|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「悟りを開く為には、何かが必要」 という発想の元に、 様々な宗教や修行などの方法や手段などが生まれたり、 生み出されているのだと思うのです。 これらも形式や儀式と同じだと思うのです。 様々な方法や手段を通じて、心が満たされていると感じているのは、 「これをすれば悟ることが出来る」 という「欲」が満たされているのであって、 本当の意味で、心が満たされているわけではないと思うのです。 (欲を超えて心が満たされていれば、それこそ悟っているのだと思うのです) 私は、まだまだ悟りに至るような身ではございませんが、こう思うのです。 「悟りを開く」というのは、自分の心が開かれることだと思うのです。 自分の心が開かれるには、まずは自分の「良心」に 恥じることなく、素直に従えればそれで良いと思うのです。 ただ、自分の心が、 「悟る為には自分の良心に恥じることなく、良心に素直に従えばそれでいい」 ということに気づかせて頂く為に、 人として、様々な経験や体験の積み重ねが必要だと思うのです。 経験や体験として、様々な宗教や修行の方法や手段があることは、 とってもありがたいことだと思うのです。 しかしながら、その様々な方法や手段 「そのもの(宗教や修行など)」 が、 悟りを開かせてくれるわけではない、と思うのです。 何ごとも 「自分の心の持ち方次第」 であることに気づかせて頂くために、 様々な経験や体験が循環して与えられているのだと思うのです。 その循環の中で与えられる様々な経験や体験の1つ1つについて、 自分の「良心」に恥じることなく、 素直に従って生かさせて頂くことができるようになれば、 自然と笑みがこぼれ、心にゆとりや豊かさが生まれ、 人様の喜びが自分の喜びになり、常に心が満たされていると思うのです それが「悟りを開く」ということなのではないかなぁ~と思うのです。 「悟りを開く」といっても、それはその先にある 未知なる永遠の真理への門戸が開かれただけだと思うのです。 未知なる永遠の真理への門戸故に、 悟りの道も永遠なのだと思うのです ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ 「 ラクシュミーさん(吉祥天さん)からの伝言 」 【 心の故郷 】 と私たちを結ぶ 【 三種の神器 】 「 自分の心を映す【鏡】 」 「 自分の心が安らぐ場所へ導く【勾玉】 」 「 自分の心や身体を守る【剣(武器)】 」 【三種の神器】をもって、 「幸せいっぱい」 「笑顔いっぱい」に 生かさせて頂きましょう (詳細は、写真をクリックしてください) 【三種の神器】に関するお問合せや、【三種の神器】に関するお声は、こちらをどうぞ ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ 「幸運の鍵」を判定する写真をご紹介させて頂いております。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|