これはCar@niftyに載った、岡小百合作のショートストーリーです。歴史の街・金沢に女、クルマ・・・です。
日々の仕事に向き合っていると、ふと別の街の空気を吸いたくなる。そんなときには、美しさに惹かれて相棒にしたMiTo のステアリングを握って旅に出る──。 エンジンの音が、和音を奏でながら耳の奥を満たす。その美しさに高揚する気持ちをしみじみと味わい、さらにアクセルペダルを踏み込んだ。踏み足されたペダルの分だけ、高音になったエンジンの音を確かめる。時折、休暇をつくっては、旅行をしてきたのだ。人と接するのが仕事であるがゆえ、ひとりきりの自由を満喫したくて、ひとり旅にこだわってきた。海外を目指したのは、なるべく日常から離れたいという意識の表れなのだろう、と考えている。その半面、仕事を越えたサガなのか、あるいはサガがあるからこうした仕事を選んだのか、美しさを追求することで、自ずと欧米の街に目が向いてきたところも、あるのだろうと思う。ところが40 歳を境に、自分の意識が、日本の中にも向き始めたことを感じるようになった。今回の目的地が金沢であることも、その証拠のひとつだ。これが出張ならば、何の迷いもなく、羽田と小松空港を往復するエアチケットを、手配していたことだろう。あえて、自ら運転してクルマで行く、と決めたのは、日常から非日常へと移動する時間そのものを、刻一刻とかみしめたかったからだ。大地の上で。まるで、線をたどっていくかのように。それに加えて、実は相棒がMiToであることとも、関係があるような気がしている。とりわけ、ルックスの美しさに惹かれて、決めたパートナーだった。美の国であるイタリアが生み出したクルマらしい、情熱的でアグレッシブなスタイリング。深紅のルージュにも似た、イキイキとしつつ、艶めかしくもあるカラーリング。そうした要素が、実はブロンドやブルネットばかりでなく、アジアの地に育まれた大人の女性の、潤った肌や艶やかな黒髪を引き立ててくれるだろうことも、見越して選んだ1台だった。 だから、MiToと自分の組み合わせを、「似合う」とか「素敵」などと評価されることは、嬉しい反面、想定内とも言えるのだった。 想定外だったのは、走らせた時のフィーリングだ。そしてそれこそが、自動車でのひとり旅へと、背中を押してもくれたのだ。東京都心の自宅マンションを出発したのは、まだ朝日が昇りきらない時分だった。それから2時間半ほどの間、ハンドルを握っている。途中、一度だけサービスエリアに立ち寄り、熱いコーヒーで喉を潤した。しかしそれは、意識的に休憩をとらなければ、と自分に言い聞かせたからのこと。そうでなければ、休憩もとらずに走り続けていたかもしれない、と感じている。 それほどに、MiToは私に、ネガティブなストレスを与えない。むしろ積極的に、前へ進むことそのものを、快楽にしてしまうようなところがある。 このクルマとつきあえばつきあうほど、その確信は、深まるばかりなのだ。日常的に都心を走るのでは飽き足らず、こうして金沢を目指しているほどに。古都の風情を残す金沢には、日本らしい美しさがふくよかに薫っていた。鮮やかに染まり始めた木々の葉を眺め、深い吸気と共に、日本の秋をたっぷりと体の中に送り込んだ。 北陸一の都市。と言うより、かつての城下町。そう呼んだ方が、金沢にふさわしい。いにしえの面影を残す「ひがし茶屋街」を、ひとり、そぞろ歩きながら、そう思った。 築100年以上の建物に囲まれた、石畳を行く。今でもお座敷があげられていると聞いたお茶屋へと、足を運んだ。丁寧にしつらえられた床の間はもちろんのこと、囲炉裏、ふすま、障子、梁...。磨きあげられたそのどれもが、長い時を経て、大切に受け継がれていることを伝えてくる。 おそらく、生まれた当初はもっと鮮やかな色と形をしていたのだろう。それはそれで、存分に美しかったはずだ。けれども、時を重ねたことで初めて宿る、この深みのある色合い、つや。それもまた、存分に美しい。 存分に美しいのは、そればかりではない。 百万石のお城を支えた街らしい、艶やかな金箔工芸。細い糸から紡ぎだされる、色鮮やかな手毬。繊細な絵付けが特徴的な、九谷焼き。言わずと知れた、輪島の漆塗り。水引を艶やかに編み込んだ、水引細工...。金沢は、京都にも劣らぬ、希少な伝統工芸の宝庫なのだ。繊細な色使いのセンスと、それ以上に繊細な手の技によってしか生まれることのない、美術であり、芸術。そうした美と技に、そこかしこでお目にかかることができる街なのだ。 秀でた芸術に触れ、細胞の隅々までが、綺麗な水で満たされていく。そんな心地を味わいながら、金沢は美しい都なのだと考えていて、はっとした。そういえば、MiToはゆかりのあるふたつの都市であるミラノとトリノ、それぞれの頭の文字から名づけられたのだ。美都――ミトを旅するのに、MiToは最初から、うってつけだったのだ。 照れくさくなるようなアイディアを、堂々と受け入れてしまえるのは、40過ぎた大人の特権だ。ひらめきを、そんな風に正当化しつつ、MiToのエンジンをかけた。東京へ帰る時には、この地で受け継がれてきた美に対する意識の高さを、否、美を愛する魂と技を育んだこの地の空気ごと、ラゲッジルームいっぱいに積んで行こう。そうして、こんなに美しい街のある日本に、黒い髪の女として生まれた幸せを、たっぷりと味わいたい...。 今夜の宿に向かって、クルマを発進させる。綺麗なエンジンの和音が、古都の街並みに小さく響いた。