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偐万葉田舎家持歌集

全228件 (228件中 1-10件目)

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友人ほか

2022.05.17
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カテゴリ:友人ほか
​​​​​​​​ 日、5月17日は中学時代の恩師・井〇先生の命日。
 先生がお亡くなりになったのは2003年であるから、もう19年も前のことになる。
 昨日(16日)は、中学時代の同級生、喜麻呂君、谷麻呂君、ひろみの郎女さんたちと恩師のお墓参りをして来ました。
 クラスメイトと一緒にお墓参りをするのは3年ぶりである。
 毎年5月に集まってお墓参りをするのが恒例になっていたが、コロナ禍で集まりは中止となり、お墓参りも休止となっていました。
 尤も、ヤカモチは、今年1月早々にお墓参りをしているので4ヶ月ぶりに過ぎないのではある。
​<参考>​恩師17回忌・墓参​ 2019.5.12.
​     ​2022邂逅展と恩師のお墓参り 2022.1.6.​

​​
(恩師墓)

(同上)
 墓参の後は、ひろみの郎女さんが予約して置いて下さった、ピザ・レストランのアルナッジョでランチ&ミニクラス会でありました。
 ひろみの郎女さんとは、若草読書会その他何だかんだで顔を合わせることも多いのであるが、喜麻呂君、谷麻呂君とは久しぶりの顔合わせで、旧交を温めました。

​​
(アルナッジョ)
 ランチを済ませて、恩師宅へと向かいましたが、お留守にて奥様とお目にかかることはできませんでした。​​
 仕方なく生駒駅で解散となりました。​
<参考>​中学同期関係の過去記事は​コチラ​。
    ひろみの郎女さんのブログの関連記事は​コチラ​。

We stand with Ukrainians.

(STOP PUTIN STOP WAR)






最終更新日  2022.05.17 15:15:09
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2022.03.26
カテゴリ:友人ほか

​​​​​​​​​​​ 今日は、友人、故・山〇君の追悼記念式、しのぶ会に出席して来ました。
 山〇君はヤカモチの高校時代の後輩であると共に、会社時代には長年にわたって一緒に仕事をした仕事仲間であり、個人的には、彼の結婚式ではヤカモチが仲人を務めさせていただいたというような関係でもある。
 昨年2月28日に急逝。その召天1周年の追悼記念式がヒルトンホテル大阪の4階・真珠の間で執り行われました。
 彼のご葬儀のことは当ブログでも記事にしておりますので、ご記憶のお方も居られるかも知れませんが、早くも1年が過ぎたのでありました。
<参考>​till we meet again​ 2021.3.5.
 奥様より、過日、ご案内を頂戴し、出席させていただくことといたしました。
 12時半開式ということで、大阪駅前のヒルトンホテル大阪まで出かけてまいりました。
 式は、告別式と同様、奥様が所属されている岡山市のキリスト教会の牧師さんの司式で執り行われました。

(山〇君召天1周年追悼記念式)

(同上・式次第)

(同上・式次第)
 最後は、列席者が順に遺影の前に献花。

(献花)
 そして、山〇君の奥様の叔郎女さんからのご挨拶。
 追悼式の後は食事会。
 叔郎女さんからは事前に食事会でスピーチをお願いできないかという打診を受けていて、一応その準備もして来たのだが、食事の途中で行うのかと思いきや、料理が運ばれて来る前にスピーチでありました。勿論、この方がスピーチする側としては、ゆっくり食事に集中できるので有難い。
 ところが、最初のスピーチがヤカモチでありました。
 山〇君との出会いのことや会社での彼の活躍ぶり、そして仲人を引き受けた時のエピソードなどを紹介し、「出会いは人(生)を豊かにし、別れは人(生)を深くする」という、通りかかった寺の門前で何年か前に目にした言葉や「会者定離ありとはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりけり」という親鸞の歌にかこつけた話の後、いつものヤカモチ式スピーチで「うつそみの人なる我や明日よりは二上山をいろせと我が見む」という大伯皇女の歌を犬養節で朗誦して、「人それぞれに山〇君との思い出に関連したもの、彼の思い出のよすがとなるものがおありになるのではないかと思いますが、それがその人の二上山ということになります。それが何であれ、それを彼と思い、それをよすがとして、こののちも彼のことを忘れないでいようではありませんか。」という締めくくりで、無事スピーチを終えることができました。
 ヤカモチの後、外人のアナリストのA氏が流ちょうな日本語で、山〇君のIR(Investor Relations)活動が極めて懇切で質の高いものであったことや彼との交流のあれこれをユーモアを交えてご紹介され、続いて高校同期の友人たち9名(彼らも亦ヤカモチの後輩ということになるが、そのうちのお一人は、ヤカモチが仲人を務めた彼の結婚式の時に司会を務めさせていただいた旨をお話されたのは愉快でありました。)が短く彼の思い出をスピーチされました。
 最後にもう一人の外人B氏がスピーチの途中で感極まって声を詰まらせられたのには心を打たれました。
 そして、ご馳走が運ばれて来て食事会。
 食事がそこそこ進んだ頃に、女性お三人による歌。

(花は 花は 花は咲く 女性三人コーラス)
 歌は、全部で4曲。美しい声に聞き惚れました。
 このうち両サイドの女性は、ヤカモチと同じテーブルでありましたので、親しくお話させていただきました。いずれも岡山のキリスト教会のお仲間だとのことでありました。

(歌詞1)

(歌詞2)

(歌詞3)
 続いて、ヴァイオリンの演奏。
 最後に、叔郎女さんからお礼のご挨拶。
 とても素敵な、いい「しのぶ会」でありました。
 山〇君の霊の安からんことを、奥様の叔郎女さんやご子息の善麻呂君に神のご加護と豊かな恵みのあらんことを祈ります。
 ​​







最終更新日  2022.03.27 11:19:08
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2022.01.21
カテゴリ:友人ほか
​​​​​​​​​​​​​​ 一昨日(19日)は健人会の新年会でありました。
 健人会の新年会​は一昨年(2020年1月22日)以来のこととなる。
 コロナ禍で中止となっていて、皆さんと顔を合わせるのは2年ぶりということになる。
 世話役の草麻呂氏から「コロナ感染がやや落ち着いた状態となりましたことを受け会員の中から、新年会開催の要望が出てまいりました。」として、新年会の案内メールを頂戴したのが昨年の11月25日のこと。
 この頃はそんな空気であったので、迷わずに出席する旨を返事。
 ところが、年明け後オミクロン株による感染急拡大で状況は一変。
 再度、出欠の可否を問うメールが入り、どうするか迷ったが、出席することとしたもの。
 今回は18名への案内で、出席者は、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、岡〇氏、徳〇氏、森〇氏、竹〇氏、正〇氏、生〇氏、北〇氏、平〇J氏、草麻呂氏にヤカモチの13名、鯨麻呂氏、木〇氏、今〇氏、川〇氏、〇庭氏の5名は欠席。
 新年会は、夜の時間帯に大阪市内の店で、というのがこれまでの通例であったが、今回は、コロナのことも配慮して、夏の納涼昼食会の恒例の場所となっている石山寺近くの料亭・新月での昼食会という形で開催。
 新月での昼食会の場合は、愛車の軽量折りたたみ自転車・トレンクル持参で参加し、その前後を銀輪散歩にあてるというのがヤカモチの習慣になっているが、今回はトレンクルは持参せずの参加でありました。
 料亭の送迎バスがJR・石山駅前北口広場11時35分発車という案内であったので、それに間に合うように家を出る。
 石山駅到着が11時13分。一つ早い電車での到着でありました(当初予定の電車は11時28分着)。
 直接に料亭に出向く人2名を除き、全員集合したので、マイクロバスに乗り込む。

(瀬田の唐橋の前を過ぎて・・)
 会場の料亭・新月は、瀬田川沿い、京阪電車・石山寺駅から石山寺方向に少し行ったところにある。
​​​​
(京懐石・新月)

(新月の前から琵琶湖方向<北方面>を望む)

(同上・石山寺方向<南方面>を望む)
 検温、アルコール消毒を済ませて部屋へ。12時開会。

(健人会新年会)
 世話役の草麻呂氏の挨拶と昨年暮れに急逝された田〇氏への献杯で開会となりました。
<参考>​友人の訃報​ 2021.12.26.
 話をする時はマスク着用、互いに酌をしたりはしない、時々窓を開けて換気をするなど感染対策に気を付けての宴会でありましたが、そんなに厳密には守れないのが酒席というもの。やがては・・でありましたが、いつもよりは静かな宴会であったかと。
 それはさて置き、どなたともヤカモチは2年ぶりの再会で、懐かしく、楽しく、愉快。
 こういう集まりは久々のことであり、まことに心地よい時間を過ごすことができたのでありました。
 換気の折に窓の外を眺めると瀬田川。

(瀬田川)
 左が上流で琵琶湖から流れ出し、右が下流で、京都府に入った何処かで宇治川と名前を変え、石清水八幡宮付近で木津川、桂川と合流して淀川となって大阪湾に注ぐ。
 以前、瀬田川沿いを宇治まで銀輪散歩したことがあるので、その記事を参考までに貼り付けて置きます。
<参考>
瀬田川・宇治川銀輪散歩(獺の祭見て来よ瀬田の奥)​ 2014.3.12.
瀬田川・宇治川銀輪散歩(わが庵は都のたつみ)​ 2014.3.13.
瀬田川・宇治川銀輪散歩(もののふの八十宇治川の)​ 2014.3.14.
瀬田川・宇治川銀輪散歩(秋の野のみ草刈り葺き)​ 2014.3.15.
 獺の祭見て来よ瀬田のおく (芭蕉)
 と芭蕉が詠んだ瀬田川である。
 七十二候の一つが「獺祭魚」で、1月16日から20日までの5日間がこれに当たる。まあ、旧暦の日付であるから、現在の暦の日付では2月半ば頃の5日間ということになるが、それを敢えて無視して日付の表面だけの一致に着目すれば、1月19日のこの日に、獺祭の候の句を取り上げても、的外れということにはならないだろう(笑)。
 カワウソは獲った魚を岸に並べる習性があり、それを祖先の祀りに見なして「獺の祭」と呼んだ。
 瀬田川はこの奥(下流)、南郷洗堰の先の黒津で大戸川(別名:田上川、信楽川)を合流している。その付近のことを「瀬田のおく」と言っているのであるか。それとも大戸川の上流の甲賀山中のことを言っているのか。
 この句は、元禄3年芭蕉47歳の作。「膳所へ行く人に」という前詞に続けてこの句がある。
 膳所から伊賀まで芭蕉を訪ねて来た門下の俳人、浜田(治助)洒堂が膳所に帰るに際して、彼への餞別として、彼の帰路のことを思いやって詠んだ句と考えられている。
 伊賀から御斎
(おとぎ)越えで膳所に帰るとすると、御斎峠から信楽に入り、大戸川上流に出て、田上盆地を経て瀬田川に出るというコースになるか。
 句の意味は「折しも獺祭の候である。瀬田の奥で獺の祭を見て行かれるがよろしかろう。」というもの。
 目を左に転じると、遠く比良山系の山々が雪化粧した姿を見せていた。

(雪化粧の比良の山々)
 芭蕉のもとを辞した洒堂が、「瀬田のおく」で「獺の祭」を目にしたかどうかはともかく、この付近まで帰って来て、雪化粧した比良の山々を目にしたことは大いにあり得るかと。膳所はここからはもう目と鼻の先なのである。
 獺の祭のあとの比良の雪 (偐洒堂)
 午後3時過ぎ、お開き。そろそろ帰宅である。
 二次会をという人達ほかを残し、杉〇氏、只麻呂氏、草麻呂氏、竹〇氏、ヤカモチの5名は送迎のバスでJR石山駅へ。
 家路が反対方向の草麻呂氏と只麻呂氏とは石山駅で別れ、杉〇氏と竹〇氏とは京都駅で別れ、大和西大寺駅経由で枚岡駅到着午後5時過ぎ。
 あべのハルカスの方角に真っ赤な夕日が沈もうとしているところでありました。
 昨日(20日)、草麻呂氏から、今後の予定として次のようなメールが入っていました。健人会はまたしばらくは休眠か。
 4月上旬の水曜日(桜の時期)<ただし、今年度の開催は難しいかも>
 11月上旬の水曜日(紅葉の時期)<新月にて昼食会>
 
​​​​​​​​​​​
今後の懇親会は、これまでとは異なり、4月と11月に開催とのこと。
 また会う日まで、皆々、お元気であれ。
<参考>健人会関連の過去記事は​コチラ​。 






最終更新日  2022.01.21 13:13:03
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2021.12.26
カテゴリ:友人ほか
​​ ​​人会のメンバーの田〇氏が昨日午前2時半にご逝去されたとの訃報メールが世話役の草麻呂氏から昨夕に入りました。
 同氏はヤカモチの会社時代の先輩。ずっと営業部門を歩まれた方で、同じ部署で一緒に仕事をしたということはなかったが、比較的親しくさせていただいたお方であり、退職後は健人会で年2回お会いするというお付き合いでありました。健人会については、ヤカモチは新年会と納涼昼食会だけに参加しているので、同氏とお会いするのも年に2回という次第。
 しかし、コロナ禍で健人会の新年会も夏の納涼昼食​​会も、昨年1月22日の新年会を最後に休止となっているので、同氏とお会いしたのはその新年会が最後ということになる。
<参考>​健人会の新年会​ 2020.1.23.
    健人会関係の記事は​コチラ​。

 来年1月19日には健人会新年会が予定されていて、同氏とも久しぶりにお会いできるかと楽しみにしていましたが、それは叶わぬこととなりました。
 何とも悲しいことであります。
 ご葬儀は家族葬で執り行われるとのことで、お別れに出向くことはできませんが、同氏の優しいまなざし、温和な語り口などを思い出しつつ、
ご冥福をお祈り申し上げます。
​​​ 当ブログでは、健人会関係の記事で「田〇氏」として登場されているが、2013年2月20日の記事でご紹介した「パンドラの丘」のことを​知ったのは同氏からの情報でした。
<参考>​パンドラの丘​ 2013.2.20.
パンドラの 丘を知るやと 言ひしきみの
         訃報届きぬ クリスマスの日 (偐家持)

わが背子の 旅立ちの日ぞ こころあらば
         いたくな吹きそ 武庫の山風 (偐家持)


(God be with you)
 同氏からの便りは、下掲の今年の年賀状が最後ということになりました。

(田〇氏からの今年の年賀状)
 こんなことになるとは夢にも思わなかったので、来年元旦に届くであろう同氏宛てのヤカモチの年賀状は既に投函済みである。しかし、彼がそれを目にすることはないのである。合掌。






最終更新日  2021.12.26 22:19:03
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2021.12.14
カテゴリ:友人ほか
​​​​​​​​​​​​​​ ロ友のfurano-craft氏から虎と鯛が届きました。
 同氏からのプレゼントです。​
 「虎は強靭な生命力のシンボルでもあり、家運隆盛のシンボル、そして魔除けとのことで2頭に仕上げました。」とのこと。
 トラは来年の干支、鯛は目出度いのタイということでありますから、来年のお正月に向けての、心温まる手作り作品の贈り物であります。

(跳ぶ虎・右向き面)

(同上・反対面<左向き面>)
 OSB合板を電動糸鋸盤で切り抜いて作成されたシルエット作品。
 様々な木材破片を強力接着剤で圧力を加えて固めた集成材がOSB合板ですから、合板表面の模様は様々。同じ型の作品でも表面と裏面とでその表情は異なった印象を与えます。
 また、シルエットなので、OSB合板の何やら抽象画のような模様と相まって、色々な想像力も働き、面白い作品になっています。
<参考>​OSB合板​・Wikipedia
 どちらが表、裏というものでもないでしょうから、その人が気に入った方の面がオモテということになるのでしょうか。ここでは表裏の別をこれとは定めず、右向き面・左向き面と表現することにしました。
 虎は、四神獣の一つ、白虎として西を守る神獣でありますが、一日に千里も走るという動物。24時間で4000km走るということは、時速166.7kmの高速で24時間走り続けるというのだから凄い(笑)。
 虎の威を仮る狐が出て来るのも無理のないところと言うべきか。

(坐る虎・右向き面)

(同上・反対面<左向き面>)
 こちらは、坐る虎。
 雌伏する虎ですな。
 この言い方に倣うなら、上の跳ぶ虎は「雄飛する虎」である。
 跳ぶ虎はオスの虎で、坐る虎はメスの虎ということになるか。
 雄飛と雌伏。
 ジェンダー平等の観点から言えば、不適切な用語法で、いづれは死語となるのかもしれないと思ったりも。
 furano-craft氏は「阿吽」をイメージして、この2頭の虎を切り抜かれたようでありますから、上の「跳ぶ虎」が「阿形虎」で、この「坐る虎」が「吽形虎」ということになるのかもしれません。
 「危うきこと虎の尾を踏むが如し」などと、非常に危険なことを冒すことの喩えとして、虎の尾を使いますが、君子危うきに近寄らず、でありますから、虎の尾は踏まないように気をつけましょう。
 まあ、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」派のお人はどうぞご自由に。

(鯛・右向き面)

(同上・反対面<右向き面>)
 はい、目出度い鯛であります。
 鯛焼きでも、泳げたいやきくん、でもありません。
 昔々、「タイでエビを養殖」という新聞記事の見出しを目にして、「鯛で海老を養殖」では採算が合わないだろうと一瞬思って、すぐに「タイ国でエビを養殖」の意味だと気づいて苦笑、ということがありましたが、この鯛が天然ものか養殖ものかは存じ上げぬところであります。
 以上、furano-craft氏へのお礼も兼ねて記事アップさせていただきました。furano-craftさん、どうもありがとうございました。
​​​​​​​
​<参考>​furano-craft氏のブログは​コチラ​。
​​     木力工房関連記事は​コチラ​。​​
​     偐万葉・ふらの篇は​コチラ​。​​
     フォト蔵アルバム・木力工房関係は​コチラ​。






最終更新日  2021.12.15 09:58:12
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2021.11.08
カテゴリ:友人ほか
​​承前​)
​​​ ​一昨日(6日)、柏原市の問屋場亭で、久しぶりに凡鬼・景郎女ご夫妻にお会いしたことは、前ページ記事に記載の通りですが、その際に、景郎女さんから頂戴したのが次のチラシ。
「12人の絵本作家が描く おうえんカレンダー2022 カレンダー原画展」のチラシであります。
​ ​
(カレンダー原画展のチラシ)
※画像をクリックするとフォト蔵の大きいサイズの画面が新しい窓で開きますので、それでお読みください。この場合、PR画像が画面を覆ってしまうことがありますので、当該PR画面の左上または右下の×印をクリックしてPR画面を消去することによって、正常画面を見ることができます。
 景郎女さんは、野の花文庫や子どもたちへの絵本の読み聞かせなどの活動を長年にわたってやって居られるが、そのような活動のつながりで、このカレンダー原画展の活動にも関与されているのであるか、「こんなのが開催されるので、PRしてね。」との趣旨で手渡されたものである。
 当ブログに記事として取り上げても、いかほどのPRになるのか、心もとない限りであるが、一応ご紹介申し上げます。
<参考>(社)応援カレンダープロジェクトの公式サイト
 今年は全国7箇所で開催とのことで、10月1日~14日の東京会場での開催を皮切りに大阪市北区、京都向日町と続き4番目の開催が景郎女さんのご在住地の高槻市となっていて、下記の通り開催されるとのこと。
 会期:11月12日(金)~14日(日)10:00~16:00
 会場:高槻市立中央図書館
     (JR高槻駅南口、阪急高槻市駅から徒歩8分)
     高槻市桃園町2-1 電話080-1456-8515(角所)
 主催:高槻文庫連絡会
 ご興味のあるお方、お近くのお方は、どうぞお出かけください。
 ​






最終更新日  2021.11.08 09:43:15
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2021.11.07
カテゴリ:友人ほか

​​​​​ 阪府の柏原市では、毎年11月に、KASHIWARA芸術祭(柏原ビエンナーレ)というのが催される。昨年はコロナの所為で中止になったのではないかと思うが、今年は例年通りに開催された。
 パンフレットには「第9回柏原ビエンナーレ」とあるから、10年前から継続開催されているのだろう。
 今年の会期は10月30日(土)~11月7日(日)であるから、今日が最終日である。
 友人の画家・家近氏は柏原市ご在住ということもあってか、これに作品を出展されている。
 一昨年(2019年10月)家近氏から案内のハガキを頂戴して、この催しのことを初めて知り、銀輪散歩を兼ねて出かけたのが最初で、今回は2回目の見学であります。
<参考>​俳句と絵画​ 2019.10.25.
    ​家近健二の気まぐれ絵画作品展​ 2019.11.7.

 5日(土)午後に、自宅をマイCB(クロスバイク)で出発、銀輪散歩を兼ねて会場の問屋場亭を訪ねました。
 帰宅してメールを開くと、前日に入っていたメールの中に、友人・凡鬼さんからのメールがあり、「6日(土)に家近さんの作品を見に行くがどなたかにお会い出来たら嬉しい。」との文言。このメールに気が付いていれば、5日ではなく6日にしたものを、と思いましたが、元々、銀輪散歩を兼ねての訪問であるから、もう一度銀輪散歩を兼ねて出かけるのに何の不都合もなく、早速に凡鬼さんに電話して、午前11時現地にて会いましょう、と決め昨日6日にも出かけることとしました。
 ということで、5日、6日の銀輪散歩を合体させて記事アップとさせていただきます。
 5日(金)は、昼食を済ませてからの出発。
 会場の問屋場亭は近鉄大阪線河内国分駅の東方にある。
 自宅からだと国道旧170号を走るか外環状道路(国道170号)を恩智まで走り、そこから、恩智川沿いの道に入り、旧170号に出るかして、近鉄安堂駅前経由、大和川に至り、少し上流の国豊橋で川を渡り、というコースが近道になるが、車が煩わしいので、近鉄・瓢箪山駅の西付近から柏原市まで恩智川沿いの道を走るというのが、銀輪散歩としての定番コースとなる。
 5日も6日もこのコースでしたが、5日は花園中央公園に先ず立ち寄りましたので、花園ラグビー場、東花園駅前経由で恩智川沿いの道に入りました。
 恩智川沿いの道では池島遊水池公園の池島弥生橋を通過することになるが、この橋の上から遊水池に飛来する鳥を狙って望遠レンズを付けたカメラを構えている人の姿をよく見かける。

(池島遊水池公園のススキの群れ)
 これを過ぎると、東大阪市域から八尾市域に入る。

(鴨と亀)
 恩智川を覗くと、中洲のような場所に、鴨と亀が仲良く日向ぼっこ。
 水中には大きな鯉も群れ泳いでいる。
 問屋場亭到着は午後2時頃。
 
​​
この日は、家近氏の姿は見えずで、受付当番のご婦人と大阪教育大彫刻ゼミの男子学生さんの二人だけ。家近さんの作品とこの学生さんの作品を写真に収めて退出でした。​​​​​​​​

(家近健二氏作品と松枝道政氏作品)

(森嵐氏の作品「水牛」)
 学生さんは森嵐というお名前のよう。作品の説明を受けながら少しばかり言葉を交わす。

(同上・「ワニの口」)
 これも同氏の作品。
 マチカネワニのことなどを思い出す。

(大教大彫刻ゼミのメッセージ)
 同じく、大教大彫刻ゼミの宇田昴史の作品がこれ。
 「外と中がある作品です。ぜひのぞいてみてください。」とあるが、森君がミニライトで空洞の中を照らしてくださり、中を覗いてみると、何やら幻想的な光景。

(宇田昴史氏作品・「空洞」)
 ヤカモチは、翌6日には、早速この受け売りで、ウェストポーチに入れていた自転車のテールランプ用のライトで空洞の中を照らし、景郎女さん(凡鬼さんの奥方)に同じような説明をしているのでありました(笑)。
 会場を退出して帰途へ。
 石神社経由でカタシモワイナリー会場を覗いて行く。

(カタシモワイナリー会場)
 ここでは古着や端切れの布を使ったクレイジーキルトの作品が展示されていましたが、写真には撮らず。ここで頂戴したのは折り紙によるこんな爪楊枝入れ。これはよく見かけるが、馴染みの喫茶店であるペリカンの家でもこのパターンの爪楊枝入れですから、それを思い出しました。

(折り紙の爪楊枝入れ)
 帰途、安堂駅前から少し北へ行ったところで十字架のある建物屋根が眼に入ったので、キリスト教の礼拝堂があるのかと辻を入って行くと、果たしてその通りでした。

​(グレース宣教会柏原チャペル)​
 何度も往復している道であるが、今まで此処に教会があることに気が付きませんでした。
 花園
​​​​​​​​
ラグビー場まで帰って来たところで、喫煙エリアで一休み。

(花園ラグビー場前の喫煙エリア)
 花園中央公園では一本の木だけハナミズキが綺麗に紅葉していたので撮影しました。ハナミズキは黒ずんだ色になったり、枯れた感じになってしまうことが多く、余り美しく紅葉しないという印象を持っているが、この木だけは日当たりなどの環境条件が良かったのか、美しく紅葉していました。

​​​​​​​​​​​​​​​​​​
(花園中央公園のハナミズキ)
 さて、翌6日、凡鬼さんとは午前11時の約束なので、余裕を見て午前9時過ぎに家を出ればいいかと思っていたが、外出の準備もできてしまったので、少し早いがと8時30分か40分頃、自転車・CBを引き出そうとしているところへ、凡鬼さんから電話があり、「家近さんから電話があって、午前中は会場に居ないので午後からの方がいい、ということで午後1時に変更することになった」という話。
 なら、アト2~3時間ほど家に居てもいいことになるが、もう「銀輪散歩モード」に入ってしまっているヤカモチ、元々が銀輪散歩のつもりであるから、出かける時刻が早過ぎても問題はない。そのまま家を出てしまいました。
 恩智川沿いを走る定番コースで、先ず立ち寄ったのが柏原市太平寺の石神社境内。

(石神社の大楠)
 この付近には、七堂伽藍を備えた大寺・智識寺というのが昔あって、聖武天皇がこの寺の大仏をご覧になって、奈良の都に大仏を造立することを思いつかれたという言い伝えが残されているが、石神社の境内には、その智識寺の東塔心礎と推定される石が鳥居脇に置かれている。

(同上・拝殿)
 境内の片隅の枇杷の小木が花を付けていて、未だ固い蕾であったが一つだけ、咲きほころび始めていました。

(枇杷の花)
 藤棚の下で休憩していると、幼い女の子を連れたお母さんが通りかかりました。「おはようございます。」、女の子はビニール袋を手に地面の何かを探す様子。もみぢ葉かドングリでも拾うつもりであるか。
 石神社を出て、大和川畔へ。
 川沿いの道・国道25号沿いにある柏原市役所の庁舎は、旧庁舎の隣に建設中であった新庁舎も完成したようで、移転も完了、新庁舎での業務が始まっている。
 市庁舎前を過ぎ、国道を大和川沿いに南東(上流側)に進むと、これまで何度か利用したことがある喫茶店「マロン」がある。前日(5日)にも帰途に珈琲休憩をした店であるが、「今日(6日)はこの喫茶店で昼食にするか。」と決める。
 しかし、時刻は未だ早いので、下流側の人道橋で大和川を渡り、石川自転車道に入ることとする。

(石川・臥龍橋の上から下流側を望む。左下は石川自転車道。)
 石川自転車道を暫しサイクリング。上流へと走る。
 途中で引き返し、臥龍橋で左岸から右岸に渡り、玉手橋まで戻り、玉手橋で再び左岸に移り、柏原市庁舎の前を通って喫茶マロンへ。少し早いが昼食とする。

(玉手橋)

(玉手橋東詰にある「石川流域の歴史と文化」説明碑)
 昼食後、国豊橋へとむかう。
 途中、国道25号から脇道に入る。近鉄大阪線の下を潜って、再び国道に出ると、国豊橋である。

(近鉄大阪線の下を潜って・・)
 国豊橋の手前で、国道25号は、信号待ちの具合で車が渋滞することが多く、この区間だけ歩道が途切れているので、歩道に回避できない。よって、この裏道を抜けて・・というのがヤカモチの常套手段。

(大和川河川敷公園 正面の橋が国豊橋 上流側の高みから撮影)
 上掲の写真で記述すると、右から左に渡って、河内国分駅である。
 この写真は、問屋場亭から更に坂を上って高い場所から後刻に撮影したもので、記述上のヤカモチの現在位置は、国豊橋を右から左に渡っている状況であります。よって、現在のヤカモチさんは写真奥の橋の上から河川敷公園を眺めているということになります。
 そして、河内国分駅です。とりあえず駅を駅前の陸橋の上から撮影。

(近鉄大阪線・河内国分駅)
 駅前から北東、国豊橋の方に戻った辻に地蔵堂がある。

(西町地蔵堂)
 この地蔵堂の裏の道が奈良街道である。尤も、奈良街道は色々あって、ヤカモチの地元の暗峠越えの道も奈良街道である。奈良に通じている道という意味であるから、幾つあってもいいのである。

(西町地蔵堂の傍らにある奈良街道の説明碑)
 この奈良街道を東に進むと、会場の問屋場亭である。
 まだ、早いので、問屋場亭の前を通過、急な坂道をCBで駆け上り、奈良街道を少し奥まで進み、迷路のような脇道に入ったりして「徘徊」を楽しむこととする(笑)。

(奈良街道の道標)
 古びて摩耗が進み、文字が読みづらいと言うか、判読が困難な石の道標がありました。

(同上・説明碑)
 そして、引き返し、問屋場亭に到着であります。

(問屋場亭・黒い自転車はヤカモチのマイCB)

(問屋場亭説明文)
 この日は、家近氏のお出迎え。
 午後1時きっかりに凡鬼・景郎女ご夫妻到着。

(家近健二氏、新よし子氏、松枝道政各氏の作品)
 作品を見せていただいた後、家近氏、凡鬼・景郎女ご夫妻、ヤカモチで暫し雑談。
 この日は前日と違って、大阪教育大の女子学生さん二人が来て居られてましたが、景郎女さんは彼女たちが製作されたイヤリングやブローチなどの小物作品に興味を示され、幾つかを買い求めるとともに、彼女たちや当番のご婦人と何やら楽しそうに会話されていました。
 そして退出。
 家近氏とは会場前で別れ、凡鬼・景郎女ご夫妻とヤカモチは近鉄・国分駅へと向かう。ヤカモチもCBを手押ししながらの歩きです。
 駅前の喫茶店に入り、珈琲しながらしばし歓談の後、凡鬼ご夫妻とは喫茶店を出たところでお別れし、恒郎女さん宅へと向かいました。
 凡鬼さんは家庭菜園で野菜を栽培されていますが、そこでこの日の朝に収穫した里芋を恒郎女さんにお届けしてくれとのご依頼による寄り道であります。恩智川沿いを走るコースだと、別名若草ホールの恒郎女さん宅のすぐそばを通るので、造作もないことであります。まあ、ヤカモチも冬瓜を頂戴いたしましたが(笑)。
​​​​​​​​​​​​​​​​​
 そんなことで、友人の絵画に導かれての二日連続の銀輪散歩終了です。
 なお、長らく休止の若草読書会でしたが、来年から再開することとし、恒郎女さんと相談の上、1月29日新年会から再開ということに決め、夜遅くにメンバーにメールでその旨お知らせしました。(​つづく​)
​<参考>家近健二展関連過去記事は​コチラ​。​







最終更新日  2021.11.08 17:01:45
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2021.10.17
カテゴリ:友人ほか
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​日(16日)は、大学同期の友人・堀〇君からのお声掛けに応えて、「IRカジノSTOP!10・16市民集会」に参加して来ました。
 会場は​、阪急宝塚線曽根駅から徒歩5分の豊中市立文化芸術センターの多目的室。午後6時半開会~8時半閉会ということなので、少し早めに行って、曽根駅近くの東光院・萩の寺を訪ね、その後、何処かで夕食を済ませてから、会場に入ろうと考えていましたが、ネットで東光院を検索すると、コロナ対策で同寺の拝観時間は午前10時から午後4時までとなっていることを知る。
 午後4時過ぎに寺を訪ね、5時半頃に夕食、6時過ぎ会場入りという当初目論見の修正を余儀なくされました。
 ということで、出発を午後1時過ぎに早める。曽根駅到着が午後2時過ぎ。
 しかし、さすがに早く来過ぎたようで、時間を持て余す羽目に。
 東光院訪問の後、付近を徘徊、豊島
(てしま)公園散策、「喫煙処」という札が掛かっている喫茶店で珈琲休憩、会場の市立文化芸術センター向かいのヴァイキングビルの喫茶店で早い夕食。

(ヴァイキングビル)
 早食いのヤカモチであるが、意識的にゆっくり食べ、食後の珈琲もゆっくり味わいましたが・・。
 それでも時間が余り、市立文化芸術センターには午後5時16分に到着してしまった。まあ、道路1本を挟んでいるだけですから、当然ではありますが(笑)。

(豊中市立文化芸術センター)
 館内をブラブラしていたが、2階のミーテイングルームに何人かの人が入って行くのを見て、主催の「大阪カジノに反対する市民の会」の人たちだろうと見当をつけ行ってみると、果たしてその通りで、堀〇君やその仲間の皆さんが集会参加者に配布するチラシなど各種ペーパーをセットされていた。
 で、堀〇君に挨拶するついでに、小生もそれに加わって、少しばかりお手伝い。
 定刻に開会。
 入場の際にいただいたペーパーセットの中に入っていたのは、こんな手作りのストラップ。

(カジノNO)
 裏側
(まあ、どちらが裏でどちらが表かは分からぬが)は、こんな感じ。

(同上)

(会場・開会前)

(集会のリーフレット)
 前半は、カジノ反対団体リレートーク、全国カジノ反対団体からのメーセージ紹介、立憲民主党・日本共産党・れいわ新選組など政党代表の挨拶。
 後半は熊谷貞俊氏(大阪大学名誉教授)と桜田照雄氏(阪南大学教授)の対談。
 カジノ誘致撤回に成功した、横浜カジノ誘致反対横浜連絡会からのメッセージ紹介では、横浜から贈られた50本の傘が披露されました。

(カジノ誘致反対横浜連絡会からのメッセージ)

(横浜からの50本の傘)
 この会主催の集会に参加するのは3回目。
 前2回は一昨年のことであるから、2年ぶりのことになる。
<参考>
〇​カジノはあかん!という市民集会に​ 2019.3.23.
〇​大阪カジノに反対する市民の会結成1周年記念集会​ 2019.9.15.

 さて、おまけの話。
 市立文化芸術センターの館内をブラブラしていて、地階から1階へと上がる壁面にマチカネワニの骨格のレプリカが展示されているのに気づきましたので、ついでの掲載です。

(マチカネワニ)

(同上・少し角度を変えて撮影)

(同上・説明プレート)

(同上・説明プレート英語版)
 マチカネワニは大阪大学豊中キャンパス構内で発掘された45万年前のワニの全身骨格化石。
 大阪大学の公式マスコットキャラクター「ワニ博士」や豊中市のキャラクター「マチカネくん」となって親しまれている。
 豊中市のマンホールもマチカネくんの図柄である。
<参考>​マチカネワニ​・Wikipedia
    ​銀輪散歩・マンホール(その11)​ 2018.8.5.


(ワニ博士)

(マチカネくん)
 東光院や豊島公園は別途ページをあらためて後日紹介します。
 本日は、これまで。
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.10.17 15:51:15
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2021.03.05
カテゴリ:友人ほか
 ああ、悲しい。
​​​​​​​ 日は友人山〇君の告別式でした。
 奥様からお電話​を頂いたのは3月1日。
 そのお電話は、彼が逝去したことを告げるもの。告別式を5日午後1時からとり行うので参列いただけるか、というものでありました。
 思いもしなかった彼の訃報、わが耳を疑いましたが、それは悪い夢ではなく、悲しい現実。
 今年に入って、新型コロナに感染していることが判明し、入院。持病があったことで症状が重症化、ついに帰らぬ人となってしまわれたとのこと。
 彼は、ヤカモチと同じ高校の卒業生で、6年後輩になる。
 ヤカモチが本社総務部の法務関係の仕事で会社の顧問弁護士事務所に出入りしていた頃、彼は学生アルバイトで同事務所の事務員をしていて、面識を得て親しくなった。卒業を控えて当社を受験するというので、合格したら総務部に迎えたいと思っていたところ、果たしてその通りの成り行きとなり、以来、ヤカモチが退職するまで、ずっと一緒に仕事をして来た仲である。
 ある時期からは、広報関係を担当して貰い、総務部を総務部・法務部・秘書部・広報部に分割した際には初代広報部長に就任、大いに手腕を発揮していただいた。
 個人的な関係では、彼が結婚するという時に「頼まれ仲人」を務めさせていただいたが、ヤカモチが仲人を務めた最初のカップルが彼ら夫婦であったということで、特によく覚えている。この折のエピソードは以前のブログ記事でも紹介したことがある。
 彼と最後に会ったのは一昨年(2019年)の1月13日である。
<参考>​あらたしき年の始めに​ 2019.1.14.
 その年の7月にも友人4人での会食の機会があり、そのうちの一人が彼であったのだが、何やら他用と重なり彼は欠席となったので、会えず仕舞いであったのは、今となっては残念と言うほかない。
<参考>​旧友との昼食会で難波まで銀輪散歩​ 2019.7.18.
 そして昨年はコロナ騒動で、友人との会食は全てアウトで、彼とも会う機会がないままに、今日に至ったという次第。
 こんなことになるのなら、もう一度会って話をして置きたかった、という思いが痛切である。
かからむと かねてそ知らば いまいちど
        君としあひて かたりしものを (偐家持)
梅の花 今を盛りと 咲きぬれど 悲しけさびし 君しあらねば (偐家持)

(梅田の里山の紅梅<3月3日撮影>)
讃美歌の また会ふ日まで 歌ひつつ
       哭のみし泣かゆ 遺影の君に (偐家持)

​​​​
(告別式祭壇)
 告別式はキリスト教式で行われました。
 奥様は岡山のキリスト教会の教会員であるのでしょう。その岡山の教会の牧師さんが司式を務められました。
​​​​
​​(告別式・式次第)
​​​​​​
(同上)
 密葬は既に済まされていて、彼は既にご遺骨になっている。
 従って、出棺前のお別れというのはなく、祭壇に献花するのがお別れの最後の儀式である。

​​
 献花は、参列者が讃美歌405番を合唱する中で、順々に。
   また会う日まで また会う日まで
   神の守り 汝が身を離れざれ
   (Till we meet,till we meet,
    God be with you till we meet again.)
 この歌を歌っているうちに悲しみが一気にこみあげて来て、身体がうちふるえ、涙がとめどなく溢れ、歌も絶句、ただひたすらに悲しいのでありました。
 山〇君。病に倒れ、さぞ悔しかったことだろう。
 無念だったことだろう。
 君とのあれやこれやを思い出しながら、
 僕らは、今日、君の死を悲しみ、傷みました。
 今は、どうぞ安らかにお眠り下さい。
 僕らは君のこと忘れません。
 そして、ご家族の皆さまに神のご加護と慰めがありますように。​​​​​
​​<追記注:2021.3.15.>
 フォト蔵写真の表示不具合で、ブログ写真とフォト蔵写真とのリンクを貼っていませんでしたが、このほどフォト蔵写真の表示が正常化しましたので、リンクを貼りました。
​​






最終更新日  2021.03.15 20:24:53
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2021.01.20
カテゴリ:友人ほか

​​​(​承前​)
 前頁記事の続きです。
 昼食場所としたのは、東古御香町公園という小さな公園。
 3本のケヤキの木が印象に残る公園でありました。
 古御香町という名前が気になって帰宅後に調べると、豊臣秀吉が伏見城築城に際して、城内鬼門除けの神として、御香宮をこの付近に移転させたことに関係していることが分かりました。
 秀吉没後に、徳川家康によって、神社は元の地である現在地に戻されるのであるが、地元の人たちはこちらの神社を古御香宮と呼んだという。その古御香宮は、御香宮神社のお旅所として今も守られているとのこと。

(御香宮神社御旅所<古御香宮>とコース略図)
 その古御香宮の位置を示すと上の地図の通りです。
 黒田長政下屋敷跡参考地から八科峠道標、仏国寺前、東古御香町公園という道を進みましたので、その存在に気がつかぬままであったという次第。
 上の地図で、実際に我々が歩いたコース(多分)を青線で記入してみました。少し道に迷って、無駄な歩きをしていることが見てとれるかと思いますが、これもご愛敬であります(笑)。
 さて、前頁では東古御香町公園での昼食で終わっていますので、昼食後から記事を始めます。
 いよいよ、大岩山展望所・大岩神社への坂道に取り掛かります。

​​​​​大岩山展望所への道)
 険しく、細い山道の先行きを予感させる竹林の道へと入って行くが、竹林を抜けると、予想に反して、道幅もしっかりあり、車が通行できる、眺望の開けた普通の道でありました。さすがに、簡易舗装が所々破砕したデコボコの少し荒れた道ではありましたが・・。

(同上)
 展望所まで600m、墨染通りまで750mという道標があり、先が急な坂道になっている。
 ヤカモチにとってはこの展望所と大岩神社が今回のウオークのメイン・ポイントであるから、それなりに期待が高まる。
 坂道を上り切って、左にカーブすると緩やかな下りに入る。
 すると、視界が一気に開け、そこに大岩山展望所のデッキが現れたのでありました。ちょっと拍子抜けな感じも。

(大岩山展望所)
 なるほど、感動するほどではないが、なかなかの眺望です(笑)。

(大岩山展望所からの眺望・パノラマ撮影)
 左手には、先ほどお邪魔した伏見桃山城が見える。

(展望所からの眺望・南寄り)
 左手奥に見えるのは大阪市内のビル街。

(同上・正面)
 北寄りにはJR京都駅、京都タワーも見えるが、展望デッキからだと右手の林が邪魔をして見えない。

​(同上・北寄り)​

​​​​​​​​​​​​ 上の写真(北寄り)では、右手の木々の間に、京都タワーとJR京都駅ビルが、左手には愛宕山が写っています。
 展望所から少し下ったところにあるのが大岩神社。

(大岩神社)
 大岩神社については、下掲の説明碑の写真をご覧下さい。

(同上・説明碑)
※写真をクリックしてフォト蔵の大きいサイズの写真でお読みください。


(同上・本殿)
 我々は、展望所から下って来た舗装道路から境内に入ったので、本殿よりも少し高い位置から横入りしたことになる。
 本殿から麓に続く参道があるが、倒れた鳥居がそのままになっていたり、何やら荒れている雰囲気なので、舗装道路に引き返して、山を下ることにしました。参道を下ると途中には堂本印象寄贈のユニークな鳥居などがあるそうだが、見ないままに山を下りてしまいましたので、それらは、下記<参考>のサイトでご覧下さい。
​<参考>
LINEトラベル・山中に異世界への門!?「大岩神社」の謎の鳥居とは?​​

 舗装道を下った方が楽だろうという考えで、正規の参道を避けて下山したのであるが、これが正解であったかどうかは何とも言えない。
 というのは、かなり急な勾配の坂道であったので、足の指先が靴先内側に何度も強く当たることを繰り返しているうちに、爪先が痛くなって、時々、後ろ向きに歩いて、爪先への圧迫を回避するということをしないでは居られないという有様でありましたから。
 そんなこんなで府道35号に出て、ようやく急坂の「爪先責め」から解放されたのでありました。
 府道35号に出て左折、西へ。
 程なく正規の参道入口の鳥居が左手に見えて来ました。
 参道を下るコースだとこちらに出て来るのでした。

(同上・参道入口)
 ※上掲の説明碑はこの入口の鳥居脇にあったものです。

 どこかで珈琲休憩をと、喫茶店はないかときょろきょろしながら、緩やかな坂道を下って行く。
 ローソンが道路左手にあり、その前方右手、道路の向かい側に菓子舗があり、喫茶コーナーもあるよう。店内に入ってみたが、「只今、3組のお客様がお待ちです。」という表示が店の奥の喫茶コーナー入口に表示されていて、名前を記入するノートが置いてある。
 待合空間のソファーなどに数名の入店待ちの男女の姿。随分と盛況のようだが、コロナ対策で入店者数を制限している関係があっての「待ち」客の群れであるとも考えられるので、正確には「盛況」と言うのは当たっていないのかもしれない。
 いずれにせよ、待ってまで珈琲は飲むべからず、のヤカモチ。早々に退散であります。まあ、蝶麻呂氏にとっては丁度良いトイレ休憩にはなったようですから、無駄足ではなかったということにはなる。
 更に、坂道を下って行くと、見覚えのある辻に出る。
 仁明天皇陵への道である。
 ここから先は、2018年7月に友人の偐山頭火氏と銀輪散歩したコースと概ね同じ道となる筈である。
<参考>​深草北陵銀輪散歩​ 2018.7.23.
​​​​
(仁明天皇陵)
 仁明天皇は深草天皇とも呼ばれるが、第54代天皇である。
 嵯峨天皇(第52代)の第1皇子であり、母は橘嘉智子。
 即位した時には、先帝の淳和天皇(第53代)の皇子、恒貞親王が皇太子に立てられたが、嵯峨、淳和両上皇が没すると、恒貞親王を奉じた伴健岑、橘逸勢らが謀反の罪で処分され、恒貞親王が廃太子となり、代って、仁明天皇の皇子、道康親王(後の第55代文徳天皇)が皇太子となる。
 いわゆる「承和の変」である。
 道康親王は、藤原良房の娘・順子が産んだ子である。これによって良房は天皇の外祖父として大きな権力を手にすることとなり、藤原氏による摂関政治へと道を開くこととなることから、承和の変は良房の謀略であったと考えられる。まあ、このような政治的転換点の時期の天皇が仁明天皇でありました。
 また、宮廷文化が唐風から和風に変わるターニングポイントとなったのもこの天皇の時代だと言われる。
 小野小町や在原業平など、この時期の歌人の名を挙げれば、この時代の雰囲気が分るというものではある。
 小野小町は仁明天皇の更衣であったという説や百日通いの深草少将は仁明天皇がモデルだという説などがあったりもするが、彼は、深草少将よろしく41歳の若さで急死している。
 そして、後を継いだ文徳天皇、清和天皇の時代に摂関政治の定着を見ることになる。因みに、文徳は32歳で病死、清和は31歳で没している。
 文徳については、良房による暗殺説もあったりするが、真相や如何にである。
 仁明天皇深草陵は、名神高速道路の南側の住宅街の中に目立たずひっそりとある。
 御陵を出て、名神高速道路の北側の道に。次の目的地である、嘉祥寺、深草北陵へと向かう。

​​(コース地図・その2)
 ※線:予定コース
  ​ー​線:実際に歩いたコース​​

 はい、嘉祥寺に到着。
 2018年7月以来の再訪であるが、記憶では無人の荒れ寺という印象であったが、今回はそんな風ではなかったのは、記憶違いであるか。

(嘉祥寺<深草聖天>)

(嘉祥寺説明碑)
 嘉祥寺というのは、嘉祥3年(850年)に宮中で突然に倒れ急死した仁明天皇の菩提を弔うため、息子の文徳天皇が「嘉祥4年(851年)2月に・・その陵の傍らに清涼殿の建物を移して寺とし」とあるから、元々は、先ほど訪ねた仁明天皇陵の傍らにあった大きな寺であったのでしょうが、室町時代に戦乱で焼亡。
 江戸時代・寛文年間(1661~1673年)に深草十二帝陵を管理する安楽行院を再興する際に、その境内に聖天(歓喜天)を祀り、嘉祥寺の名も再興されたとのことだが、それは名前を承継したに過ぎず、仁明天皇の菩提を弔う寺という実体を伴った嘉祥寺ではなかったということであるか。
 一般には深草聖天と呼ばれているようだが、道路側入り口の石碑には「日本最初歓喜天」と刻まれているから、わが国最古の聖天寺院ということなんだろう。
 聖天さんは全国各地にあるが、江戸時代寛文年間に初めて聖天を祀ったということが事実なら、そんなに古いものではないから、わが国最古というのは大変疑わしい。それとも、聖天信仰は江戸時代になってから流行り出した新しい信仰なんだろうか。
 日本三大聖天については、諸説あるとのことだが、
 東京都台東区の待乳山聖天(本龍院)と、
​​​​ 奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)の、
二つについては、諸説一致して異論がなく、三つ目については次の四つの聖天が張り合っているらしい。
 埼玉県熊谷市の妻沼聖天(歓喜院)
 静岡県小山町の足柄聖天(足柄山聖天堂)
 三重県桑名市の桑名聖天(大福田寺)
 兵庫県豊岡市の豊岡聖天(東楽寺)

(深草聖天縁起)
 嘉祥寺の西隣が深草北陵である。北朝系の天皇12帝の遺骨が納められていることから深草十二帝陵とも呼ばれるらしい。

(深草北陵<深草十二帝陵>)
 制札に記載された天皇の名は次の12帝である。
 第89代 後深草天皇
 第92代 伏見天皇
 第93代 後伏見天皇
 北朝4代  後光厳天皇
 北朝5代  後円融天皇
 第100代 後小松天皇
 第101代 称光天皇
 第103代 後土御門天皇
 第104代 後柏原天皇
 第105代 後奈良天皇
 第106代 正親町天皇
 第107代 後陽成天皇
 これに、北朝3代の崇光天皇の皇子・栄仁親王の名も末尾に併記されている。
 大河ドラマ「麒麟が来る」で登場している正親町天皇の名も見える。
 ところで、北朝の天皇というのは、後深草天皇の血筋(持明院統)の天皇のことであり、南朝の天皇というのは、亀山天皇の血筋(大覚寺統)の天皇のことである。
 南北朝合一は、第99代後亀山天皇が、北朝6代目の天皇であった後小松天皇に譲位し、後小松が第100代天皇となったことによって、成立するのであるが、以後、北朝・持明院統の血筋が、皇位を継承して行くことになる。
 しかし、明治政府が皇位継承の正当性は南朝側にあるとしたことから、北朝初代の光厳天皇から北朝5代の後円融天皇までの5人は歴代天皇を数える際には除外される。
 持明院統の血筋が今上天皇まで続いているのであるから、北朝の皇位継承で歴代を数えるなら、今上天皇は第128代天皇ということになるが、歴代の数え方は南朝の皇位継承を正当とするので、第126代天皇ということになる。
 ここで、気になるのは、第89代後深草天皇から第107代後陽成天皇までの間の持明院統の天皇で、この深草北陵に名を連ねていない天皇4名の御陵はどうなっているのかということだが、次のようになっています。
 北朝初代の光厳天皇と第102代の後花園天皇
  京都市右京区京北井戸町丸山の常照皇寺境内の山國陵
 北朝2代目の光明天皇と北朝3代目の崇光天皇
  京都市伏見区の大光明寺陵
 深草北陵から伏見稲荷大社へ。
 いよいよウオークも終盤である。

(寶塔寺)
 寶塔寺の門前を通り過ぎ、JR稲荷駅の前、伏見稲荷大社の大鳥居前に到着しました。
 結局、珈琲休憩をする喫茶店に出会うこともなく終着点に来てしまったという次第。

(伏見稲荷大社)
 蝶麻呂氏は伏見稲荷大社にもお参りをするというので、ヤカモチは駅前の喫茶店で、珈琲休憩をしながら待つこととする。多分、社務所でお札を貰うというのがその目的なんだろう。
 ヤカモチはこれまで何度も伏見稲荷大社には来ているので、ブログ記事に取り上げるまでもないと判断してパスしたのであるが、過去記事を調べてみると、意外や意外、伏見稲荷大社の記事はないのでありました。
 そういうことなら、少し境内を歩き回ってもよかったかと後悔しましたが、これも亦後の祭りであります。
 待つこと20分位であったろうか、蝶麻呂氏が喫茶店に帰って来ました。ヤカモチは2杯目の珈琲を注文し、彼の珈琲にお付き合いしつつ、とりとめもないお喋り。
 珈琲を飲み干したところで、店を出て、JR稲荷駅からJR京都駅へ。
 京都駅で蝶麻呂氏と別れ、ヤカモチは近鉄線で帰途に。帰宅すると5時半位になっていました。
 スマホの歩数計は25985歩。かくて、「蝶に誘われ26000歩」という記事タイトルになったという次第。
 つまらぬ男二人の「徘徊」ウオークにお付き合い下さり、どちら様も、有難うございました。これにて完結です。(完)
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​







最終更新日  2021.01.21 11:45:44
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