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       世に棲む日々

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2011.03.28
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カテゴリ:社会
久しぶりに時事ネタ…というか
こういう問題に私たちはもっと
声をあげないといけないと思います。

福島原発の事故のきっかけは
地震と津波であったにせよ
その後の対応やそれまでの原子力政策について
あまりにも無関心というか
根拠のない「安全神話」を
盲信していたのではないでしょうか?

度重なる東電の誤報とその場しのぎ的な会見…

そんな中気になる記事を見つけました…

   佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか
   福島原発の事故隠蔽で国と対立した直後に始まった捜査


   炉心溶融のメルトダウンへ向けて、カウントダウンを
  続けているかのような福島原子力発電所---。
  その根源的問題が、国と電力会社が一体となって
  「安全神話」を撒き散らし、国民の声を聞かずに原子力政策を推進、
  事故が発生してもまず隠ぺい、真摯な事故対応を怠ってきたからだと
  指摘していた人がいる。佐藤栄佐久前福島県知事である。
  佐藤氏は、06年10月、木戸ダム建設工事に絡んで、
  ゼネコンの前田建設工業、サブコンの水谷建設から
  賄賂を受け取ったという収賄罪で逮捕起訴され、
  一審で有罪判決を受け、控訴したものの覆らなかった。
  「冤罪」の声もある事件については後述しよう。
  ここで強調したいのは、佐藤氏が、09年6月の高裁判決後に
  上梓した『知事抹殺』(平凡社)で、2章を割いて
  「国の原子力行政との戦い」を訴えていることだ。
  <中略>
  「この事故で、強烈な教訓として残ったのは、
  『国策である原子力発電の第一当事者である国は、
  安全対策に何の主導権もとらない』という『完全無責任体制』だった」
  この事故というのは、1989年1月6日に発覚した
  福島第二原発3号機の部品脱落トラブルである。
  原子炉冷却水再循環ポンプ内にボルトや座金が脱落、
  それが原子炉内に流入していた。前年暮れから3回も
  警報が鳴っていたのに東電は事故を隠し続け、
  1月6日の異常警報でようやく県に報告した。
  <中略>
  それが頂点に達したのが、2002年8月29日、
  経済産業省原子力安全・保安院から県に送られてきた
  18枚のFAXだった。そこには、
  「福島第一・第二原発で、原発の故障やひび割れなどの
  損傷を隠すため、長年にわたって点検記録をごまかしてきた」
  と、書かれていた。
  <中略>
  改ざん隠蔽の事実は、内部告発によって明らかとなったが、
  それを原子力安全・保安院が受け取ったのは00年7月である。
  保安院は立ち入り調査することなく、「こんな告発があるけど」と、
  東電に紹介、調査は東電に任せて
  「調査の結果、告発内容と一致しなかった」
  という東電報告を受けて、口を拭っていた。
  <中略>
   使用済み燃料を再処理して使うプルサーマル計画を含めた
  核燃料サイクルに批判的な佐藤氏は、そのプルサーマルを
  推進する資源エネルギー庁と安全を司る原子力・安全保安院が同居、
  そこに現場の東電など電力会社が加わって「原子力村」を構成、
  何のチェック機能もない原子力推進体制が出来上がっていることを危惧した。
  事故も隠ぺいも、その体質が生みだしたものだ---。
  <中略>
   従って、事故を機に、原発を点検に合わせて次々に運転停止、
  東電管内の17基の原発がすべて停止しても、
  攻撃の手を緩めることはなかった。『日本経済新聞』(05年6月5日付)が、
  「運転再開に注文をつける佐藤知事のせいで目算が狂った」と、
  社説で批判するなど風当たりが強くなるなか、7月10日、
  ようやく佐藤氏は、東電の勝俣恒久社長と面会、再開を容認した。
  原発行政と東電などに「佐藤批判」が高まるなか、
  佐藤氏が最後まで許さなかったのは、
  「譲れない一線を国や関係者が考えてくれなかったからだ」という。
  「それは、『事故情報を含む透明性の確保』と、
  『安全に直結する原子力行政に対する地方の権限確保』である」
  <中略>
   佐藤氏が原子力行政に、物申していた時、収賄捜査は始まった。
  そのタイミングの良さに、「国による反原発派知事つぶし」
  という声があがるのも無理はなかった。
  もちろん特捜部が、「反原発派」だから佐藤氏を狙ったと
  いうのはうがち過ぎである。
  安全性に顧慮することなく、地元を含めて国民に
  「お上のやることだから従え」と強圧的な態度で臨み、
  事故が起きれば現場(東電など)のせいにして逃げる国
  (経産省、資源エネルギー庁、原子力安全委員会、原子力安全・保安院)
  などへの怒りは強いが、佐藤氏は容認派であって反対派ではない。
  <中略>
  「佐藤不在」が、未曾有の原発事故につながったというつもりはない。
  ただ、「緑の革命」のなかで原発がクリーンエネルギーとして称揚され、
  厳しい監視役の不在で気のゆるみが生じていたのだけは、間違いあるまい。
  【2011年3月17日 現代ビジネス 】

この記事の是非はともかく
最近話題のCMの言葉を借りれば…

 『心』は見えないけれど,『下心』は見える
 『思い』は見えないけれど『思惑』は見える

そんな言葉が事故に対する
東電や政府の発表のニュースを見る度に
頭をよぎるのは私だけではないと思います…

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Last updated  2011.03.28 23:16:41
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