私的?詩的?史的?血液型じんるいがく。
血液型で人の人格を判断するのはよくない。とは思うものの、例えば会社などでグループを組むとき、血液型による特性を見ると有効だとは思う。血液型にある程度類型が見られるのは、血液型に民族的な意味があるからでは、とやちまた道は勝手に思っている。以下に思うことをつづってみる。まず、O型。この血液型に人類の原型みたいなものを感じている。民族種別的には狩猟民族・採取民族があてはまるのでは。なんか大地的な「大地の恵み」ともに生きる原始的なパワーを感じる。きっと一番生命力があるのだと思う。この血液型は踊りや音楽など原始的な芸術に長けていると思う。次に、B型。こちらはきっと、飢饉か何かで食料や水が足りなくなった時に生まれた種族だ。だから性格的には「何かを求める」「いちかばちかで動いてみる」ことに能力を発揮する。民族的には遊牧民族。あるいは騎馬民族。獲物を求めて草原を馬で駆けめぐるイメージがある。だからB型は馬が好きで、競馬などの賭ごとも好きだろう、と思う。新しい商品開発などに能力を発揮する。そして、A型。この類型はなんかB型への反作用として生まれたような気がする。無計画で、無鉄砲な遊牧的な生き方ではなく、計画的な「育む」「蓄える」「分配する」能力に長けている。民族的には農耕民族か。日本人もこの類型が多いことはまちがいない。B型に対して、何かしら許せない部分をDNA的に持っているような気もする。残るはAB型。この血液型は背反するA型・B型から、昔の大地のようなO型を夢見て生まれたきた、新種だ。だから、民族という形をとらないし、とっていないことにアウトサイダー的な特権意識を持っている。O型の生き方には憧れのようなものを抱いている。しかし、あくまでそれは憧れ。コピーでしかない。だから、大地に根を張らない空を飛ぶ鳥のような生き方をする。芸術家肌ではあるが、音楽や踊りなどの生活に密着した原始的なものには弱い。生命力もない、うんちく系だ。まあ、絵や写真や詩などの空想の世界に浸るのが好きだが。と、まあ、ここまで勝手に血液型人類学を夢想してみる。こんな風に根も葉もないことを夢想することに喜びを感じるのもやちまた道がAB型だからに違いない。