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カテゴリ:本・メディア・通信
杉田水脈の「生産性がない」と書いた文章が大きな問題になり、
さらにそれを擁護する文章が「新潮45」に掲載されて、 SNSや掲示板、ブログなどでいわゆる「大炎上」となっているようだ。 誠に恥ずかしながら、2~3日前まで私は「杉田発言」だと勘違いし、 さらに「どうせ自民党のオヤジ議員の発言だろう」と考えていたので、 全く興味を持っていなかった(笑)。 だが、後に「杉田論文」と呼ばれるようになった文章であり、 きちんと読んでみると確かに論文と言えなくもない内容なので、 少しだけ感想を書いておくことにする。 まず、最も注目を集めた部分について。 ◆例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使う ◆というのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。 ◆しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。 ◆彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。 ◆そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。 擁護派は「少子化対策の延長上で使った言葉だからおかしくはない」と言う。 ただ、そう読ませるには言葉が足りな過ぎたと思う。 ★彼ら彼女らは、子どもを作らないという点だけをとってみれば、 ★また、あくまでも出生率を上げ、国を富ませるという観点に立って考えるならば、 ★社会の構成員としては「生産性」がないと言えるかもしれません。 ★私は政治家なので、ときにはそういう観点に立たなければならないことがあります。 などと書けば、風当たりは多少は違ったかもしれない。 まあ、叩かれるのは避けられなかったと思うが(笑)。 言うまでもなく、LGBTの人達が生きていくにあたり、 社会インフラ的に不都合があるのなら政治が変えていかなければならないだろう。 また、彼ら・彼女らを異常と見ることが異常であるということを 政治家だけでなく我々も広めていかなければならない。 その後、杉田議員の文章は以下のように続いていく。 ◆T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、 ◆これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、 ◆自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。 ◆性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、 ◆それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。 「LGBとTを区別しろ」というのは説得力のある言葉で、私はすんなり納得できた。 しかしながら、さらにその下に続く部分が大いに気になった。 「生産性がない」は上のようにある意味ごまかすことができるのだが、 以下の部分はごまかしようがないのである。 ◆マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を ◆好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。 ◆普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、 ◆不幸な人を増やすことにつながりかねません。 「男女の恋愛が普通」であると言っているので、 次の行の「不幸な人」がLGBの人達を指すことになってしまっている。 この部分の表現によって、結局のところ杉田議員は 「LGBの人達は普通ではなく不幸な人々」と考えていることを露呈しているのである。 また、杉田議員は「LGBは性的嗜好の話」と言っているが、 水野ひばりというブロガー(?)は、 LGBは性的「指向」であり、性的「嗜好」ではないと言う。 女を好きになる男、男を好きになる男、男を好きになる女、女を好きになる女。 これが「性的指向」であり、「性的嗜好」はSM、スカ○ロなど、 私にとってはおどろおどろしい趣味趣向のほか、 のぞき魔、痴漢などの犯罪に至るものまで、様々あるようだ。 「指向」は本能的に備わっている「恋愛対象の方向性」であり、 「嗜好」は肉体的・精神的な「快楽を得るための行為の方向性」となるだろうか。 私の理解が間違ってなければ、非常に明解で納得できる言葉の定義である。 水野氏はさらに、この「指向」と「嗜好」の混同のせいで 新潮45に載せられた小川榮太郎氏の喩えのようなトンチンカンな論理が生まれると言う。 ◆満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、 ◆そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。 ◆再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。 ◆彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。 ◆LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというなら、 ◆SMAG(編注:サドとマゾとお尻フェチと痴漢を指す小川氏の造語とのこと) ◆の人達もまた生きづらかろう。ふざけるなという奴がいたら許さない。 ◆LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。 「ふざけるな」とはこの人には言えなそうだ。 本気で認識を間違えているので、決してふざけているわけではない。 言うとすれば、「お前、頭が悪すぎるぞ」くらいだろうか(笑)。 同性愛者と痴漢を同列に並べる時点ですでに支離滅裂だが、 それが理解できないのは、「指向」と「嗜好」を区別できないからである。 だから、生来の指向であるにもかかわらず、ふざけた「概念」などと表現するわけだ。 「同性愛は変態的な性癖であり、彼ら・彼女らは犯罪者と同様に異常な奴らなのだ」 と感じているのだろう。 とにかく、世界に75億人がいれば75億通りの考え方、感じ方がある。 そして程度の差を考えると、肉体的・本能的性質も75億通りあるのかもしれない。 「最大多数の最大幸福」が政治の究極の目標であるなら、 LGBの「指向」を否定したり無視したりはできないはずだ。 杉田議員には、その辺をもう一度じっくりと考えてほしいところである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年09月25日 22時12分56秒
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