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悠久の唄 ~うたの聴けるブログ~

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2005年11月24日
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   64. 愛を抱いて


 私は解散パーティーの其の夜、久しぶりに香織に逢った理由だったが、相変わらず彼女には毅然とした存在感が有った。
私も、彼女がそう簡単に隙を見せるとは、思っていなかった。
「世樹子は新しい部屋、見付かったの?」
「其れが…、未だなのよ。
もう、年内の引っ越しは諦めたの。
来年又、ゆっくり探すわ。」
「いっそ引っ越すの止めて、ずっと中野に居れば好いじゃない。」
其の日は、ずっと風が強く、陽が傾く頃から随分冷え込んだ。
其の処の季節にしては暖かい日が続いていたので、急な外の寒さと風は、肌を斬る様に感じられた。
「何度も、数え切れない位、馬鹿な事許やったけど…。
此の部屋での宴会も、今夜で最後なのね…。」
「名残惜しくなって来た? 
最後にするのを止めて呉れても、俺達は構わないんだけど。」
「…さあ、どうかしら? 
結構、最後って事で、ほっとしてたりして…。」
其れ迄、微かに聴こえていた風の音に混じって、何かが窓を叩く音がした。
「雨ね…。」
誰かが云った。
「うん、雨だ…。」
誰かが答えた。

 「結局、私達は遊園地へ連れて行って貰えなかったわね。」
「スカイ・ダイバーには必ずもう一度チャレンジしなければいけないな。」
「アジサイ寺のあの洞穴、未だ在るかしら…?」
「そりゃ、在るだろう。
地震でも来て、埋まってなけりゃ。」
「でも本当、怖かったわ…。
みんなと一緒なら、又行きたいわね。」
外の風と雨は、徐々に強くなっている様だった。
「厭ねぇ…。
台風の季節でも無いのに。」
「傘持って来て無いんだろ? 
心配要らない、帰りには貸して挙げるから。」
「借りる事なんて出来ないわよ。
もう、返しに来れないんだから…。」

 「あなた達、ヒロ子やノブに強くアプローチしようとしてたらしいけど、旨く行ったの?」
香織が云った。
「旨く行ってれば解散なんて、してやしないさ。」
柳沢が答えた。
「其れは、そうね。
残念だったわね…。
其れで、私達の代わりに手料理を作って呉れる女の子は、もう見付かってるの?」
「全然…。」
「そう…。
でも、あなた達なら又、直ぐ見付ける事が出来るわよ。
急度…。」
「君は、偉く満足そうだな。」
私は香織に向けて云った。
「…其れ、どう言う意味?」
私は香織の言葉には答えずに、続けた。
「君が俺に対して、恨みの有るのは当然だが、どうして柳沢やヒロシや他の者迄、巻き込む必要が有るんだい? 
復讐なら、俺だけに向けてやって呉れ。
俺は君の気の済む迄、どんな罰でも受けるし、どんな償いも拒否しない。」
「あなた、一体、何を云ってるの…?」
香織は少し蒼ざめた表情で云った。
「中野ファミリーの解散は、私の所為だと、そう云いたいの?」
「君と俺の責任だ。
違うかい?」
「違うわ。」
世樹子が云った。
「香織ちゃんは、自分の周りの事で忙しくなって、其れでファミリーを抜けたのよ。
こうなったのは、私なんかの気紛れの所為よ。」
世樹子は既に声が震えていた。
私は構わず云った。
「香織、君は悪いとは思わないのか? 
否、其れより、恥かしいと思わないかい? 
柳沢を傷付ける様にして付き合って、別れちまったら、俺と顔を会わせるのが辛かったのかどうか知らないが、まあ、顔を視るのが厭だったんだろうけど、みんなが気にする事は解ってるのに、自分だけの都合でさっさとチームを抜けて行くなんて…。」
私はパーティーの最初から、ずっと香織を観察していた。
彼女は少し大きめの無地のセーターを着ていたが、其の袖の先は、彼女の両手の親指に掛かっていた。
彼女らしく無い着こなしであった。
パーティーの空気は再び緊迫して来た。
「今夜の鉄兵ちゃんは、偉くきついな…。」
ヒロシが呟く様に云った。
「気が付かなくて、御免なさい。
どうやら、私が此処に居る事は邪魔だったみたいね。
失礼させて貰うわ…。」
そう云うと、香織は立ち上がった。
「待てよ。」
私も立ち上がって、彼女の左腕を掴もうとした。
反射的に香織は私の手を振り払うと、其の左手を右腕の下に差し込んだ。
瞬間、私は感付いた。
私は黙った儘、今度は確りと、彼女の左腕を掴んだ。
「放してよ!」
香織は叫んだ。
私は力ずくで彼女の左手を自分の前へ持って来ると、彼女のセーターの袖を捲り上げた。
「痛い…! 
放して!」
私は腕を放さなかった。
香織の左手首の裏側には、未だ新しい傷痕が、はっきりと残っていた。
悲鳴の様な女の泣き声が、部屋中に響いた。
世樹子だった。
「何…? 
香織!」
フー子が叫んで立ち上がった。
香織は観念した様に身体の力を抜いた。
私は掴んでいた腕を放した。
フー子が香織の側へ行くや否や、彼女の左手を取って、其の傷痕を見詰めた。
「ど…、香織!」
フー子はそう叫ぶと、香織の両肩の下を掴んだ。
「香織! 
香織! 
香織!… 」
何度も叫びながら、フー子は香織の肩を揺すった。
香織は最早、揺すられるが儘に、其の場に立ち尽していた。
「香織! 
香織! 
香… 」
フー子は最後に、香織の腰の辺りに泣き崩れた。
そして、優しくフー子の頭を抱き締めながら、香織は静かに頬を濡らした。
風が叫び、雨が泣いていた。

── 12月5日、夜になって、世樹子は飯野荘へ帰って来た。
部屋では、香織が一人で背中を向けて坐っていた。
「ただいま。」と呼び掛けても、返事の無い様子に世樹子は直ぐ異常を感じて、香織の側へ走り寄った。
「…! 
香織ちゃん…!」
世樹子は真っ青になって叫んだ。
香織は泣いていた。
婦人用の剃刀を手首に当てた儘、
「…此れ以上、どうしても、力が入らないのよ…。」
と云って、香織は泣いた。
剃刀の刃の下から、次々と鮮血が流れ出ていた。
私が市ヶ谷の駅前から世樹子に電話を掛ける、2日前の事であった。 ──


 誰も殆ど喋らなかった。
時間だけが、幾つも流れた。
我々は唯、崩れて行く許の、其々の心を見詰めていた。

 どうやら風は収まり、雨も穏やかになった様だった。
柳沢が笑っていた。
ヒロシが眠そうな眼をして、カーペットに肘を付いていた。
香織が、世樹子が、フー子が微笑んでいた。
「私は、急度在ると思うわよ。」
「永遠の有る街か…。」
「でもさ、俺達の、人間の哀しみの本当の理由は、永遠が無い事、永遠で在り続けられない事さ…。」
「そうね…。
もう私達は、其れを知ってしまったのね…。」
「私…、幸せだけを風船に詰めて、飛ばしてみたい。
遠くの街に住む人達へ、飛ばし続けるの…。」
「若しさ、偶然風向きがいつも一緒で、其の風船が同じ処へ飛んで行ったら…。」
「そうよ、そしたら、風船が幾つも落ちて来る、其の街には永遠が有るわ。
哀しみが無いんですもの…。」
「そんな街で巡り逢えたら、素敵だったわね。
私達…。」
「…でも、私達って、一体何処へ行きたかったのかしら?」
「何処でも無いさ、此処に居たかったんだよ。」
「…此処で、何をしたかったのかしら?」
「…俺達は唯、愛を抱いていたかっただけさ。」

 12月24日の朝、私は大きなスポーツ・バッグを抱えて、中野駅から上りの電車に乗った。
電車の中で先程迄、私の側に居た女の事を想い出していた。
昨夜、彼女は私の腕の中で、いつ迄も泣いていた。
今迄彼女は、1人で居る時には、いつも泣いて許いたのだ。
新しい朝が来ない気がして、涙を流し続けたのだ。
だから、彼女の笑顔は、いつも懐かしかった。

 東京駅の新幹線口の前に、既に川元は来ていた。
私を見付けるなり、川元は云った。
「お前、よく来れたな。
多分寝過ごすと思って、心配したぜ。」
水登は一足先に帰省していた。
「今日は、クリスマス・イヴか…。」
ホームに上がるエスカレーターの上で、私はぽつりと云った。
列車はホームに入っていた。
網棚にバッグを放り上げると、「ビールを買って来る。」と云って、川元は車両の外へ出て行った。

 彼女は私の腕の中で、いつ迄も泣いていた。
やがて、泣き疲れたかの様に、彼女は静かに眠り始めた。

    泣かないで 泣かないで
    心が寒いの?

    夜は未だ 浅いのに
    あなたは 眠るの…?

 彼女は安らかに眠っていた。
其の寝顔は穏やかで、まるで眼覚めればもう1人だと言う事に、気付いていないかの様だった。
彼女は最後迄、優しかった。
そして、私は最後に優しかった。
彼女は、ほんの細やかな愛を抱いて、今は唯眠っていた。

 ゆっくりとホームが動き始めた。
ビールを半分一息に呑んで、私も眠りに就こうとしていた。
東京の街が、静かに遠ざかって行った。



                              完 


主題歌「愛を抱いて」
挿入歌「世樹子」
                           〈六四、愛を抱いて〉



  長い間、御愛読有り難う御座いました。
  御意見、御感想、御質問等、左記へお知らせ願えれば幸いです。
                            筆者





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Last updated  2007年11月16日 12時48分10秒
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