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2022.05.17 コメント(1)
全228件 (228件中 1-10件目) 友人ほか
カテゴリ:友人ほか
今日、5月17日は中学時代の恩師・井〇先生の命日。
先生がお亡くなりになったのは2003年であるから、もう19年も前のことになる。 昨日(16日)は、中学時代の同級生、喜麻呂君、谷麻呂君、ひろみの郎女さんたちと恩師のお墓参りをして来ました。 クラスメイトと一緒にお墓参りをするのは3年ぶりである。 毎年5月に集まってお墓参りをするのが恒例になっていたが、コロナ禍で集まりは中止となり、お墓参りも休止となっていました。 尤も、ヤカモチは、今年1月早々にお墓参りをしているので4ヶ月ぶりに過ぎないのではある。 <参考>恩師17回忌・墓参 2019.5.12. 2022邂逅展と恩師のお墓参り 2022.1.6. ![]() (恩師墓) ![]() (同上) 墓参の後は、ひろみの郎女さんが予約して置いて下さった、ピザ・レストランのアルナッジョでランチ&ミニクラス会でありました。 ひろみの郎女さんとは、若草読書会その他何だかんだで顔を合わせることも多いのであるが、喜麻呂君、谷麻呂君とは久しぶりの顔合わせで、旧交を温めました。 ![]() (アルナッジョ) ランチを済ませて、恩師宅へと向かいましたが、お留守にて奥様とお目にかかることはできませんでした。 仕方なく生駒駅で解散となりました。 <参考>中学同期関係の過去記事はコチラ。 ひろみの郎女さんのブログの関連記事はコチラ。 We stand with Ukrainians. ![]() (STOP PUTIN STOP WAR)
2022.03.26
カテゴリ:友人ほか
今日は、友人、故・山〇君の追悼記念式、しのぶ会に出席して来ました。
2022.01.21
カテゴリ:友人ほか
一昨日(19日)は健人会の新年会でありました。
健人会の新年会は一昨年(2020年1月22日)以来のこととなる。 コロナ禍で中止となっていて、皆さんと顔を合わせるのは2年ぶりということになる。 世話役の草麻呂氏から「コロナ感染がやや落ち着いた状態となりましたことを受け会員の中から、新年会開催の要望が出てまいりました。」として、新年会の案内メールを頂戴したのが昨年の11月25日のこと。 この頃はそんな空気であったので、迷わずに出席する旨を返事。 ところが、年明け後オミクロン株による感染急拡大で状況は一変。 再度、出欠の可否を問うメールが入り、どうするか迷ったが、出席することとしたもの。 今回は18名への案内で、出席者は、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、岡〇氏、徳〇氏、森〇氏、竹〇氏、正〇氏、生〇氏、北〇氏、平〇J氏、草麻呂氏にヤカモチの13名、鯨麻呂氏、木〇氏、今〇氏、川〇氏、〇庭氏の5名は欠席。 新年会は、夜の時間帯に大阪市内の店で、というのがこれまでの通例であったが、今回は、コロナのことも配慮して、夏の納涼昼食会の恒例の場所となっている石山寺近くの料亭・新月での昼食会という形で開催。 新月での昼食会の場合は、愛車の軽量折りたたみ自転車・トレンクル持参で参加し、その前後を銀輪散歩にあてるというのがヤカモチの習慣になっているが、今回はトレンクルは持参せずの参加でありました。 料亭の送迎バスがJR・石山駅前北口広場11時35分発車という案内であったので、それに間に合うように家を出る。 石山駅到着が11時13分。一つ早い電車での到着でありました(当初予定の電車は11時28分着)。 直接に料亭に出向く人2名を除き、全員集合したので、マイクロバスに乗り込む。 ![]() (瀬田の唐橋の前を過ぎて・・) 会場の料亭・新月は、瀬田川沿い、京阪電車・石山寺駅から石山寺方向に少し行ったところにある。 ![]() (京懐石・新月) ![]() (新月の前から琵琶湖方向<北方面>を望む) ![]() (同上・石山寺方向<南方面>を望む) 検温、アルコール消毒を済ませて部屋へ。12時開会。 ![]() (健人会新年会) 世話役の草麻呂氏の挨拶と昨年暮れに急逝された田〇氏への献杯で開会となりました。 <参考>友人の訃報 2021.12.26. 話をする時はマスク着用、互いに酌をしたりはしない、時々窓を開けて換気をするなど感染対策に気を付けての宴会でありましたが、そんなに厳密には守れないのが酒席というもの。やがては・・でありましたが、いつもよりは静かな宴会であったかと。 それはさて置き、どなたともヤカモチは2年ぶりの再会で、懐かしく、楽しく、愉快。 こういう集まりは久々のことであり、まことに心地よい時間を過ごすことができたのでありました。 換気の折に窓の外を眺めると瀬田川。 ![]() (瀬田川) 左が上流で琵琶湖から流れ出し、右が下流で、京都府に入った何処かで宇治川と名前を変え、石清水八幡宮付近で木津川、桂川と合流して淀川となって大阪湾に注ぐ。 以前、瀬田川沿いを宇治まで銀輪散歩したことがあるので、その記事を参考までに貼り付けて置きます。 <参考> 瀬田川・宇治川銀輪散歩(獺の祭見て来よ瀬田の奥) 2014.3.12. 瀬田川・宇治川銀輪散歩(わが庵は都のたつみ) 2014.3.13. 瀬田川・宇治川銀輪散歩(もののふの八十宇治川の) 2014.3.14. 瀬田川・宇治川銀輪散歩(秋の野のみ草刈り葺き) 2014.3.15. 獺の祭見て来よ瀬田のおく (芭蕉) と芭蕉が詠んだ瀬田川である。 七十二候の一つが「獺祭魚」で、1月16日から20日までの5日間がこれに当たる。まあ、旧暦の日付であるから、現在の暦の日付では2月半ば頃の5日間ということになるが、それを敢えて無視して日付の表面だけの一致に着目すれば、1月19日のこの日に、獺祭の候の句を取り上げても、的外れということにはならないだろう(笑)。 カワウソは獲った魚を岸に並べる習性があり、それを祖先の祀りに見なして「獺の祭」と呼んだ。 瀬田川はこの奥(下流)、南郷洗堰の先の黒津で大戸川(別名:田上川、信楽川)を合流している。その付近のことを「瀬田のおく」と言っているのであるか。それとも大戸川の上流の甲賀山中のことを言っているのか。 この句は、元禄3年芭蕉47歳の作。「膳所へ行く人に」という前詞に続けてこの句がある。 膳所から伊賀まで芭蕉を訪ねて来た門下の俳人、浜田(治助)洒堂が膳所に帰るに際して、彼への餞別として、彼の帰路のことを思いやって詠んだ句と考えられている。 伊賀から御斎(おとぎ)越えで膳所に帰るとすると、御斎峠から信楽に入り、大戸川上流に出て、田上盆地を経て瀬田川に出るというコースになるか。 句の意味は「折しも獺祭の候である。瀬田の奥で獺の祭を見て行かれるがよろしかろう。」というもの。 目を左に転じると、遠く比良山系の山々が雪化粧した姿を見せていた。 ![]() (雪化粧の比良の山々) 芭蕉のもとを辞した洒堂が、「瀬田のおく」で「獺の祭」を目にしたかどうかはともかく、この付近まで帰って来て、雪化粧した比良の山々を目にしたことは大いにあり得るかと。膳所はここからはもう目と鼻の先なのである。 獺の祭のあとの比良の雪 (偐洒堂) 午後3時過ぎ、お開き。そろそろ帰宅である。 二次会をという人達ほかを残し、杉〇氏、只麻呂氏、草麻呂氏、竹〇氏、ヤカモチの5名は送迎のバスでJR石山駅へ。 家路が反対方向の草麻呂氏と只麻呂氏とは石山駅で別れ、杉〇氏と竹〇氏とは京都駅で別れ、大和西大寺駅経由で枚岡駅到着午後5時過ぎ。 あべのハルカスの方角に真っ赤な夕日が沈もうとしているところでありました。 昨日(20日)、草麻呂氏から、今後の予定として次のようなメールが入っていました。健人会はまたしばらくは休眠か。 4月上旬の水曜日(桜の時期)<ただし、今年度の開催は難しいかも> 11月上旬の水曜日(紅葉の時期)<新月にて昼食会> 今後の懇親会は、これまでとは異なり、4月と11月に開催とのこと。 また会う日まで、皆々、お元気であれ。 <参考>健人会関連の過去記事はコチラ。
2021.12.26
カテゴリ:友人ほか
健人会のメンバーの田〇氏が昨日午前2時半にご逝去されたとの訃報メールが世話役の草麻呂氏から昨夕に入りました。
同氏はヤカモチの会社時代の先輩。ずっと営業部門を歩まれた方で、同じ部署で一緒に仕事をしたということはなかったが、比較的親しくさせていただいたお方であり、退職後は健人会で年2回お会いするというお付き合いでありました。健人会については、ヤカモチは新年会と納涼昼食会だけに参加しているので、同氏とお会いするのも年に2回という次第。 しかし、コロナ禍で健人会の新年会も夏の納涼昼食会も、昨年1月22日の新年会を最後に休止となっているので、同氏とお会いしたのはその新年会が最後ということになる。 <参考>健人会の新年会 2020.1.23. 健人会関係の記事はコチラ。 来年1月19日には健人会新年会が予定されていて、同氏とも久しぶりにお会いできるかと楽しみにしていましたが、それは叶わぬこととなりました。 何とも悲しいことであります。 ご葬儀は家族葬で執り行われるとのことで、お別れに出向くことはできませんが、同氏の優しいまなざし、温和な語り口などを思い出しつつ、ご冥福をお祈り申し上げます。 当ブログでは、健人会関係の記事で「田〇氏」として登場されているが、2013年2月20日の記事でご紹介した「パンドラの丘」のことを知ったのは同氏からの情報でした。 <参考>パンドラの丘 2013.2.20. パンドラの 丘を知るやと 言ひしきみの 訃報届きぬ クリスマスの日 (偐家持) わが背子の 旅立ちの日ぞ こころあらば いたくな吹きそ 武庫の山風 (偐家持) ![]() (God be with you) 同氏からの便りは、下掲の今年の年賀状が最後ということになりました。 ![]() (田〇氏からの今年の年賀状) こんなことになるとは夢にも思わなかったので、来年元旦に届くであろう同氏宛てのヤカモチの年賀状は既に投函済みである。しかし、彼がそれを目にすることはないのである。合掌。
最終更新日
2021.12.26 22:19:03
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2021.12.14
カテゴリ:友人ほか
ブロ友のfurano-craft氏から虎と鯛が届きました。
同氏からのプレゼントです。 「虎は強靭な生命力のシンボルでもあり、家運隆盛のシンボル、そして魔除けとのことで2頭に仕上げました。」とのこと。 トラは来年の干支、鯛は目出度いのタイということでありますから、来年のお正月に向けての、心温まる手作り作品の贈り物であります。 ![]() (跳ぶ虎・右向き面) ![]() (同上・反対面<左向き面>) OSB合板を電動糸鋸盤で切り抜いて作成されたシルエット作品。 様々な木材破片を強力接着剤で圧力を加えて固めた集成材がOSB合板ですから、合板表面の模様は様々。同じ型の作品でも表面と裏面とでその表情は異なった印象を与えます。 また、シルエットなので、OSB合板の何やら抽象画のような模様と相まって、色々な想像力も働き、面白い作品になっています。 <参考>OSB合板・Wikipedia どちらが表、裏というものでもないでしょうから、その人が気に入った方の面がオモテということになるのでしょうか。ここでは表裏の別をこれとは定めず、右向き面・左向き面と表現することにしました。 虎は、四神獣の一つ、白虎として西を守る神獣でありますが、一日に千里も走るという動物。24時間で4000km走るということは、時速166.7kmの高速で24時間走り続けるというのだから凄い(笑)。 虎の威を仮る狐が出て来るのも無理のないところと言うべきか。 ![]() (坐る虎・右向き面) ![]() (同上・反対面<左向き面>) こちらは、坐る虎。 雌伏する虎ですな。 この言い方に倣うなら、上の跳ぶ虎は「雄飛する虎」である。 跳ぶ虎はオスの虎で、坐る虎はメスの虎ということになるか。 雄飛と雌伏。 ジェンダー平等の観点から言えば、不適切な用語法で、いづれは死語となるのかもしれないと思ったりも。 furano-craft氏は「阿吽」をイメージして、この2頭の虎を切り抜かれたようでありますから、上の「跳ぶ虎」が「阿形虎」で、この「坐る虎」が「吽形虎」ということになるのかもしれません。 「危うきこと虎の尾を踏むが如し」などと、非常に危険なことを冒すことの喩えとして、虎の尾を使いますが、君子危うきに近寄らず、でありますから、虎の尾は踏まないように気をつけましょう。 まあ、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」派のお人はどうぞご自由に。 ![]() (鯛・右向き面) ![]() (同上・反対面<右向き面>) はい、目出度い鯛であります。 鯛焼きでも、泳げたいやきくん、でもありません。 昔々、「タイでエビを養殖」という新聞記事の見出しを目にして、「鯛で海老を養殖」では採算が合わないだろうと一瞬思って、すぐに「タイ国でエビを養殖」の意味だと気づいて苦笑、ということがありましたが、この鯛が天然ものか養殖ものかは存じ上げぬところであります。 以上、furano-craft氏へのお礼も兼ねて記事アップさせていただきました。furano-craftさん、どうもありがとうございました。 <参考>furano-craft氏のブログはコチラ。 木力工房関連記事はコチラ。 偐万葉・ふらの篇はコチラ。 フォト蔵アルバム・木力工房関係はコチラ。
2021.11.08
カテゴリ:友人ほか
(承前)
一昨日(6日)、柏原市の問屋場亭で、久しぶりに凡鬼・景郎女ご夫妻にお会いしたことは、前ページ記事に記載の通りですが、その際に、景郎女さんから頂戴したのが次のチラシ。 「12人の絵本作家が描く おうえんカレンダー2022 カレンダー原画展」のチラシであります。 ![]() ![]() (カレンダー原画展のチラシ) ※画像をクリックするとフォト蔵の大きいサイズの画面が新しい窓で開きますので、それでお読みください。この場合、PR画像が画面を覆ってしまうことがありますので、当該PR画面の左上または右下の×印をクリックしてPR画面を消去することによって、正常画面を見ることができます。 景郎女さんは、野の花文庫や子どもたちへの絵本の読み聞かせなどの活動を長年にわたってやって居られるが、そのような活動のつながりで、このカレンダー原画展の活動にも関与されているのであるか、「こんなのが開催されるので、PRしてね。」との趣旨で手渡されたものである。 当ブログに記事として取り上げても、いかほどのPRになるのか、心もとない限りであるが、一応ご紹介申し上げます。 <参考>(社)応援カレンダープロジェクトの公式サイト 今年は全国7箇所で開催とのことで、10月1日~14日の東京会場での開催を皮切りに大阪市北区、京都向日町と続き4番目の開催が景郎女さんのご在住地の高槻市となっていて、下記の通り開催されるとのこと。 会期:11月12日(金)~14日(日)10:00~16:00 会場:高槻市立中央図書館 (JR高槻駅南口、阪急高槻市駅から徒歩8分) 高槻市桃園町2-1 電話080-1456-8515(角所) 主催:高槻文庫連絡会 ご興味のあるお方、お近くのお方は、どうぞお出かけください。
2021.11.07
カテゴリ:友人ほか
大阪府の柏原市では、毎年11月に、KASHIWARA芸術祭(柏原ビエンナーレ)というのが催される。昨年はコロナの所為で中止になったのではないかと思うが、今年は例年通りに開催された。
2021.10.17
カテゴリ:友人ほか
昨日(16日)は、大学同期の友人・堀〇君からのお声掛けに応えて、「IRカジノSTOP!10・16市民集会」に参加して来ました。
会場は、阪急宝塚線曽根駅から徒歩5分の豊中市立文化芸術センターの多目的室。午後6時半開会~8時半閉会ということなので、少し早めに行って、曽根駅近くの東光院・萩の寺を訪ね、その後、何処かで夕食を済ませてから、会場に入ろうと考えていましたが、ネットで東光院を検索すると、コロナ対策で同寺の拝観時間は午前10時から午後4時までとなっていることを知る。 午後4時過ぎに寺を訪ね、5時半頃に夕食、6時過ぎ会場入りという当初目論見の修正を余儀なくされました。 ということで、出発を午後1時過ぎに早める。曽根駅到着が午後2時過ぎ。 しかし、さすがに早く来過ぎたようで、時間を持て余す羽目に。 東光院訪問の後、付近を徘徊、豊島(てしま)公園散策、「喫煙処」という札が掛かっている喫茶店で珈琲休憩、会場の市立文化芸術センター向かいのヴァイキングビルの喫茶店で早い夕食。 ![]() (ヴァイキングビル) 早食いのヤカモチであるが、意識的にゆっくり食べ、食後の珈琲もゆっくり味わいましたが・・。 それでも時間が余り、市立文化芸術センターには午後5時16分に到着してしまった。まあ、道路1本を挟んでいるだけですから、当然ではありますが(笑)。 ![]() (豊中市立文化芸術センター) 館内をブラブラしていたが、2階のミーテイングルームに何人かの人が入って行くのを見て、主催の「大阪カジノに反対する市民の会」の人たちだろうと見当をつけ行ってみると、果たしてその通りで、堀〇君やその仲間の皆さんが集会参加者に配布するチラシなど各種ペーパーをセットされていた。 で、堀〇君に挨拶するついでに、小生もそれに加わって、少しばかりお手伝い。 定刻に開会。 入場の際にいただいたペーパーセットの中に入っていたのは、こんな手作りのストラップ。 ![]() (カジノNO) 裏側(まあ、どちらが裏でどちらが表かは分からぬが)は、こんな感じ。 ![]() (同上) ![]() (会場・開会前) ![]() (集会のリーフレット) 前半は、カジノ反対団体リレートーク、全国カジノ反対団体からのメーセージ紹介、立憲民主党・日本共産党・れいわ新選組など政党代表の挨拶。 後半は熊谷貞俊氏(大阪大学名誉教授)と桜田照雄氏(阪南大学教授)の対談。 カジノ誘致撤回に成功した、横浜カジノ誘致反対横浜連絡会からのメッセージ紹介では、横浜から贈られた50本の傘が披露されました。 ![]() (カジノ誘致反対横浜連絡会からのメッセージ) ![]() (横浜からの50本の傘) この会主催の集会に参加するのは3回目。 前2回は一昨年のことであるから、2年ぶりのことになる。 <参考> 〇カジノはあかん!という市民集会に 2019.3.23. 〇大阪カジノに反対する市民の会結成1周年記念集会 2019.9.15. さて、おまけの話。 市立文化芸術センターの館内をブラブラしていて、地階から1階へと上がる壁面にマチカネワニの骨格のレプリカが展示されているのに気づきましたので、ついでの掲載です。 ![]() (マチカネワニ) ![]() (同上・少し角度を変えて撮影) ![]() (同上・説明プレート) ![]() (同上・説明プレート英語版) マチカネワニは大阪大学豊中キャンパス構内で発掘された45万年前のワニの全身骨格化石。 大阪大学の公式マスコットキャラクター「ワニ博士」や豊中市のキャラクター「マチカネくん」となって親しまれている。 豊中市のマンホールもマチカネくんの図柄である。 <参考>マチカネワニ・Wikipedia 銀輪散歩・マンホール(その11) 2018.8.5. ![]() (ワニ博士) ![]() (マチカネくん) 東光院や豊島公園は別途ページをあらためて後日紹介します。 本日は、これまで。
2021.03.05
カテゴリ:友人ほか
ああ、悲しい。
今日は友人山〇君の告別式でした。 奥様からお電話を頂いたのは3月1日。 そのお電話は、彼が逝去したことを告げるもの。告別式を5日午後1時からとり行うので参列いただけるか、というものでありました。 思いもしなかった彼の訃報、わが耳を疑いましたが、それは悪い夢ではなく、悲しい現実。 今年に入って、新型コロナに感染していることが判明し、入院。持病があったことで症状が重症化、ついに帰らぬ人となってしまわれたとのこと。 彼は、ヤカモチと同じ高校の卒業生で、6年後輩になる。 ヤカモチが本社総務部の法務関係の仕事で会社の顧問弁護士事務所に出入りしていた頃、彼は学生アルバイトで同事務所の事務員をしていて、面識を得て親しくなった。卒業を控えて当社を受験するというので、合格したら総務部に迎えたいと思っていたところ、果たしてその通りの成り行きとなり、以来、ヤカモチが退職するまで、ずっと一緒に仕事をして来た仲である。 ある時期からは、広報関係を担当して貰い、総務部を総務部・法務部・秘書部・広報部に分割した際には初代広報部長に就任、大いに手腕を発揮していただいた。 個人的な関係では、彼が結婚するという時に「頼まれ仲人」を務めさせていただいたが、ヤカモチが仲人を務めた最初のカップルが彼ら夫婦であったということで、特によく覚えている。この折のエピソードは以前のブログ記事でも紹介したことがある。 彼と最後に会ったのは一昨年(2019年)の1月13日である。 <参考>あらたしき年の始めに 2019.1.14. その年の7月にも友人4人での会食の機会があり、そのうちの一人が彼であったのだが、何やら他用と重なり彼は欠席となったので、会えず仕舞いであったのは、今となっては残念と言うほかない。 <参考>旧友との昼食会で難波まで銀輪散歩 2019.7.18. そして昨年はコロナ騒動で、友人との会食は全てアウトで、彼とも会う機会がないままに、今日に至ったという次第。 こんなことになるのなら、もう一度会って話をして置きたかった、という思いが痛切である。 かからむと かねてそ知らば いまいちど 君としあひて かたりしものを (偐家持) 梅の花 今を盛りと 咲きぬれど 悲しけさびし 君しあらねば (偐家持) ![]() (梅田の里山の紅梅<3月3日撮影>) 讃美歌の また会ふ日まで 歌ひつつ 哭のみし泣かゆ 遺影の君に (偐家持) ![]() (告別式祭壇) 告別式はキリスト教式で行われました。 奥様は岡山のキリスト教会の教会員であるのでしょう。その岡山の教会の牧師さんが司式を務められました。 ![]() (告別式・式次第) ![]() (同上) 密葬は既に済まされていて、彼は既にご遺骨になっている。 従って、出棺前のお別れというのはなく、祭壇に献花するのがお別れの最後の儀式である。 献花は、参列者が讃美歌405番を合唱する中で、順々に。 また会う日まで また会う日まで 神の守り 汝が身を離れざれ (Till we meet,till we meet, God be with you till we meet again.) この歌を歌っているうちに悲しみが一気にこみあげて来て、身体がうちふるえ、涙がとめどなく溢れ、歌も絶句、ただひたすらに悲しいのでありました。 山〇君。病に倒れ、さぞ悔しかったことだろう。 無念だったことだろう。 君とのあれやこれやを思い出しながら、 僕らは、今日、君の死を悲しみ、傷みました。 今は、どうぞ安らかにお眠り下さい。 僕らは君のこと忘れません。 そして、ご家族の皆さまに神のご加護と慰めがありますように。 <追記注:2021.3.15.> フォト蔵写真の表示不具合で、ブログ写真とフォト蔵写真とのリンクを貼っていませんでしたが、このほどフォト蔵写真の表示が正常化しましたので、リンクを貼りました。
2021.01.20
カテゴリ:友人ほか
(承前) 上の写真(北寄り)では、右手の木々の間に、京都タワーとJR京都駅ビルが、左手には愛宕山が写っています。 このブログでよく読まれている記事
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