偐万葉田舎家持歌集
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大阪府の柏原市では、毎年11月に、KASHIWARA芸術祭(柏原ビエンナーレ)というのが催される。昨年はコロナの所為で中止になったのではないかと思うが、今年は例年通りに開催された。 パンフレットには「第9回柏原ビエンナーレ」とあるから、10年前から継続開催されているのだろう。 今年の会期は10月30日(土)~11月7日(日)であるから、今日が最終日である。 友人の画家・家近氏は柏原市ご在住ということもあってか、これに作品を出展されている。 一昨年(2019年10月)家近氏から案内のハガキを頂戴して、この催しのことを初めて知り、銀輪散歩を兼ねて出かけたのが最初で、今回は2回目の見学であります。 <参考>俳句と絵画 2019.10.25. 家近健二の気まぐれ絵画作品展 2019.11.7. 5日(土)午後に、自宅をマイCB(クロスバイク)で出発、銀輪散歩を兼ねて会場の問屋場亭を訪ねました。 帰宅してメールを開くと、前日に入っていたメールの中に、友人・凡鬼さんからのメールがあり、「6日(土)に家近さんの作品を見に行くがどなたかにお会い出来たら嬉しい。」との文言。このメールに気が付いていれば、5日ではなく6日にしたものを、と思いましたが、元々、銀輪散歩を兼ねての訪問であるから、もう一度銀輪散歩を兼ねて出かけるのに何の不都合もなく、早速に凡鬼さんに電話して、午前11時現地にて会いましょう、と決め昨日6日にも出かけることとしました。 ということで、5日、6日の銀輪散歩を合体させて記事アップとさせていただきます。 5日(金)は、昼食を済ませてからの出発。 会場の問屋場亭は近鉄大阪線河内国分駅の東方にある。 自宅からだと国道旧170号を走るか外環状道路(国道170号)を恩智まで走り、そこから、恩智川沿いの道に入り、旧170号に出るかして、近鉄安堂駅前経由、大和川に至り、少し上流の国豊橋で川を渡り、というコースが近道になるが、車が煩わしいので、近鉄・瓢箪山駅の西付近から柏原市まで恩智川沿いの道を走るというのが、銀輪散歩としての定番コースとなる。 5日も6日もこのコースでしたが、5日は花園中央公園に先ず立ち寄りましたので、花園ラグビー場、東花園駅前経由で恩智川沿いの道に入りました。 恩智川沿いの道では池島遊水池公園の池島弥生橋を通過することになるが、この橋の上から遊水池に飛来する鳥を狙って望遠レンズを付けたカメラを構えている人の姿をよく見かける。 (池島遊水池公園のススキの群れ) これを過ぎると、東大阪市域から八尾市域に入る。 (鴨と亀) 恩智川を覗くと、中洲のような場所に、鴨と亀が仲良く日向ぼっこ。 水中には大きな鯉も群れ泳いでいる。 問屋場亭到着は午後2時頃。 この日は、家近氏の姿は見えずで、受付当番のご婦人と大阪教育大彫刻ゼミの男子学生さんの二人だけ。家近さんの作品とこの学生さんの作品を写真に収めて退出でした。 (家近健二氏作品と松枝道政氏作品) (森嵐氏の作品「水牛」) 学生さんは森嵐というお名前のよう。作品の説明を受けながら少しばかり言葉を交わす。 (同上・「ワニの口」) これも同氏の作品。 マチカネワニのことなどを思い出す。 (大教大彫刻ゼミのメッセージ) 同じく、大教大彫刻ゼミの宇田昴史の作品がこれ。 「外と中がある作品です。ぜひのぞいてみてください。」とあるが、森君がミニライトで空洞の中を照らしてくださり、中を覗いてみると、何やら幻想的な光景。 (宇田昴史氏作品・「空洞」) ヤカモチは、翌6日には、早速この受け売りで、ウェストポーチに入れていた自転車のテールランプ用のライトで空洞の中を照らし、景郎女さん(凡鬼さんの奥方)に同じような説明をしているのでありました(笑)。 会場を退出して帰途へ。 石神社経由でカタシモワイナリー会場を覗いて行く。 (カタシモワイナリー会場) ここでは古着や端切れの布を使ったクレイジーキルトの作品が展示されていましたが、写真には撮らず。ここで頂戴したのは折り紙によるこんな爪楊枝入れ。これはよく見かけるが、馴染みの喫茶店であるペリカンの家でもこのパターンの爪楊枝入れですから、それを思い出しました。 (折り紙の爪楊枝入れ) 帰途、安堂駅前から少し北へ行ったところで十字架のある建物屋根が眼に入ったので、キリスト教の礼拝堂があるのかと辻を入って行くと、果たしてその通りでした。 (グレース宣教会柏原チャペル) 何度も往復している道であるが、今まで此処に教会があることに気が付きませんでした。 花園ラグビー場まで帰って来たところで、喫煙エリアで一休み。 (花園ラグビー場前の喫煙エリア) 花園中央公園では一本の木だけハナミズキが綺麗に紅葉していたので撮影しました。ハナミズキは黒ずんだ色になったり、枯れた感じになってしまうことが多く、余り美しく紅葉しないという印象を持っているが、この木だけは日当たりなどの環境条件が良かったのか、美しく紅葉していました。
(花園中央公園のハナミズキ) さて、翌6日、凡鬼さんとは午前11時の約束なので、余裕を見て午前9時過ぎに家を出ればいいかと思っていたが、外出の準備もできてしまったので、少し早いがと8時30分か40分頃、自転車・CBを引き出そうとしているところへ、凡鬼さんから電話があり、「家近さんから電話があって、午前中は会場に居ないので午後からの方がいい、ということで午後1時に変更することになった」という話。 なら、アト2~3時間ほど家に居てもいいことになるが、もう「銀輪散歩モード」に入ってしまっているヤカモチ、元々が銀輪散歩のつもりであるから、出かける時刻が早過ぎても問題はない。そのまま家を出てしまいました。 恩智川沿いを走る定番コースで、先ず立ち寄ったのが柏原市太平寺の石神社境内。 (石神社の大楠) この付近には、七堂伽藍を備えた大寺・智識寺というのが昔あって、聖武天皇がこの寺の大仏をご覧になって、奈良の都に大仏を造立することを思いつかれたという言い伝えが残されているが、石神社の境内には、その智識寺の東塔心礎と推定される石が鳥居脇に置かれている。 (同上・拝殿) 境内の片隅の枇杷の小木が花を付けていて、未だ固い蕾であったが一つだけ、咲きほころび始めていました。 (枇杷の花) 藤棚の下で休憩していると、幼い女の子を連れたお母さんが通りかかりました。「おはようございます。」、女の子はビニール袋を手に地面の何かを探す様子。もみぢ葉かドングリでも拾うつもりであるか。 石神社を出て、大和川畔へ。 川沿いの道・国道25号沿いにある柏原市役所の庁舎は、旧庁舎の隣に建設中であった新庁舎も完成したようで、移転も完了、新庁舎での業務が始まっている。 市庁舎前を過ぎ、国道を大和川沿いに南東(上流側)に進むと、これまで何度か利用したことがある喫茶店「マロン」がある。前日(5日)にも帰途に珈琲休憩をした店であるが、「今日(6日)はこの喫茶店で昼食にするか。」と決める。 しかし、時刻は未だ早いので、下流側の人道橋で大和川を渡り、石川自転車道に入ることとする。 (石川・臥龍橋の上から下流側を望む。左下は石川自転車道。) 石川自転車道を暫しサイクリング。上流へと走る。 途中で引き返し、臥龍橋で左岸から右岸に渡り、玉手橋まで戻り、玉手橋で再び左岸に移り、柏原市庁舎の前を通って喫茶マロンへ。少し早いが昼食とする。 (玉手橋) (玉手橋東詰にある「石川流域の歴史と文化」説明碑) 昼食後、国豊橋へとむかう。 途中、国道25号から脇道に入る。近鉄大阪線の下を潜って、再び国道に出ると、国豊橋である。 (近鉄大阪線の下を潜って・・) 国豊橋の手前で、国道25号は、信号待ちの具合で車が渋滞することが多く、この区間だけ歩道が途切れているので、歩道に回避できない。よって、この裏道を抜けて・・というのがヤカモチの常套手段。 (大和川河川敷公園 正面の橋が国豊橋 上流側の高みから撮影) 上掲の写真で記述すると、右から左に渡って、河内国分駅である。 この写真は、問屋場亭から更に坂を上って高い場所から後刻に撮影したもので、記述上のヤカモチの現在位置は、国豊橋を右から左に渡っている状況であります。よって、現在のヤカモチさんは写真奥の橋の上から河川敷公園を眺めているということになります。 そして、河内国分駅です。とりあえず駅を駅前の陸橋の上から撮影。 (近鉄大阪線・河内国分駅) 駅前から北東、国豊橋の方に戻った辻に地蔵堂がある。 (西町地蔵堂) この地蔵堂の裏の道が奈良街道である。尤も、奈良街道は色々あって、ヤカモチの地元の暗峠越えの道も奈良街道である。奈良に通じている道という意味であるから、幾つあってもいいのである。 (西町地蔵堂の傍らにある奈良街道の説明碑) この奈良街道を東に進むと、会場の問屋場亭である。 まだ、早いので、問屋場亭の前を通過、急な坂道をCBで駆け上り、奈良街道を少し奥まで進み、迷路のような脇道に入ったりして「徘徊」を楽しむこととする(笑)。 (奈良街道の道標) 古びて摩耗が進み、文字が読みづらいと言うか、判読が困難な石の道標がありました。 (同上・説明碑) そして、引き返し、問屋場亭に到着であります。 (問屋場亭・黒い自転車はヤカモチのマイCB) (問屋場亭説明文) この日は、家近氏のお出迎え。 午後1時きっかりに凡鬼・景郎女ご夫妻到着。 (家近健二氏、新よし子氏、松枝道政各氏の作品) 作品を見せていただいた後、家近氏、凡鬼・景郎女ご夫妻、ヤカモチで暫し雑談。 この日は前日と違って、大阪教育大の女子学生さん二人が来て居られてましたが、景郎女さんは彼女たちが製作されたイヤリングやブローチなどの小物作品に興味を示され、幾つかを買い求めるとともに、彼女たちや当番のご婦人と何やら楽しそうに会話されていました。 そして退出。 家近氏とは会場前で別れ、凡鬼・景郎女ご夫妻とヤカモチは近鉄・国分駅へと向かう。ヤカモチもCBを手押ししながらの歩きです。 駅前の喫茶店に入り、珈琲しながらしばし歓談の後、凡鬼ご夫妻とは喫茶店を出たところでお別れし、恒郎女さん宅へと向かいました。 凡鬼さんは家庭菜園で野菜を栽培されていますが、そこでこの日の朝に収穫した里芋を恒郎女さんにお届けしてくれとのご依頼による寄り道であります。恩智川沿いを走るコースだと、別名若草ホールの恒郎女さん宅のすぐそばを通るので、造作もないことであります。まあ、ヤカモチも冬瓜を頂戴いたしましたが(笑)。 そんなことで、友人の絵画に導かれての二日連続の銀輪散歩終了です。 なお、長らく休止の若草読書会でしたが、来年から再開することとし、恒郎女さんと相談の上、1月29日新年会から再開ということに決め、夜遅くにメンバーにメールでその旨お知らせしました。(つづく) <参考>家近健二展関連過去記事はコチラ。
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プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
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