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カテゴリ:桃
唐突ですが 「おかね」というものは、 「どんなお金か?」という それにまつわるストーリーが すごく大事なんじゃないか? と ぼんやり思っている。 ほいっと渡される出所不明の大金には いくら自由に遣っていいよ~と言われても 疑念が湧いてしまう。 体当たりで稼いだ!という実感があり 喜んでくれた人の顔がすぐに浮かぶようなお金は、 ずっしりと重い。最近そんな経験があった。 おかねと言っても、 どこかでだれかを喜ばせた事実の置き換えだ。 実体の無いおかねだけ目がけて注力すると 変なことになるんだろうな。 (そしてそれはおかねの一面で、たとえば他の一面では おかねがきちんと回っていくということが 確かな安心をもたらしたりしている。) 会社員時代には、正直言って 手ごたえが無い上、勉強中の身でお給料をもらうことへ とまどいがあった。 がんばったごほうび的なニュアンスが強かった。 手ごたえというのは 何かをクリエイトしているという手ごたえだ。 つくるということで考えれば、例えば もしも、野菜を育ててそれを売ったりしていたら そのひとつの実に費やした労働と値札の関係が 身をもって感じられたりするだろう。 どうやって生計を立てるかは 日々の生活感覚、そして生き方そのものになっていく。 今までいかに周りに会社員しか居なかったことか。 ・・・オカネ、考からキャリア、考 エコノミー、考 に行くはず。思考が浅いまま今日は止まりましたが。 本文とは関係ありませんが 今日、友だちがくれたきれいな葉 これはなんという葉でしょう? それから、通りすがりの車にこんなの貼ってあったけど なんの宣伝なんだろう? ふしぎ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.16 00:36:58
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