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言葉を“面白狩る”

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2006/11/06
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とろへい(戸呂平)」という風習が広島にありました。次の史料は、安芸高田市・尾道市・呉市のものです。

「同十三日 此日戸呂平と申て、小家之者共大家分を歩行、餅・銭・米籾之類を貰ひ申候、昼の内は多分子供廻り、夜に入候得は家来分之者共、牛馬之沓縄用之物持参仕、餅共貰申候、往古より在来り候事にて、此日に限り門立仕候も恥と不仕風俗に御座候」(戸島村「国郡志御用ニ付下調書出帳」『高田郡史』所収)
(一月)十三日、この日、戸呂平といって、小家の者共が大家を歩き廻り、餅・銭・米籾などを貰う。昼間は子供が廻り、夜に入ればは家来分の者共が牛馬の沓縄用の物を持参して餅などを貰らう。昔よりの仕来りで、この日に限り門に立っても恥と思わない風俗である。

古屋村では、十一日の戸呂平の説明で、「餅共遣し申候、此参り候者へ水浴せ仕候」と書いています。

「同夕とろへんと申、銭さし五六本、鋤等を竹にて小き拵、重箱の内へ入、子供持来候。」(備後国沼隈郡浦崎村風俗問状答『日本庶民生活史料集成9』)
(一月十四日)夕方、「とろへん」といって、銭さし五六本、竹製の鋤等の模形を重箱の内へ入て、子供らが持ち来たり、

「十四日朝、とろ平と唱、子供樫の葉抔持チ、村方にて重立ツ家へ来り、餅銭之類を貰ふ」(郷原村国郡志御用書上帳)
「十四日、浮世過の子供、銭差、或ハ牛の綱類を家々へ持来、とろ平々々ト云ふて右品を納、祝儀銭を受」(仁方村国郡志御用書上帳)


「こよひ、在方には、とろへんと申もの参候。乞食様の者、木にて作候鍬のかたちなる物と、銭さし少々そへて持参仕り、とろへんとろへんと申候へは、内より、此料に仕かまへ置候団子餅、或は鏡をも遣はし候。顔を隠し候故、凶年には貧民もまきれ出候よし。簑笠着し候も有之、藁細工の馬に銭そへ候も有之。近年次第々々になくなり候。」(備後国福山領風俗問状答『日本庶民生活史料集成9』)
今宵、田舎では、とろへんと申ものが来る。乞食のような者が木で作った鍬の形をした物と、銭さしを少々添えて持参し、とろへんとろへんと言えば、前からそのために準備していた団子餅、または鏡餅を渡す。顔を隠しているので、凶年には貧民も紛れて来ると言う。簑笠をつけている者もある。藁細工の馬に銭さしを添えることもあるが、近年は次第になくなってきた。

まとめると、「小家之者・浮世過」の子供や大人が、「牛馬の沓・農具・銭差・縄等」を「大家・重立ツ家」に持参して、「餅・銭・米籾之類」を貰う習俗で、『国語大辞典』は、これを簡単に、

とろへい
小正月に村の青年などが変装して家々を訪れる行事を、広島県あたりでいう。


と、書いています。






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最終更新日  2006/11/07 07:16:05 AM



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