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2013.02.09
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カテゴリ:回り灯籠
20130209 Shinjuku3 02.JPG



 8時ごろに起きた。
 早番のかみさんはとっくに出かけている。
 5時半にいちど起きて朝の挨拶を交わし、忘れ物がないことを確かめたりして見送り、そのあとで再び眠ったのだった。

 ニュースサイトで米国北東部の寒波と大雪被害を知る。
 ボストン空港などで航空路線3千便が欠航しているらしい。

 この事態は昼のニュースでも採りあげられ、マンハッタンのバスがまともに動かず、大ごとになっているようだ。

 午後1時58分のバスに下の停留所から乗った。
 中野の中山歯科に行くのだ。

 新宿で電車からバスに乗り換える。
 西口の地下広場をステッキをついてゆるゆる行くと、不意に、むかしここに露店が立ち並んでいたころを思い出すのだった。

 埃っぽい道を西へ5分ほど歩いた午後があった。
 昨年亡くなった鈴木英輔さんとふたりだったと思う。
 名前を思い出せないが、当時ぼくも所属していた児童劇団の関係者がやっている店に向かっていたのだった。
 昭和30年(1955年)ごろじゃあなかったか。
 ガラスの嵌った引き戸のある店だったが、なぜか新宿西口というとこの場面を思い出す。

 さらに何年か経ち、大学時代も後半になったころ、西口で何やら大工事が始まった。
 これが現在の西口広場となる再開発の始まりなのであった。

 学校を出て報道関係の仕事に就き、3年ほど経ったころ都市開発を主題とする1篇をつくったことがある。
 そのころメタボリズム建築思想を打ち出し、建築界の若いスターとなっていた黒川紀章さんのインタヴューをしてその作品に織り込んだ。
 取材対象の主眼が新宿西口の開発状況と、多摩丘陵の大開発だった。

 キャメラマンと西口の浄水場あたりに立って見回すと、新宿駅方面以外はただただ広い空間が茫々と拡がるばかりなのだった。
 浄水場の水はすでに抜いてあったかもしれない。
 新宿駅の逆の側、東側には毎日のように足を運び、新宿御苑に近いバァで酔っ払うのが常だったので、西側が都会とは思えない荒れ果てた空き地となっていることに不思議な感慨をもったことを覚え

ている。
 西口大工事の完成予想図には高速道路の立体交差や高層ビルが立ち並んでおり、ぼくは手塚治虫のマンガ『鉄腕アトム』に描かれる「街の景色」を思い出したりしていたものだ。

 ときは1969年初夏。
 この年の初めに東大闘争が最終段階を迎え、安田講堂を取り囲んだ放水車からひと晩中放水が行われた。
 この闘争を担当して取材をつづけていたぼくは、1月19日の早朝、安田講堂のほぼ全体につららが下がっているのを見た。
 夜明けから朝に、だんだん明るくなる中で安田講堂を包み込むつららはレース飾りのようであった。

 『未来都市』と題された都市開発のルポは、2か月ほどのちに出来上がった。
 そのころぼくは退社を決めており、これが在籍中にぼくがつくった企画ものの最後の作品となった。
 ちなみに、最後につくったニュースは「東名高速道の完成」を報ずるものだった。

 新宿駅の西口地下広場を歩きながら、あれやこれや思い出す。
 新中野に住んでいたころは慣れ親しんだ場所だけに、いったんそういう状態に入り込んでしまうとなかなか抜け出せない。

 で、そんな日もあったという記念に写真を撮った。
 うち1枚を上に載せておく。





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最終更新日  2013.03.02 21:00:17
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