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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
47. 豊島園遊園地〔後編〕 ~メリーゴーランド~ 空と地上が、入り乱れて廻っていた。 世樹子は眼を閉じた。 「眼を瞑っちゃ、駄目だぜ。」 私は二人がゆっくり動き始めた時、そう云った。 彼女はずっと瞳を開けた儘、次から次へと目紛しく変わって行く景色を見詰めていた。 そして、やがて疲れた様に、まるで、もう想い出にしてしまいたいかの様に、彼女は静かに眼を閉じたのだった。 (眼を瞑っちゃ、駄目だ…。) 私はハンドルを廻し続けた。 景色のスライドの中に、幾つも黄昏の空が有った。 「唯、不思議なのは、こんな面白い乗り物に、朝も今も客が殆ど居なかった事だ…。」 私は云った。 「昼間は急度、混んでたんじゃないか?」 柳沢が云った。 「ジェット・コースターは朝から満員だったぜ?」 「みんな面白いって事を、知らないのじゃないかしら? 自分達でスリルを創り出すものだから…。 掘り出し物だったのよ。」 「そうかもな…。 名作だよな。 『スカイ・ダイバー』は…。」 急に肌寒さを感じた。 空は未だ半分明るかったが、太陽は既に其の姿を消していた。 「さて、じゃあ、行きましょうか…。」 世樹子とノブは歩き出した。 「何処へ行くんだい? そっちは出口だぜ。」 私と柳沢は立った儘だった。 「未だ、閉園時刻迄は間が有る。」 「未だ、何か乗る積もり…?」 「当たり前だろ。」 柳沢は元の顔色に戻っていた。 「もう、想い残した事は無いのかい?」 「ええ…、まあね。」 「未だ、一番大事なものに乗って無いよ。 日が暮れてから乗ると、最高のものに…。」 「あ、若しかして…。」 「そうさ。」 「唯、何処に在ったか覚えてないんだよな。 早く捜さないと、時間が…。」 「私、知ってるわ。 こっちよ…。」 我々は駆け出した。 遊園地の一番奥に、メリーゴーランドは在った。 まるで又夏が来たかと思える程の陽気な一日だったが、秋の陽は矢張り短く、辺りを次第に夕闇が包もうとしていた。 其の先端に金色の鷲が羽を広げて留まっている馬車の中に、私とノブは並んで坐っていた。 「本当に、俺は其の後、何もしなかったの…?」 「ええ、直ぐに眠っちゃったわ。」 軽快な音楽が響いていた。 「御免ね…。」 「もう、いいのよ。 鉄兵君が寝惚けてる事は、解ってたわ。 私もボーッとしてたし…。 もう、気にしないで。 解ってたけど…、あなたは、優し過ぎるわ…。」 「違うんだ。 2ヶ月前の俺なら間違い無く、今日は一日中君を口説いてたさ。 でも、調子がおかしいんだ。 今…。」 「そうなの…。 残念ね…。」 馬車は滑って行った。 「今日はとっても愉しかったわ。 其れから、みんなとっても優しいのね。 唯、鉄兵君は、悪い人の方が良かったなぁ…。」 「だから調子を崩してるだけさ。 戻ったら、爪を隠して君を襲いに行くよ。」 「待ってるわ…。」 我々が其処へ遣って来た時、他の客は1人も居なかった。 少し気が引けたが、係員は快く機械を動かして呉れた。 「メリーゴーランドを楽しむコツはさ、自分達の乗り物が動いてるんじゃなくて、周りの景色の方が動いていると思い込む事さ。 やって御覧よ。」 「あら、本当…。 何か不思議ね…。」 二人を乗せた馬車は動きを停め、外の世界が上下に揺れながら廻り始めた。 そして其れは、外の世界の時間だけが、流れ始めた様でもあった。 我々は時間の無い、光の国に居た。 彼女の肩の処と、私の頭の後ろで、裸の天使がホルンを吹いていた。 馬車が又動き出していた。 今度は本当に…。 横を走っている白馬が、片眼で私の顔をチラリと視た。 「鉄兵君、ほら、金の鷲が…。」 「ああ…。」 初め視た時、丁度馬車の先端に舞い降りた姿であろうと思った其の鷲は、今まさに、翔び立つ処であった。 「そろそろ、ナイトの交替の時間だな…。」 私は立ち上がると、馬車の前から身を乗り出した。 「あれ…、此れ、馬車じゃないぜ…。」 乗り物を引っ張っているのは、2匹の豚だった。 私は右側の豚の上へ翔び乗った。 豚は上眼使いに私を視た。 そして私は、右前方を笑いながら走っている馬の背中へ翔び移った。 私は白馬と白豚の背中を渡り歩いて、進んだ。 柳沢が前から遣って来た。 「鉄兵、お前は正解だよ。 俺は失敗した…。」 「どうした?」 「こいつ等の顔を視ながら進むのは、骨が折れる。」 「成程。 痛いから止めて呉れって、哀れな顔で見詰められるのか?」 「否、其れだけなら好いんだが、中に翔び移ろうとした瞬間、表情を変えて威かす奴が居るんだ。 もう何度も落っこちそうになった…。」 柳沢と擦れ違って、更に私は進んだ。 ソファの敷かれた豪華な豚車の中に、世樹子は居た。 「世樹子姫…。」 私は呼び掛けた。 「あなたは落ちて、馬に蹴られておしまい。」 「此れは、とんでも無い間違いを…。」 私は豚の側を離れ、彼女の隣に坐った。 外の世界は、すっかり暗くなっていた。 「ねえ、一寸変じゃない…?」 「何が…?」 「此のメリーゴーランド、私達が乗ってから、ずっと廻り続けてるわ…。」 「そう云えば、偉く長いメリーゴーランドだな…。」 昇降ホームが近付いて来た。 ボックスの中に係員の姿は無かった。 「サービスかな…?」 「優しい人で良かったわね…。」 頭上を光の河が流れ続けていた。 「ねえ、此の天使、男か女か知ってる?」 「知ってるわよ。 男の子でしょ。」 「ほう…、確り視たんだ。」 「違うわ。 天使は男の子に決まってるじゃない…。」 唯、世樹子の肩でホルンを吹いている天使は、少し恥かしそうに下を向いていた。 「でも君は、よくメリーゴーランドの在る処を覚えてたね…。」 「だって昼間、何度も此の前を通ったのに、誰も乗ろうって云って呉れないから、ずっと残念に思ってたんですもの…。」 「昼間は流石に、恥かしくて乗り難いよな。 子供が多いし…。」 「そうだろうと思ったわ。 でも今は、とっても幸せよ…。」 「やっと、こいつと友達になれたよ…。」 私は横の白馬を指して云った。 いつからか、動物達は皆、優しい眼をして我々をそっと見詰めていた。 光の国の豚車は我々を乗せて、昨日でも明日でも無い処へ進み続けた。 閉園の音楽が聴こえて来た。 係員が遣って来て、機械は静かに停まった。 我々は丁寧に礼を述べてから、光の国を後にした。 途中何度も振り返り、其の度に光の国の輝きが消えていないのを視て、我々は安心し、そして嬉しかった。 光の国はいつ迄も、小さく其処に輝いていた。 「寒いな…。」 ゲートを出ると、我々は上着の前を閉じ、襟を立てた。 晴れ渡った夜空は、昼間の温もりを、あっと云う間に吸い上げてしまっていた。 然し寒さより猶、気になる事が有った。 「腹が減った…。」 「そうでしょうね。 お弁当を食べた限ですもの…。 柳沢君は?」 「俺も…。 空腹で歩けそうに無い…。」 「そう…、良かった。」 我々は眼の前のハンバーガー・ショップに入った。 「今日は本当に、どうも有り難う…。」 皆に向かって、ノブが云った。 「感謝されるのは嬉しいけど、俺達は唯、自分が行きたいから遣って来ただけなんだよ。」 「まあ、でも偶然其れが遊園地で、ノブちゃんに気に入って貰えて良かったよな。」 「ノブちゃん、此の人達に余り素直に感謝してると、後が怖いかもよ。」 「世樹子は、どうなんだい?」 「勿論、私も感謝してるわよ。 洞穴じゃなく、遊園地だった事に…。」 「私、ゆうべから、みんなとずっと一緒に居て、色んな事が全部新鮮だったわ…。 天気が好いから授業をサボって、お弁当を作って遊園地へ行って、私、初めてなの…、そんな事したの…。」 「俺達だって、いつもこんな事してる理由じゃないんだぜ…。」 「俺は、普段はちゃんと授業に出てるんだよ。」 胃を落ち着かせて、我々は豊島園駅の中へ入った。 「遊園地を出た後に本物の電車を視ると、何かとっても味気なく視えるな…。」 「あら、違うわ。 こっちが偽物よ…。」 〈四七、豊島園遊園地[後編]〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年11月09日 11時55分58秒
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