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その「怒り」の想念や感情を生じさせる原因となるものが何であったとしても、「怒り」を生じさせているのは自分です。 ※本日のブログでは、「怒り」という文字を沢山使うことになりますが、あまり望ましいことでは ない為、以下より「♪♪」の表記に代えさせて頂きます。(「怒り」=「♪♪」) 「♪♪」は、抱いてしまう「想念」であり、何かに反応してしまう「感情」ですから生じることは仕方ない、と私は想っています。 ただ、「負」の想念や感情ですから、「♪♪」を感じた瞬間に、自分自身に「♪♪を感じてしまってごめんなさい。」と謝ってしまうことです。自分自身を赦してあげるんです。 なぜ、自分自身に謝り、自分自身を赦すのか。 「♪♪」は、自分自身の肉体や精神を傷つけてしまいます。(かわいそうですね) それだけでなく、家族や周囲の人までも傷つけます。(そんなことしてはいけませんね。私自身、沢山してきてしまったので大いに反省し、大いに自分自身を赦しています。) 他人の「♪♪」の影響を受けた方は、意味もなく突然イライラしたり、「♪♪の感情」をあらわにしたりします。周辺の植物やものにまでその影響は及び、地球規模にもなりかねません。 ただ、その及んでいる影響が目に見えないだけなんです。 一人一人のちょっとした「♪♪」の想念が、他の「♪♪」の想念を呼んだり、招いたり、逆に呼ばれたり、招かれたりすることを繰り返していく内に、「♪♪の想念」は計り知れない大きさになってしまいます。 その結果として生じているものが中東などの各地で続いているものなのかもしれません。 「♪♪」の「想念」や「感情」は、「悪循環の極み」といえるものだと私は想っています。 私自身、「♪♪」という感情があり(以前に比べると本当に少なくなり、自分自身でも嬉しい限りです。)、何かに反応して「♪♪」を感じたときは、直ぐに深呼吸をして僅かでも「♪♪」を感じてしまった自分を「穏やかに優しく」赦すようにしています。 私の場合は、「自分を赦す」ということで、感情をコントロールすることができるようになり、 「♪♪」の時間を短くし、「♪♪」の想念を生じさせないようにすることができるということがわかりました。 「♪♪」の時間が短くなっていくと、「♪♪」を感じる対象が次第に少なくなってきます。 それを繰り返していくと、それまで何かに反応して「♪♪」を感じていたものが、殆どのことについて「どうでもいいや」と、良い意味で感じるようになってきます。 このような流れを「意識」して「する」ことがとても大切なことだと感じました。 そのうち「意識」しなくなってくると、以前よりも「♪♪」を感じる頻度や時間が少なくなっている自分に気がつきます。そうすると、自分自身がどんどん大好きになってきました。(もともと自分自身が大好きですが。) 「私は、自分が大好き!」 「私は、自分を愛してる!」 など 私は、こういうセリフを家族や友人等の会話でも普通に言葉(音)として発します。(「私」の部分は、「俺」になりますが。) 一般的には気恥ずかしいことのようですが、私は本当に自分が大好きで、自分を愛しているので恥ずかしくないのです。 何度も聞かされている家族や友人等は、飽き飽きしているかもしれませんが、「自分が大好き」、「自分を愛している」ということは、私たち一人一人がもつ、「魂」の本来あるべき姿ではないかと感じています。 私の考える『内面的ダイエット』は、「私は、自分が大好き!」、「私は、自分を愛してる!」という素晴らしい言葉を、気恥ずかしくて言えないようにしている自分の心に付着した余計なものを捨ててしまいましょう!ということです。 その余計なものを捨ててしまうことにより、本来「自分が大好き」で「自分を愛している」素晴らしいみなさんの「魂」が、心に「元気」や「ゆとり」をもたらし、そして魂の感じる「幸」へ導いてくれるのではないか、と私は感じています。 声に出さなくても、心の中にいる本当の自分(真我)、「魂」に語りかけてみるだけでもいいんです。 「私は、自分が大好き!!!」 「私は、自分を愛してる!!!」 一人でこれをすることは、始めは気恥ずかしいかもしれませんが、それでも「私は、自分が大好き!!!」、「私は、自分を愛してる!!!」と、自分の心に語りかけている自分を素直に感じたときは、不思議と笑みが浮かぶのではないでしょうか。 その「笑み」は、心の中にいる本当の自分(真我)、「魂」の気づきの笑みかもしれませんね。 皆様に沢山の幸が導かれますことを心より祈念いたします。 どうもありがとうございます。 「志」 ◆インディアンの言葉-1◆ はじまりのとき、人間と動物のあいだには、ちがいはなかった。 その頃はあらゆる生きものが地上に生活していた。 人間は動物に変身したいと思えばできたし、動物が人間になることもむずかしくはなかった。 たいしたちがいはなかったのだ。 生きものは、ときには動物であったし、ときには人間であった。 みんなが同じことばを話していた。 その頃は、ことばは魔術であり、霊は神秘な力を持っていた。 でまかせに発せられたことばが、霊妙な結果を生むことさえあった。 ことばはたちまちにして生命を得て、願いを実現するのだった。 願いをことばにするだけでよかったのだ。 しかし、説明したらだめになる。 昔は万事がそんな風だった。 (エスキモーの伝説) ◆地球のかけら(石)の写真集-9◆ ~ラリマー(ラリマール)~ 「ラリマー」は、カリブ海に浮かぶイスパニオラ島(エスパニョーラ島)の東、青い空と青い海に包まれている「ドミニカ共和国」から産出される石です。 「愛と平和を表す鉱物」、「心の奥に隠された♪♪の感情を鎮め、自己の間違った観念の束縛から解放されるように力を与えてくれる」、「持つ人に変わらぬ平穏と友情を授け、労わりの気持ちを持って物事に対処できるよう導く力がある」などといわれています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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