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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
55. 学祭 11月17日、私はファーラーのブラック・ウォッチを穿き、シャツの上にはニューヨーク・ヤンキースのサテンのジャンパーを着て、部屋を出た。 午前10時半に、世樹子と中野駅で待ち合わせをしていた。 私が駅前に遣って来た時、世樹子は既に切符売場の横に立っていた。 二人は総武線に乗り、水道橋へ向かった。 以前、私はアルタの前で、女性コンパニオンの容姿に吊られ、用紙に簡単なクイズの回答と自分の住所、氏名を書いて箱の中に入れた事が有った。 其の事を忘れてしまった頃、私の処に後楽園遊園地のフリー・パスが2枚送られて来た。 電車は水道橋に到着し、私と世樹子は後楽園球場の横に在る遊園地へ向けて、歩き出した。 下に後楽園球場が見えた。人工芝は此の季節にも、鮮やかな緑をしていた。 「大学の学祭って、愉しいんでしょうねぇ…。」 世樹子は云った。 「さあ? 初めてだから、解んないけど…。」 「鉄兵君、未だ1年生だから、色々と用事をさせられて忙しいでしょ。」 「どうかな…? いつ来るの?」 「私…、行っても大丈夫かしら…?」 「どうして?」 「香織ちゃんは、いつ行くって云ってた?」 「えっと…、確か、初日の午後来るって云ってた。」 「20日ね。」 観覧車はゆっくりと廻った。 「私、矢っ張り、あなたと付き合っては、いけなかったのよ…。」 世樹子は空の低い処を見詰めていた。 「でも、もう遅いのね…。 そうそう…、おととい、木暮さんと一緒に歩いてる後姿を視ていて、少し腹が立ったわ。 二人、似合ってるんだもの…。」 「そうかい?」 「あら、随分嬉しそうね?」 「うん、嬉しい。 君に妬いて貰えるなんて…。」 間も無く、私の大学の学園祭が始まろうとしていた。 「鉄兵、ボーッと坐ってないで、少しは動き為さいよ。」 千絵が云った。 客は次から次へと遣って来た。 「もう、あなたは邪魔になるだけだから、どっかへ行ってて好いわよ。」 狭い通路に犇めいている人込みの中に、香織の顔が見えた。 「在った、在った…。」 と云いながら、4人の女が店の前へ遣って来た。 「いらっしゃい…。」 私は笑いながら云った。 「とても坐れそうに無いわね…。」 香織が云った。 「ああ…、一寸今はね。」 私は煙草をポケットに入れて立ち上がった。 「一寸、何処へ行く気? 此の忙しいのに…。」 云ってから美穂は、香織に気付いて口を噤んだ。 「いらっしゃい。 お久しぶり…。」 美穂は香織に云った。 「凄い盛況みたいね。」 「御免なさい…。 丁度今、満席なの。」 「じゃ、俺、一寸廻って来るから…。」 「行ってらっしゃい…。」 私は店を出た。 美穂と香織は手を振り合い、私は4人の女を連れて、人込みの中を進んだ。 「鉄兵君、本当にいいの? お店、出て来ちゃって…。」 世樹子が云った。 「ああ。 どうせ俺は居ても邪魔になるんだ。」 我々は喫茶店を見付けて、其処に入った。 「其れにしても、凄い人出ね…。」 やっと落ち着けたと言う風に、ヒロ子は云った。 「今日は金曜日なのに…、明日、あさっては、もっと賑やかになるんでしょうね。」 「如何に大学生は暇かって事よ。」 「私、女の子のエプロン姿がとっても可愛かったわ…。」 ぼんやり店の内装を見ていたノブが、口を開いた。 「エプロンは確かに可愛いけど、うちのは中身がボロボロだからな。」 「あら、みんな可愛い娘許だったじゃない。 特に、美穂さんなんて…。」 私は煙草に火を点けた。 私の大学の学祭は、11月20日から23日迄、全日オールナイトで行われた。 我がサークルの出店である「おでん屋」は、意外にも大当たりだった。 他の出店が何れもクレープや清涼飲料水許で、腹に溜まる食べ物を売る店が少なかったのと、予想以上に気温が低かったのが勝因と思われた。 他の大学に無い、我が校の学祭の特色を挙げれば、其れは夜の部に有った。 先ずオールナイトが許されているのは、我が校位のものであった。 暗くなる少し前に、香織達は帰って行った。 夜の構内は、酔っ払いの巣窟と化した。 私はサークルの仲間数人と連れ立って、知り合いの居る店を呑み歩いた。 昼間はクレープを売っていた店も、夜になると居酒屋に変身していた。 我がサークルの店でも、酒は売っていた。 我々はすっかり酔って自分の店へ戻って来ると、商品である清酒の2級酒を勝手に呑み始めた。 「鉄兵も一緒に帰りましょ。」 千絵が云った。 最後迄残っていた1年の女達は、皆荷物を持って立ち上がった。 「淳一は…?」 私は訊いた。 横沢が側で寝ていた。 「井上は501へ連れて行ったぞ。」 先輩の一人が云った。 「早くしないと、終電も行っちゃうわよ。」 千絵が云った。 私は立ち上がって2歩許歩いたかと思うと、足元のゴミ箱を抱く様に引っ繰り返った。 何処も痛くなかったが、ゴミ箱を抱いた儘動けなかった。 「駄目だ、こりゃ…。」 そう云って、女達は帰って行った。 辺りは閑散としていた。 店の奥では3年達がコタツを敷いて麻雀をやっていた。 私が倒れている入口に近い方では、未だ数人が酒盛りをしていた。 横沢は蒼い顔をして、相変わらず眠っていた。 突然、学生服を着て腕に腕章をした連中が、店の中へ入って来たかと思うと、私の腕を掴んで抱え起こそうとした。 「俺は、大丈夫だ…!」 私はそう云うと、彼等の手を振り払った。 学生服達は、酒盛りをしている者等に一言声を掛けると、横沢を抱き起こして連れ去った。 私はコンクリートの壁に凭れ掛かる様にして、ゆっくり歩いた。 校舎にもキャンパスにも歩く人影は見られなかったが、常に何処からか、ぼそぼそと話し声が聴こえた。 廊下の途中に、501と言う教室番号が見えた。 教室と言うより講堂と表現した方が正しい程広い其の教室だけは、此の時刻にも明々と電灯が付いていた。 近付くと、中は結構ざわついている様だった。 私は501号教室へ入って行った。 黒い学生服を着た連中が何人も居て、教室の中を動き廻っていた。 毛布の敷き詰められた椅子の上に、夥しい数の泥酔者が寝かされていた。 淳一と横沢は、死んだ様に眠っていた。 私は再び廊下へ出た。 ふと、世樹子の事が頭に浮かんだ。 重い硝子のドアを押して、キャンパスへ出てみた。 外は寒かった。 新宿の方を視ると、いつもの様に空が明るく輝いていた。 私は世樹子に逢いたいと思った。 そして、今日彼女が、香織達と此処へ遣って来た事を思い出した。 其れなのに、私は今直ぐ、彼女に逢いたがっていた。 私は生まれて初めて、自分に其の様な気持ちが芽生えた事を自覚した。 酷く寒かった。 「世樹子…。」 私は彼女の名を呼んだ。 キャンパスを彷徨う様にして、私は学生会館の方へ歩いた。 学生会館の中は、暖房がよく効いていて暖かかった。 大ホールではパンクの連中が、オールナイト・コンサートをやっていた。 ボーカルの女が片方の乳房を出して、シャウトしていた。 ホールの中は熱気で汗が出そうな程だった。 私は空いている座席を見付けて坐った。 いつの間にか、女は全裸になっていた。 私は眼を閉じ、其処で眠った。 学祭の最終日に、柳沢はフー子と一緒に私の大学を訪れた。 「矢っぱ、俺なんかの大学とは盛り上がりが違うな。 其れに、おでん屋とは考えたよ。 発想が好い。」 柳沢はがんもを食べながら、云った。 「ヒロシは昨日来たの?」 「ああ。 バンドの連中と一緒に来たぜ。」 「鉄兵も出るんだろ? 1日のコンサート。」 「うん。 出る事にした。」 「そうか、そいつは良かった。 喜んだろ? ヒロシの奴。」 「そんな事は無い。 だって時間の枠は決まってるんだから、俺達が出れば其の分、彼奴等の時間が減るんだぜ。 まあ、今回のは、ヒロシの好意に俺が甘えたって処さ。」 「違うよ。」 柳沢はがんも許を選んで食べた。 「其れは違うよ。 ヒロシは鉄兵に、どうしても出て欲しかったのさ。 彼奴はお前のファンなんだ。」 「あら、私だって、鉄兵の唄好きよ。 まあまあだけど。」 フー子は箸で、茹で卵を半分に割りながら云った。 「香織と世樹子なんか、鉄兵の大ファンじゃない。」 「否。 君等が鉄兵の唄を好きって云うのと、ヒロシが好きと云うのとじゃ、全然違うさ。」 「どう言う事?」 フー子は卵許食べた。 「同じ、唄を創ってる人間に好きだって云われるのは、特別嬉しいものなんだよ。 そうだろ? 鉄兵。」 私は煙草に火を点けながら、唯笑った。 「どうせ私は、音楽の事はよく解りませんよ。」 祭日の其の日は晴天に恵まれ、私の大学は夕方迄キャンパスに人が溢れていた。 11月27日、私は世樹子を連れて、二流館へ映画を観に行った。 「凱旋門」と「或る夜の出来事」の2本立てであった。 其の日の最終回を観終わって、二人は沼袋へ帰って来た。 三栄荘へ戻ってみると、珍しく柳沢は自分の部屋に居た。 「柳沢君来ないのね。」 世樹子は簡単に部屋を片付けた後、コタツに脚を入れながら云った。 「ああ、今夜は君と映画に行くって、云ってあるから。」 私はテレビから視線を外さずに云った。 「そう。 でも、どうして?」 「当然、一緒に帰って来るだろうと思って、気を使ったのさ。」 「まあ。 何か私、悪いわね。」 私は彼女の方を向いた。 「君が部屋に来る事は、悪くないよ。 悪いのは、君が部屋に来ると俺がこうする事さ。」 そう云って、私は世樹子に顔を近付けた。 〈五五、学祭〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年11月08日 16時03分52秒
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