湖面に浮かぶ大量のゴミ
湖は大辞林第三版によると、「水海の意。周囲を陸地で囲まれたくぼ地で水をたたえた所。池や沼よりも大きく、沿岸植物が生育できない深い湖盆(5メートル以上)をもつもの。」とあり、特に天然・人造の区別はしていない。人造湖は文字通り人為的に造られた湖のことで人工湖ともいわれ、天然湖に対してこの言葉が用いられる。これらは貯水池・貯水湖などともいわれ、人が建設したダムによって河川が堰き止められて出来たダム湖もこれらに含まれる。相模湖は相模川を相模ダムによって堰止めて作られた人造湖で、戦前から工事に着工し多くの犠牲者を出しながら戦後になって漸く完成した。有効貯水量48,200千t・湛水面積326haといい、山梨県にも跨っているが神奈川県が管理している。このダムの水は横浜市・川崎市・相模原市などへの上水道、京浜工業地帯への工業用水・水力発電・洪水調節・農業用水としての他、湖面はレジャーに利用されている。昭和22年に完成した相模ダム建設に係わる水没家屋は、136世帯であり、日連村(現・藤野町)勝瀬地区の115世帯と島田村(現・上野原町)の21世帯である。昭和18年3月末日までに勝瀬集落の84世帯が、現在の海老名市、日野市、八王子市等に移転したとされる。相模ダムは堤高58.4m・堤頂長196m・総貯水容量6,320万tで、1947年に戦後では初めて「湖」の名称がつけられた。時代が進んで相模川流域の開発が進んだことで、生活排水が大量に流入するようになり湖水の富栄養化が進み、夏季には大量の藻が発生するなどで水質は悪化している。現在はエアレーションによる水質浄化装置が、8基が設置されている。1941年に着工し、6年の歳月を要して47年に完成した相模湖の総貯水量は6300万tとされる。ダムの建設には朝鮮・中国から600人ほどの人が連行され、強制労働に従事させられた。建設に従事した人のうち、日本人も含めて83名もの犠牲者が出たとされる。今年は今のところ関東地方には、直接台風の上陸はなかったものの8月中旬から度々日本列島を伺う台風の余波で集中豪雨と長雨が続いた。相模湖ダム堤の前にはゴミ除けのオイルフェンスが張られているのだが、増水した水に流されて来たゴミが湖面一面に溜まり、ゴミの上には雑草が茂って腐臭が漂っている。我が家に給水されている水道水源は相模川であるから、相模湖・城山ダム(津久井湖)を経た相模川の水が浄水場を通って給水されている。上水道としての水の利用は浄化・殺菌で問題無くなるとしても、溜ったゴミの山は景観上極めて不快である。早急に、取り除いて欲しい所である。