|
カテゴリ:小説「愛を抱いて」
45. 豊島園遊園地〔前編〕
「赤サク」を出た後、世樹子とノブは一寸飯野荘へ寄って来ると云った。 柳沢と私は三栄荘へ戻り、彼女等を待った。 優に1時間は経過した後、漸く二人の階段を上る足音が聴こえた。 「着替えと化粧直しにしては、随分遅かったじゃない?」 「気が変わったのかと心配したぜ。」 「御免なさい。 実は二人でお弁当を作ってたのよ。」 「弁当…?」 私は世樹子が手に下げているバスケットに眼を遣った。 「趣味に合わなかったかしら…?」 「とんでも無い。 至上の幸福を感じる…。」 「中身は何だい?」 「急いだから、大した物作れなかったの。 サンドイッチと簡単なおかずだけ…。」 高田馬場で国電に、更に池袋で西武池袋線に乗り換え、我々は豊島園に遣って来た。 1日券を買って入場すると、直ぐに「スカイ・ダイバー」と言う名の乗り物が眼に付いた。 平日の遊園地は、よく空いていた。 「此の分だと、全部の乗り物に乗れそうだな。」 私は云った。 「全部乗る積もりなの?」 「当然だろ。」 「でも、此処広いわよ。 1日で全部乗り切れるかしら…?」 「多分、無理だな。」 柳沢が云った。 「無理かどうか、やってみなけりゃ解らんさ。」 「息も付かずに乗り捲る積もりか?」 「其の為に1日券を買ったんだろ? 大体遊園地に来て、ゆっくり寛ごうなんて間違ってるぜ。」 「成程…。 よし、じゃあ今日は気合を入れて、真剣に遊ぶか。」 我々は「スカイ・ダイバー」の入口に遣って来た。 「面白いのかな…?」 其れは観覧車の様な乗り物だった。 「さあ? 余り期待は出来そうに無いが、まあ、小手調べって事で…。」 2人掛けのシートの片方にハンドルが付いていた。 「何の為だろう…?」 私はハンドルの付いている側に坐りながら、隣のノブに云った。 ノブは笑って首を傾げた。 ベルトをロックしてから、私はハンドルを廻してみた。 宇宙船が少し傾いた。 「成程、こう言う事か…。」 各船に客が全員乗り込むのを待つ間、私はハンドルを左右に廻して、どれ程迄傾くのかを試していた。 中々上手く行かなかったが、私は遂に、宇宙船は1回転出来る事を発見した。 ノブが小さな悲鳴を上げた。 「大丈夫かい?」 「ええ、一寸愕いただけ…。」 其の操作にはコツが有って、初めは1回転させるのが精一杯であったが、私は直ぐに要領を掴んで、船をクルクルと廻し始めた。 未だ停止している観覧車の中で、1個だけが回転していた。 発動のベルが鳴った。 「ノブちゃん、スリルは好きかい?」 「大好きよ。 思いっ切りやってね。」 「OK…。」 観覧車は廻り始めた。 私は、どうせ大したスピードは出ないのであろうと構えていた。 観覧車は次第に回転の速度を上げて行き、然し予想していた速さを越えて猶、加速を続けた。 観覧車は物凄いスピードで回転し始めた。 「こいつは、すげぇな…。」 私はハンドルを廻して宇宙船を回転させた。 高速の中でのハンドル操作は、停止している時よりも更に技術を必要とした。 ノブは座席の前の握り棒を確り握り締めて、身体を硬くしていた。 私の編み出した最も高度なハンドル・テクニックは、宇宙船が一番低い位置、係員が立っている昇降ホームの間を通過する時、船体を180度傾け、真っ逆様になって通り過ぎるものだった。 「スカイ・ダイバー」は素晴らしい乗り物であった。 私とノブは宇宙船を降りると、先に降りて待っている柳沢と世樹子の側へ歩み寄った。 「最高だったな…。」 私は云った。 「そうか…?」 柳沢は同意しかねる口調だった。 「とっても面白かったわ…。」 ノブは胸を押さえながら云った。 「確かにスピードは有ったが、まあまあのスリルだった。」 柳沢は云った。 「鉄兵君があんまりクルクル廻すから、私もうフラフラよ…。」 ノブが愉しそうに云った。 「クルクル廻したって、どう言う事…?」 世樹子が訊いた。 私は少しコツが必要であったが、宇宙船を回転させる事が出来た旨を説明した。 「嘘…、廻せたの? 俺、傾くだけかと思った。」 「本当? 何か私達、損した気分ね…。」 「君等は『スカイ・ダイバー』に乗ったとは云えない。」 正午を過ぎて、我々はベンチに腰掛け、世樹子とノブが作った弁当を食べ始めた。 「おぉ、凄い! 唐揚げが有る…。」 おかずのバスケットを開けて、柳沢が云った。 「時間が無かったから、味は余り保証出来ないわよ。」 「其れには何が入ってるんだい?」 未だ開けられていないバスケットを指して、私は訊いた。 「あ、此れ…、おむすび…。」 ノブが云った。 「え! むすびも有るの?」 サンドイッチを口に銜えた儘、柳沢は云った。 「男の人ってどれ位食べるのか、よく解らなくて…。」 「ノブちゃんがね、サンドイッチだけじゃ足りないだろうから、おむすびも作ろうって云ったのよ。」 「でも、多過ぎたかしら…。」 「大丈夫よ。 此の人達痩せてるけど、よく食べるんだから。」 午前中は疎らだった客足も、最好の天気に誘われて少しずつ増え始めた。 唯、子供連れの家族の姿は殆見られず、若いカップルが非常に眼に付いた。 「ノブちゃんが握ったのは、どれ?」 私はむすびに手を伸ばしながら、云った。 「ふぅん、ノブちゃんのが食べたい理由ね…?」 「どれがどれか、もう解らないわよ。」 「待って、…確かこっちから半分が、ノブちゃんが作ったのよ。 はい、鉄兵君、どうぞ。」 柳沢は無造作に、むすびのバスケットから1つを取ってパク付いた。 「柳沢君、美味しい?」 世樹子が尋ねた。 「ああ…、美味いよ…。」 「そう、良かった。 其れ、私が握ったおむすびよ。」 「へえ、矢っ張り…。 そうじゃないかと思ったんだ。」 「まあ、有り難う。」 「此の微かな塩味は、急度世樹子の手汗…。」 「ちゃんとラップの上から握ったわよ!」 「え? じゃあ、ノブちゃんのも、そうなの?」 私はノブに訊いた。 「ええ、そうよ。」 「何だ、直接手で握ってからラップに包んだんじゃないのか…。」 「普通、そんな事しないわよ。」 世樹子が云った。 「そうだったのか…。」 「当然でしょ。 食べる人の事考えたら…。」 「そうかな? 食べる人の事を考えて、直に握って欲しかったな。 ノブちゃんの手汗の味を噛み締めながら、食べたかった…。」 世樹子とノブは眉を寄せた。 二人の作った弁当は、其の量に於いて豊富を誇るものだった。 彼女等は控え目な食欲を示した。 私と柳沢は前夜強か酒を呑んでおり、又睡眠不足気味でもあったが、時間を掛けて全部食べ尽くした。 そして私は、食後の乗り物はバイキングしか無いと主張した。 「そいつは好いな…。」 「どうして?」 「乗ってみれば、解るよ。」 バイキングの前には、待っている客が1人も居なかった。 我々は2人ずつに分かれて、其々両端の一番高い処に坐った。 「ノブちゃん、一寸変な事訊くけど…。」 私は云った。 「何…?」 我々だけでは流石に運転を始められず、バイキングは今少し他の客が遣って来るのを待っていた。 「ゆうべさ、俺、真夜中に、其の…、君に何かしたかい…?」 私は其れと無く、彼女を観察した。 「何かって…?」 ノブは表情を変えなかった。 (矢張り、夢だったか…。) 「否、ゆうべ俺、夢を視てさ…。」 「どんな夢…?」 「其れが、とんでも無い夢なんだ。」 「…。」 「怒らないで呉れよ。 夢の話なんだから…。」 ノブは頷いた。 「君の夢なんだ。 君が隣で寝ていた所為だろうけど、君とさ、其の…、キスをしたんだ。 夢の中で…。」 「…。」 「気を悪くしたら、御免。 でも嘘じゃないんだ。 唯、本当に…。」 「私も同じ夢を視たわ…。」 「え…!?」 私は身体に水を浴びた様な感覚を覚えた。 思わず振り向いて、彼女の顔を見詰めた。 彼女は変わらない微笑みの表情で、私を視ていた。 「同じ夢って、まさか…。」 胸に、緊張に似た得体の知れない物が込み上げて来る中で、私は彼女の先程からの微笑みの理由を理解した。 「…あの、部屋の布団の中で、キスした夢かい…?」 「ええ。 キスの後、鉄兵君、他にも何かしたわ…。」 決定的であった。 「否、…俺、寝惚けちゃっててさ…。」 云った後で、私は(しまった…。)と思った。 彼女の胸の辺りを、私の視線が掠めた。 そして私は、紗に包まれた記憶の中で、何の抵抗も無く唇を、又私の手が其の胸に触れるが儘に許した彼女の様子を、想い出していた。 気が付くと、世樹子と柳沢が此方へ手を振っていた。 私とノブも振り返した。 発動のベルが鳴った。 〈四五、豊島園遊園地[前編]〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[小説「愛を抱いて」] カテゴリの最新記事
|