挊(かせぎ)
弘化四年(1847)、安芸国安芸郡蒲刈島で36軒を焼失する大火がありました。当島之内三ノ瀬町、去十六日午上刻百姓又蔵居宅より出火焼失仕、折節東風強く大火ニ相成、銘々居宅三拾六軒焼失仕候、早速私共駈付防方取計候得共、昼中ニて多く農業罷出、漁師共ハ漁挊ニ罷出、無人ニ御座候て、防方甚以六ヶ敷、(下蒲刈町史)昼間のことで、百姓は野良仕事に、漁師は漁挊に出ていたため、人手がなく……と説明しています。山挊等之浮所務(山仕事での雑収入)(吹寄青枯集)という用例もあって、「挊」は「稼」と同じだとわかります。確認のため『大漢和』にあたると、【挊】ロウ 弄の俗字。(邦)はたらく。家業をはげむ。と説明し、日本語では「家業をはげむ」の意もあるとしています。その内容は「稼」ですが、「かせぎ」と明示して欲しかった。『広辞苑』で「かせぎ」をひくと、かせ‐ぎ【挊木】(1)紡錘(つむ)でつむいだ糸をかけて巻く「工」字形の器具。かせ。(2)木のまたで造って傾く物を支え、または高い所へ物を押しあげるのに用いる具。かせ【挊】紡錘(つむ)でつむいだ糸をかけて巻きとる「工」字形の具。かせぎ。かせい。との説明です。この挊は「木へん」で、探している「手へん」の字ではありません。しかし、「かせ」「かせぎ」と読みます。挊を「かせぎ」と読むのなら、「稼」の代わりに使おうではないか、ただ、「木へん」はいかにも拙い、手仕事で稼ぐので「手へん」の「挊」こそがふさわしい。「挊」なる使い方は、こうして生れた、と考えたのですが、どうでしょうか?広島の古文書では珍しくない文字ですが、刊本『繪本二島英勇記』に「奉公挊」とあり、「かせぎ」のルビかありました。