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カテゴリ:社会時評
不安倍増は去年の今頃、1月26日に施政方針演説をして最後の結びの方にこのようなことを言った。
福沢諭吉は、士の気風とは、「出来難き事を好んで之を勤るの心」と述べています。困難なことをひるまずに、前向きに取り組む心、この心こそ、明治維新から近代日本をつくっていったのではないでしょうか。 一方、18日には福田首相は今年の施政方針演説の最後にこのようなことを言っている。 「井戸を掘るなら、水が湧(わ)くまで掘れ」 明治時代の農村指導者である、石川理紀之助の言葉です。疲弊にあえぐ東北の農村復興にその生涯を捧(ささ)げた人物です。彼はどんな時も決して諦(あきら)めることなく、結果を出すまで努力することの大切さを教えました。 期せず、二人ともほとんど同じようなことを言っている。先の小泉首相が先人の言葉を引用したとき好評だったので、まさに何の芸もなくそれを続けているわけだが、去年、福沢諭吉の本はついに「米百表」ほどには売れることはなかった。 ここで言いたいのは、だから意味のない先例を続けるところに自民党の変われない固陋体質があるということを言いたいのが一点。 もう一点は、誰も気がついていないと思うが、安倍の引用した福沢の言は、まさに去年を象徴する「偽の引用」だったということをいまさらながらに証明したいということが一点。 本当は去年の二月ごろに記事を起こしたかったのだが、根っからの遅筆堂ゆえ、ついネタを腐らしてしまっていた。福田の施政方針演説を阿諛することの出来る今が最後のチャンスである。今となってはふるい話ではあるが、私自身としてはスクープだと思っています。 さて、福沢諭吉のあの言葉はいったいどこから引用されたのか、ついに首相官邸は明らかにしなかった。それもそのはず、福沢諭吉は決して武士の心を奨励するために言ったのでは無かったのです。 あの元本を私はヒジョーに苦労して捜し求めました。この文章集のなかにあります。(今は絶版) 「福沢諭吉教育論集」(岩波文庫) このなかに「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」と言う題名の慶応義塾学生に演説した筆記禄がある。(1886.2.18)そのなかで福沢は、学生たちに学問せよ、と励ますのである。今で言う学長だからね。よくある話で自分が若かった頃のことを言うわけです。 「すなわち余は日本の士族の子にして、士族一般先天遺伝の教育に浴し、一種の気風を具えたるは疑いも無き事実にして、その気風とはただ出来難き事を好んで之を勤るの心、これなり」。 困難なことをひるまずに、前向きに取り組む心‥‥‥単に自分の昔話を自慢するならば、福沢が福沢たる所以ではないということを元首相は全然知らなかったようです。しかも、福沢ほど、封建士族の伝統を否定することに生涯をかけたものは居ないということも知らなかったようです。 この演説の結論部分はこうです。 「むかしの学問は学問が目的にして、ただその難きを悦び、千辛万苦すなわち千快万楽にして余念なかりしものなれど、今の学問は目的にあらずして生計を求むるの方便なり。生計に縁なき学問は、封建士族のことなりといわざるをえず。すなわち余がごときは前年士族流のことをしたる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演するべからず。封建の制度、既に廃して、士族無経済の気風、なお学生のなかに存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向かい、余が経歴に倣わずして、よく今日の時勢に応じ、成学即身実業の人たらんことを勧告するゆえんなり」 つまり、福沢はわたしのような学問のための学問をするのではなく、成学即身実業の人たらん、すなわち「実学」の学問をせよ、といっているわけです。安倍元首相の引用の仕方は福沢諭吉の思想とは完全に離れていることは明らかです。日本を代表するものの演説が、大学生のレポートにも劣るという水準であるということを、私は強く強調しておきたいし、福田首相の演説を分析する余裕は無いが、同程度の可能性は十分にあるということを指摘しておきたい。 ところでこの福沢の元本を探すに当たってお世話になった人のことを記しておきたいと思う。インターネット検索ではついにこの一文の出所は分らなかった。そのときお世話になったのが、岡山県立図書館の職員の方でした。約二時間ぐらい探してくれて、ついに分らず、のちにメールが来たのです。 こちらは岡山県立図書館でございます。 いつも当館をご利用いただき、ありがとうございます。 先日のお問い合わせについて、ご回答申し上げます。 安倍総理の施政方針演説における福沢諭吉の言葉、 「出来難き事を好んで之を勤るの心」の引用の出典は以下のとおりです。 『福沢諭吉全集 第10巻』(岩波書店,1960)のp555の1-2行目 演題は「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」です。 冒頭に「左の一篇は去る十三日東京芝区三田二丁目慶應義塾邸内に 於て、福沢先生が同塾学生に向て演説の筆記なり」とあります。 なお、県立図書館に所蔵がないため、未確認ではありますが、 岩波文庫の『福沢諭吉教育論集』にも上記論題の掲載があるようです。 (こちらは倉敷市立中央図書館には所蔵があります。) どうぞご確認くださいませ あのときの図書館の(男の)司書の方、本当にありがとうございました。 いやあ、図書館て凄い。皆さん、図書館を活用しましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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