池上本門寺 国難に挑む日蓮の寺
写真1 五重塔写真2 大堂(祖師堂)写真3 御廟所池上本門寺は関東における日蓮宗の大本山です。日蓮と言えば、蒙古襲来(1274,1281年)のとき、時の執権北条時頼にあてて「立正安国論」を提出して国難回避を唱えたが入れられず、却って政治批判とみなされて伊豆に流されたことで有名です。「立正安国論」を書く前年、日蓮は「守護国家論」を書いています。仏法によって国家国民を救済しようという日蓮聖人には、国士の風貌がありました。日蓮は、身延山から常陸に湯治に行く途中、この地に立ち寄り病を得て亡くなりました。弘安5年(1282)のことです。この時には、既に蒙古は日本侵略に失敗して国難は去っていました。幕末に江戸無血開城の談判が西郷隆盛と勝海舟の間で行われたのは、この池上本門寺(松涛園)です。国難を憂えた日蓮ゆかりの地で、明治の政権交代の交渉が成就したのも何かの縁だったのでしょう。池上本門寺は、池上宗仲から寺領として寄贈された小高い台地の上にあります。寺の名前の「池上」は寄贈者の名前です。この寺は鎌倉時代から関東武士との因縁が深く、徳川時代にもその庇護をうけています。第二次大戦で殆どの建築物が焼失しましたが、五重塔(重要文化財)だけは残りました。(写真1)関東に現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔とのことです。その他の建造物は逐次復元されたもので、広い境内は明るくどこかモダンな感じがしています。本殿(常経殿)、大堂(祖師堂)、仁王門は鉄筋コンクリート造りであり、最奥にある御廟所だけは木造です。(写真2、3)梅と桜の季節には花見を兼ねて参拝者が多いと云います。(以上)