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「下安井村柏といふ所に、稲刈り候時おの々々一束つゝを納め置き、此日出して扱き舂き、其米をかしき喰ひ、其藁を集めて大蛇のことくなる七五三をつくり、蛇切峠と申に、道の左右の樹にかけ、人々嶺に上り、其下なる大森と申里の方へ後をむけ、衣をかゝけ臀を出して打叩き々々、是をくらへ々々と悪口仕候。いかなる厳冬大雪といへとも怠らす、止る時は一郷災ありと申つたへ候。大森の人折ふし其処を通りかゝり候ても、問ひなじりも不仕、また家にありて児女とも是をききて咲ひなくさみ候よしに御座候。此処を蛇切と申候は、むかし大蛇ありて人を悩し候を、神の助にて切殺し候へとも、其霊猶たゝりをなし候故、神詫によりて木の本にいはひ祭り、年久敷如此仕り来り候。」(文政元年(1818)「備後国福山領風俗問状答」) 下安井村(福山市新市町下安井)柏といふ所では、稲刈りの時に稲束一つずつ取り置いて大晦日に出し、米にして食べる。その藁を集めて大蛇のようなしめ縄を作り、蛇切峠という所の道の左右の樹にかけ、人々は嶺に上り、その下の方にある大森という里へ後ろを向け、着物をからげ尻を出して打ち叩きながら、「これを喰らえ々々」と悪口を怒鳴る。どんなに厳冬大雪でも、止めると郷に災いがあるとの申伝があるので止めない。大森の人が時折通りかかっても文句は言わない。家の子供はこれを聞いて「咲ひ」面白がるそうである。ここを蛇切というのは、むかし大蛇がいて人を悩ました。神の助けで切り殺ししたが、それでもたたるので、神詫によって木の本で祭り、永年このようにしてきたという。 なんとも面白い風習ですが、文中の「咲ひなくさみ候」が読めない。そこで辞書に当ると、なんと、 【咲】(『漢字源』) 《音読み》 ショウ 《訓読み》 わらう(わらふ)/えむ(ゑむ)/さく 《意味》 {動}わらう(ワラフ)。えむ。口をすぼめてほほとわらう。〈同義語〉→笑。 〔国〕さく。花がさく。 《解字》[図参照] 会意兼形声。夭ヨウは、なよなよと細い姿の人を描いた象形文字。笑ショウは、細い竹。細い意を含む。咲はもと、「口+音符笑」で、口を細めてほほとわらうこと。咲は、それが変形した俗字。日本では、「鳥鳴き花笑ふ」という慣用句から、花がさく意に転用された。「わらう」意には笑の字を用い、この字を用いない。 「咲」の字は、本来は「わらう(笑)」の意味で、日本で「さく(咲)」に転用されていたとは……。もっとも、「花が笑う」=「花が咲く」と考えたのも、いい思い付きです。 これで疑問も解けました。“家の子供達はこれを聞いて笑い、面白がる”のは当然です。 外に、古文書の中で「咲(笑)」が使ってあるか調べましたが、日本語では「笑」が使われており、なかなか例文が見つかりません。見つけたのは、漢文らしき次の縁起でした。 「学徒等猶此語不得聞重而咲鳧」(「篁山竹林寺之縁起」「鶴亭日記」) 学徒等、猶ほ此の語を聞き得ずして、重ねて咲いけり 級友はこの言葉を聞かず、また笑った。 分家は分家なりに、漢字を手なづけようとしたのが解ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/11/13 12:33:44 AM
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