|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「一水野左近将監様御下、近日当町御通り行、其節当町御止宿被遊候間、御通り筋町々、軒前手桶出し、尤立砂ニハ及不申候 (中略) 一当町御到着已後、無用之者御関札内ニ入込、通路仕せ間敷候、夜中は猶以吟味仕、不作法之儀無之様、別て心を附可申候事 一御泊り之内、若出火、又はいヶ様之儀有之候共、罷出不妨様可仕候、銘々宿々火之元心を附可申候事 一御着以後、自然出火之節は、御先手者頭道家幾三郎・岡本犀之助内壱人早速翔付、御退所迄御先乗被相勤候事 一右之節御立退所迄御荷物取除夫并才領之者、手当テ仕置可申事」(安永四年(1775)「堀川町覚書」) 水野左近将監様(唐津藩主)が御下り、近日当町を通行、その時当町に御泊りになるので、御通り筋の町々は、軒前に手桶を出しなさい。もっとも、立砂をするには及ばない。(中略)当町に御到着以後は、無用の者が御関札の内に入り込み通行させてはいけない。夜中は特に吟味して不作法なことのないよう気を配りなさい。御泊りの時、出火、また如何なる異変があっても、外に出て邪魔をしてはいけない。銘々自分の家の火の元に気をつけなさい。御着の後、火事があったら、御先手者頭道家幾三郎・岡本犀之助の内、一人が早速かけつけ、御退所まで前駆して先導を勤めなさい。その時、御立退所まで御荷物を運ぶ者やその監督者を準備しておきなさい。 これは唐津藩主、水野左近将監が西下のときの広島宿泊に関して、町奉行が出した触です。水野は広島藩主浅野宗恒の二男で、水野忠任の養子嗣となった人で、幕府の高官同様の特別の扱いがあったのかも知れません。 【関札】(『広辞苑』) 宿札。その宿に何某が泊ると記した札。 【立退所】(『国語大辞典』) 立ち退いて仮に移っている所。一時、身を寄せている場所。 「早速翔付」という表現が面白い。今なら、「早速駆付け」と書くところです。「駆」も馬に乗ってかけつける感じですが、「翔」なら空を切ってかけつける。こちらの方が速そうです。 【翔】(『漢字源』) {動}かける。羽を大きく広げて飛びまう。 【駆け付ける】(『広辞苑』) 駆けて到着する。急いでその場所に着く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/11/29 05:15:38 PM
|