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2017.07.02
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カテゴリ:まちづくり
今年初めに昔から温めていた水戸黄門の「甲寅紀行」の袖ケ浦・坂戸市場は
自分なりにも、そこそこにまとめて、区民・市民の方にも紹介し、元勤めていた
会社のOB会報にも投稿しました

しかしこの内容だけでは図書館での調べる学習の大人の部に
投稿するのには物足りないなぁと感じていました

水戸黄門は東京湾側の海岸を姉ヶ崎~袖ケ浦を経て、木更津の後で上総湊から
鎌倉のおばあさんの墓参りに行き、詳しいことは未調査ですが
鎌倉に一週間滞在して「鎌倉日記」を記しています

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水戸義公全集 (1970年) [古書] 徳川 光圀; 徳川 圀順【中古】
当時奈良輪は宿場町だったが、水戸黄門が宿泊するような場所は
なかったかもしれない

343年後の今、水戸黄門は袖ケ浦を訪ねたら、何を感じるのだろう

当時の海岸線はない

上の図は明治時代の迅速測図で水戸黄門さんが来た時と大きな違いは
ないと思います

これは昔の高須海岸での塩田の位置を示している

塩場では徳川家康の勧めでアサクサノリの栽培が盛んとなりました
1967年に発見された「ナラワスサビノリ」は全国的な展開が
図られて袖ケ浦海岸でも盛んに栽培されていました
その後工業地帯となり下のような感じです

考えてみると海岸で生産されている製品は「アサクサノリ」に代わる
現代の名産品です
千葉県は徳島から麻を求めて人が定住しました
その麻で作られた望陀布は大変技術の高い麻布で
美濃のものと同等の高級品であったと伝えられる

こうした点を考えると、袖ケ浦・木更津を治めていた
馬来田国造の遺跡、国の史跡となる山野貝塚、明治時代まで
各地で盛んにおこなわれていた私塾を紹介しないわけには
行けないと思われる

とても楽しみな夏休みが期待されます

木造3階建て 世界で一番くわしい 16 (エクスナレッジムック 建築知識) (単行本・ムック) / 齊藤年男/著 安井昇/著 望陀佐和子/著 安井昇/他著





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最終更新日  2017.07.02 04:12:21
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