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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
40. サン・プラの前から ~淋しさ、風の様に~
── あの人の事など もう忘れたいわ だって どんなに想いを寄せても 遠く叶わぬ 恋だもの… 気がついた時には もう愛していた もっと早く サヨナラ云えたなら こんなに辛くは なかったのに… ── 世樹子は「片想い」と言う唄が好きだった。 「まあ、女の子に受けそうな唄では、あるな…。」 私は云った。 10月17日の深夜、私は毛布を胸に抱いて、世樹子と三栄荘を出た。 「其れにしても、柳沢と香織ったら冷たいよな…。 コンサートには行かなくても、泊まり込みには付き合って呉れると、思ってたが…。」 「仕方無いわよ。 香織ちゃんは明日、大事なオーディションの日だし…。」 香織は翌日、劇団のオーディションを受ける事になっていた。 「もう夜は寒いわ。 誰だって、外に居たくは無いでしょう…。 鉄兵君だって、其の…、無理をして呉れてるのなら、いいのよ…。 厭だったら…。」 「アリーナでコンサートを観たいんだろ?」 「ええ…。 そうだけど…。 でもアリーナで無くっても、コンサートに行ければ充分なのよ…。」 「俺はアリーナで無くっちゃ、厭だぜ。 君こそ、無理せず部屋に居れば好かったものを…。 俺は1人でも泊まり込みに行くよ。」 「…そう。 じゃあ、鉄兵君1人じゃ可哀相だから、私も付き合ったげる。」 「悪いね…。」 世樹子は笑顔を見せた。 サン・プラの前には、既に数人の人間が来ていた。 「浜田省吾のチケットですか?」 皆、若い女性だった。 「ええ。そうですよ…。」 私は彼女達の隣に、毛布を1つ敷いた。 「まあ、2枚も毛布を持って来るなんて、準備が好いのね…。」 一番側に坐っていた、赤いサテンのジャンパーを着た女が云った。 「そっちは、何も持って来なかったの?」 「お菓子とジュースだけ…。」 「夜明け前は、急度冷え込むぜ。 大丈夫かい?」 「大丈夫、気合入ってるもの。」 「ほんと、そうみたいね…。」 世樹子が感心した様に云った。 時計は午前零時を少し廻っていた。 中野サン・プラザの西側の非常口の周りは、通り行く人も無く、街灯だけがひっそりと佇んでいた。 唯、中野通りを行きかう、多くはタクシーであろう、車の音が途切れ途切れに聴こえて来た。 午前1時を過ぎた。 向う側の何人かは、既に眠っている様子だった。 世樹子はサテンのジャンパーの女と、其の隣の薄いダウン・ジャケットを着た女と一緒に、浜田省吾やミュージック・シーンに関する話を盛んにしていた。 私は分けて貰ったお菓子をムシャムシャ食べていた。 「よお、生きてるか?」 顔を上げると、柳沢と香織が立っていた。 「凍死したら可哀相だと思って、更に毛布を持って来て遣ったぜ。」 柳沢は手に抱えていた毛布を、私の前に置いた。 「はい、差し入れ。」 香織がセブン・イレブンの袋を差し出した。 「サンクス。 丁度好かった。 毛布はあっちの彼女達に掛けて遣って呉れ。」 柳沢は再び毛布を抱えると、隣へ行った。 「二人限で凍えてるかと思ったら、何か随分賑やかね。」 香織が云った。 既に我々の反対側にも、人が沢山坐り込んでいた。 「香織ちゃん、有り難う。 でも早く休まなくて平気なの? 明日のオーディション…。」 「まあね。 どうせ受かりっこ無いから…。」 「香織ちゃんは受かるわよ。 絶対…。」 「有り難う。 世樹子もね…。 あなたこそ、早く休んだ方が好いわよ。 其れにしても…、眼が冴えちゃって眠くならないのよね。 緊張しちゃってるのかしら…?」 「毎晩、俺達の所為で遅く迄起きてるから、急に早寝が出来ないんだろう?」 「其れは云えるわね…。」 柳沢と香織は暫く坐っていたが、やがて腰を上げた。 「じゃあ、お言葉に甘えて、帰って休ませて貰うわ…。」 「柳沢は俺達と一緒に泊まれば…? たまには外で寝るのも好いぜ。」 「ああ。 そうしたいのは山々なんだが、久保田を一人で帰らす理由には、いかんだろう…?」 「其れじゃ、頑張ってね。」 柳沢と香織は帰って行った。 「君も明日、何か有るのかい?」 香織の云い方が気になって、私は世樹子に尋ねた。 「えっ、…まあね。 そう言えば、英検を受ける事になってたかしら…。 でも私のは、どうでも好いのよ。 暇だったら受けようと思って、申し込んだ分だから…。」 「然し…、」 「チケットの方がずっと大事なのよ。 本当に、あっちはどうでも好いんだから…。」 「明日は、もう今日か…、試験を受けない積もりかい?」 「受けなくったって構わないわ。」 「検定料は支払ってるんだろ? よし、取り合えず送って行こう。 帰って休んだ方が好い。 場所は彼女等にキープして貰っとくから…。」 私は立ち上がろうとした。 「そんな事、いいわよ。 今夜は、此処に泊まりたいの…。」 午前2時を過ぎた頃、聴こえていた周りの話し声もすっかり途絶えてしまった。 私と世樹子は胸迄同じ毛布に入って、寄り添っていた。 「もう眠った方が好い。 そして、今日はちゃんと英検を受ける事だ。」 「有り難う…。 鉄兵君は?」 「俺は未だ眠くないから。 環境の違う所為かな? でも、1人で妄想に耽って楽しめる体質だから…。 君は遠慮なく寝て好い。」 「私も未だ眠くないわ…。 少し環境が変わった位は平気な方だけど…。」 「そうだ、枕を持って来るのを忘れたな…。 頭、痛くない?」 「いいえ、平気よ…。」 「実は…、さっきから俺の左腕が君の身体に触れていて、感じてしまって仕方無いんだ。 上に上げても好いかい?」 「あ、好いわよ。 御免なさい…。」 世樹子は確りと寄り添っていた身体を少し遠ざけた。 「其れで、上げた此の左腕が邪魔だから、出来れば枕代りに使って欲しい。」 彼女は微笑んだ。 「じゃあ、使わせて貰おうかしら…。」 彼女は又身体を寄せた。 「痛くなったら直ぐ、勝手に腕を外してね。」 「うん、そうする…。」 向かい側の低い建物の上に、静かな闇が広がっていた。 夜の空気は次第に透明になり、全ての物の真実の姿が視えて来そうな気がした。 「何故君は、誰とも付き合わないんだい?」 私は云った。 「誰とも付き合わない積もりなんて無いわ。 私だって、付き合いたいわよ。 相手さえ居れば…。」 「相手は幾らでも居るだろうに。」 「居ないわよ。 私は…、あなたと違って、相手は1人居れば充分よ…。」 彼女の「あなた」と言う言葉に、私は心を動かされた。 香織等は、誰に対しても此の言葉を使ったが、彼女が口にするのを聴いたのは其れが初めてであった。 「淋しくは無いかい?」 「淋しいわ。 いつも…。 部屋には香織ちゃんが居て呉れて、三栄荘に行けばみんなと夜を過ごせて…、でも、いつも心が、淋しさの上に浮かんでるの…。 身体の中をいつも、風が通り抜けて行くみたいなのよ…。」 「此の際、誰かと付き合ってみるべきだよ。 例えば、俺なんて、どう…?」 「鉄兵君と…? 駄目よ。」 「矢っ張り俺じゃ、基準に合格しない?」 「…満点だけど、鉄兵君には香織ちゃんが居るわ。」 「そうか、合格してたか…。 嬉しいな…。 でも悪いね。 君や香織より先に、一人で合格しちゃって…。」 彼女は、遠くて柔らかな笑みを零した。 「私は、あなたの基準にどうなの…?」 「俺は基準を設ける資格の無い男だから…。 唯、恐れ多くも、理想を云わせて貰えば…、色が白くて、髪が割と長くて、瞳が綺麗で、名前が『世樹子』なんて言ったら最高だな。 そして…、」 彼女は懐かしそうに微笑んだ。 「未だ、有るの?」 「うん、もう1つだけ。 そして、唇の淋しそうな女の子さ…。」 ── 淋しさ 風の様に 癒されぬ心を 持て遊ぶ… あの人の微笑み 優しさだけだと 知っていたのに それだけで 好いはずなのに 愛を求めた 片思い ── 私は「片思い」と言う唄に就いては、多くの批判を述べた。 然し、彼女は其の唄が好きだった。 〈四〇、サン・プラの前から〉 ※引用:浜田省吾「片想い」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年11月08日 21時44分15秒
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