目のない戦争であると分かりどうしようもない境遇を悲しみと言えず、怒っても意味があるのか空しく、言葉もない。フセイン大統領の像が倒れたとともにバクダッドの街はその後陥落した。 フセイン大統領は 死刑となり、イラク国内は戦争後も毎日自爆テロが続き、内戦が続く。今はイラクに生きる人たちはどう暮らしているのか? 戦争の怖さは、レバノンに行った時、ツアーから外れ、ベイルートの街をあるいていた時、あまりの恐怖感に足がすくみ、生きていけなくなるほどの恐怖感をはじめて感じた。後で知ったことだが、そこは、自爆テロが最も多いといわれるキリスト教自治区だった。先日、世界ウルルン滞在記で、ドイツ国際平和村の8年の記録をやっていた。主に9.11のアフガン侵攻で犠牲となったかわいい子供たち…が、皮膚はとけ手足は爆撃でもぎ取れ、腐った骨盤の痛みに泣く子供たち。嗚咽なくして見られなかった。戦争後も続く苦しみ。命に継承されてゆく憎悪。 そんな中、私は日々、忘れて生きている。戦争の爪痕、傷跡を忘れて…。テレビは戦争はバーチャルな世界であるからと…。大切な活動も途中で止まり…。身勝手なふるまいは信用も無くし、自分の理解の甘さが露呈され、取り返しのつかない失態となる。が悔やんでも仕方がなく、世界のために人を助けられることを日々し続ける。答えはそれしかない。 米に守られているから良いと?意識が楽な方向にゆこうとする罠。 必要なことをすることは動き出さなければ、はじまらない。本気で考え 動くこと。 そのために経済の仕組みを今の仕事で学んでいる。「○○学(危なくて書けない…)」はその上で 大変役立っている。今 よんでいるのは 絶版となった書籍で かなり 世界をコントロールしているものの正体を正確に把握されている方が記した本。もちろんぺんねーむ。政財界の方々に正確にそれらを把握して戴くために、セミナーなど色々な活動されているすごい人なのだそうだ。 まだまだやることは 無限にある。 が 有限なるのが時間。 ともに生きてゆく人がいて ともに未来を築けるのであれば 幸せだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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